スターナヴィゲーター

@hyorigan

スターナヴィゲーター

 望遠鏡越しに夜空を見上げ、焦点を合わせる。

 依頼主はそんな僕を無表情でじっと見つめる。

 レンズの先端から夜空の星まで意識が届くのに時間がかかる。1つの星に全意識を集中させる。冷たい空気を吸い込み、深く息を吐く。今、焦点を合わせた星が周りとは一線を画すように淡く輝き始めた。そこで望遠鏡を固定し依頼主にスコープを覗くように指示を出した。肉眼で見る星にはなんら変わりはない。

 依頼主の男の人は望遠鏡をのぞきながら泣いているのが分かった。彼に何が見えているのかは分からないが、きっと過去に置いてきた親や友人、恋人あるいは夢、希望などが目に映っているのだろう。

 彼は顔をあげ、目に浮かべた涙を腕で拭っている。

「もう少し、生きてみようと思います。まだやり残したことがありました」

 結局彼は多くは語らなかった。どんな風景を見たのか自分の時と比べてどうだったのかを聞きたかったが踏み込むのはやめておいた。まだ心の整理ができていないだろう。明日からを生きるための原動力は手に入れたことだけは確信した。

 「それはよかったです。人生も悪くなかったと思えたらいいですね。応援しています」

 そう告げると、空からゆらりゆらりと星が降りてきた。彼はそれを抱きかかえると駐車場まで歩いて行った。彼の後姿を観察していると、また泣いているように思えた。


 僕も昔、心に穴の空いた若者だった。もう死ぬことは決意していた、そう思ったのだが最後に星を見ようと家から30分ほど車を走らせ海に向かった。山の方にも行けたが、なんとなく嫌だった。

 車を降り潮風を肌で感じ少し浜辺の方を歩いてみることにした。懐中電灯など持ってきてはいないが月と星の明かりで不自由なく歩くことができた。すると遠くの方で2人の大人が空を仰いでいるのを発見した。もしかしたらあの人たちも僕と同じことを考えているのかもしれない、そう思うと少し悲しくなった。自分が死ぬのは構わないが赤の他人でも死んでしまうのはもったいない気がしたからだ。そう考えてしまうと僕は走り出し、2人のもとへ向かった…その時だった、空から星が一粒降ってきた。片方の大人が胸の前で水をくむように両手をそろえ、そこに淡いが確かに輝きを放っている星屑が納まった。とても幻想的であっけに取られてしまった。

 そこでやっと星を手に取った人が大学生くらいの女性だったことに気が付いた、女性はもう一人に深く頭を下げ、涙をぬぐうようなしぐさをしながら浜辺を後にした。

その一連の出来事を目にしