セックス•ドラッグ•ロックンロール

Ken.G

第1話

今年になってもう三度目の寒波だ。目の前のイースト川には流氷が漂い、その真っ暗な水面にマンハッタンの高層ビル群が逆さに揺れている。


大粒の雪の結晶がテトラポットに横たわるカズマの顔を撫でる。散らかったドレッドロックと二週間分の無精髭を貫く雪の冷たさは、彼の骨ばった顔を緩やかに縁取り、胸に彫り込んだ荒鷲の羽根の先で止まった。


見飽きたニューヨークの景色も逆さに見るとなかなか新鮮だな、冷たさが痛みに変わりつつある体をさすりながら彼はそんな風に考えた。この街に引越してきた当初に古着屋で買った黒皮のボマージャケットと節々のすり切れたブルージーンズが冷気でこわばっていた。


現実の意識が朦朧としていくのと同時に旅の記憶が蘇ってくる。カズマの魂はふと自身の体から離脱し、浮浪者の様に川岸に横たわる自らの姿を俯瞰で眺めた。まだ二十七歳だというのに随分やさぐれてしまったものだ。あまりの情けなさに我ながら笑えてくる。


自分がいない間に降ったらしい数日前の雪が未練がましく路上に張り付き、その汚れたカチカチの古雪の上にさらなる新雪が舞い降りる。アリゾナの赤土をつけてきた自分の足跡も、鼻から零れ落ちた血も降って間もない雪ですっかりとかき消されていた。眩しい白さ。

 

魂が自分の体に帰ってくる。カズマは起き上がって防波堤の下を流れる川に手を伸ばし、冷水を掬って顔を洗った。手がちぎれそうだったが、その厳しい冷たさが彼を現実に引き戻してくれた。不揃いの口髭の上で凝固した血はカズマの汚い指を介してイースト川に溶け込んだ。


自分の血が赤い魚に姿を変えるのをカズマは見た。魚はカズマを一瞥すると、摩天楼の方面に向かって泳ぎ去っていく。きっと大西洋に行くんだろうーカズマはなんとなくそう直感した。自分の分身のくせにこの魚には行く場所があるのだ、しかもそれは無限に広がっていてーそう考えるとカズマはなんだか悔しくなった。


ジャケットのポケットに手をつっこむが煙草はもう無い。


全ては終わったのだ。朝日が徐々に昇ってくるのが感じられる。遠くで自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がする。


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「何やってんだよ、おまえ」

 

エドウィンは地面に崩れるCGの兵隊を睨みつけ、深い溜め息をついた。画面の奥では爆撃音がまだ続いている。濠の隙間に隠れているところを見つかりハチの巣にされるなんて何と情けない死に方だ。エドウィンは世界のどこかで偶然的に繋がったオンライン「戦友」の不甲斐なさを嘆いた。


気を取りなおしてヘッドセットの位置を微調節し音量をあげる。マウスを素早くダブルクリックして武器を短銃からショットガンに持ち替えると、カーソルキーを押しながらマウスをゆっくり前に進める。一歩、二歩、三…。突然背後から大きな銃声が聞こえ、エドウィンは前のめりに倒れていく自分の残像を見た。


「ゲームオーバー」


 暗転したマックの画面に自分のしかめ面が映し出された。微かに茶色の滲んだ深く青い瞳と、彫刻のように誇り高く筋の通った鼻―過去に投げられてきた言葉を借りて端的に言うならば「外人顔」。


エドウィンはヘッドセットを外し、自己嫌悪と空虚感の充満した自室をあてもなく歩き回った。階下からは母の陽子が作っているビーフシチューの匂いがする。エドウィンは手持ち無沙汰に天然パーマの茶髪を弄りながらターンテーブルの蓋を開け、渋谷のレコード屋で掘り出してきたばかりのエレクトロニカの新譜をバックパックから抜くと、それを丁寧にターンテーブルに置き、祈るように針を落とした。

 

硬質な電子音が乾燥した空気を切り裂く。幾何学的なビートと自由に浮遊するメロディが親密に絡み合いながら反響する。突然、異質でありながらも当たり前のように曲の調和に穴を開けるドリル音。


エドウィンは自分だけが知る偉大なアーチストの織りなす音の世界に入れた事に少しくすぐったくなった。そして低反発のベッドに体をゆっくり沈めると目をつぶって無限の宇宙のイメージを浮かべた。


世界が美しい音楽だけで包まれていたらどれだけ素敵だろうーでも残念ながら世界を包む音のほとんどは雑音なのだ。


実際すぐに最も不快な雑音が近づいてきた。帰宅した父ジェフの粗野な歌声。階下から聞こえてくるそれは酒気を帯びているようだ。エドウィンはリモコンに手を伸ばしレコードの音量を5つほど上げる。突然変調してムチを打つようなアグレッシブなビートが始まり、心がそわそわしてきた。


「Purple Haze, All in my brain!」


エドウィンの音楽に対抗するかのようにジェフの歌声が大きくなってくる。酔うと決まってヘンドリックスやらジェファソン•エアプレーンやらを大声で歌うジェフを「ヒッピー時代の追憶から抜けられない惨めなアメリカ人」として、エドウィンは冷めた目で見ていた。そんな軽蔑する種類の大人が自分の父親なんて悲しいが、みんなもそんなものなのだろうか?そんな事を尋ねるほどの友人などいないからわからないけど。


無駄に大きな踏み音をたて階段を上ってくる足音は、案の定エドウィンの部屋のドアのすぐ外で止まった。


「バラパー、パラパー、パラパー、パラパー!」


音階のあがっていくギターソロを口ずさみ終わると(エアギターしているのであろう事は容易に想像できた)同時にゆっくりとドアが開く。着崩したスーツ姿のジェフは部屋に入ってくるや否やターンテーブル脇のミキサーのマスターボリュームを一気に下げた。


「エドウィンクン、ずいぶん変わった曲聞いてるんだネ。部屋で大

工でもしてるのかと思ったヨ。お母さん心配してるヨ」


「前も言ったけどノックもしないで勝手に入ってこないでよ」


「だって鍵開いてたシ。ここは僕の買った家だシ」


ほとんど顔を合わせることのない父親との久しぶりの会話はそこから先には進まない。抑揚の強いアメリカ的なアクセントと、ほぼ正しい日本語の言い回し、そして下唇を突き出した惚けた表情はいつも通りにエドウィンを苛立たせた。ジェフはエドウィンよりも青い目を大きく見開き、少年のように屈託のない笑みを浮かべた。しかし力強い眼差しは挑戦的にエドウィンの瞳を覗き込んでいる。


ジェフは何十年も前に陽子のためにアメリカの保険会社から日本の支社に志願転勤し、数年で独立して自社をたちあげた。それからまもなく自由が丘の住宅街に一戸建ての家を買った。客観的に見ればすごい事なんだと思う。息子として感謝し尊敬すべき事なんだろうとも思う。でも自分だって選んでここに生まれたわけじゃない。思いつきだけで生きてきたこの男のせいで人一倍嫌な思いしてきたのだ。


もちろんそんな事を口に出せる訳も無く、エドウィンはできるだけ無表情を崩さないように努めて、小さな口を開いた。

「何の用?」


ジェフは待ってましたとばかりに、懐に隠し持った格安航空券のバウチャーをエドウィンの目の前にかざした。


「タラーン。アメリカ二週間のタビ!がんばるエドウィン君へのプレゼント!取引先でよく世話してる人がネ、アメリカ行きの安いチケットを売ってたから買っタ。キカンゲンテイ。」

「オレ、アメリカ行きたいなんていつ言ったっけ?」

「言ったかわからないけど、行くべきでしょ。君のルーツはアメリカでもあるシ。ほら、コトワザにもあるでショ。『かよわい子にはタビをさせろ』And it's a great fuckin deal!(それに超オトクだし!)」


エドウィンは憮然として首を大きく横に振る。ジェフの確信犯的な言い間違いも腹だたしかった。


「何でいつも勝手にオレのやる事決めんだよ」

「ンー。だって君やりたいことがわかってないじゃナイ。だから僕が決めてあげた」


エドウィンは尤もな事を指摘された悔しさに奥歯を噛みしめた。


「それに君仕事決まって今ちょうど時間もあるデショ。僕のおかげでネ。日本の大学なんて行っても行かなくてもダイジョブだし?」


またもやその通りでエドウィンには返す言葉が見つからない。バイトもせずサークルにも入らず通っている大学だ。卒業の単位も十分に足りている。


「何か不安ある?」

ジェフは挑発するようにエドウィンの顔を覗き込んだ。


不安しかない、エドウィンは心の中でつぶやいた。自分は日本で生まれ育ち、両親も自分にはいつも日本語で話してきた。その結果、自分の英語のレベルなんて一般大学生に少し毛が生えた程度だ。物心ついてからは外国にさえ行ったことがない。無言の抵抗を続けるエドウィンにジェフはたたみかける。


「ちゃんとプロのコーディネーターもつけるからサ。知り合いで、君と同世代の日本人がニューヨークに住んでいるカラ」

「そんなのどうでもいいよ。それで出発はいつなの?」

「三日後。 It will be fun. (きっと楽しくなるよ)」


エドウィンは父親の罠にはまった気がして大きなため息をついた。

「もうご飯できたみたいだから、変なミュージック止めて降りてきな。君が好きなビーフストゥだよ。僕はこれからまたセッタイだけど。細かいプランはまた話ソウ」


この男に細かい話しなんてあるものか。自分の母国に行かせたいという思いつきのエゴだけで、プランなどあるはずがない。エドウィンは、深呼吸をして目を閉じた。音楽はもう耳に入らなかった。

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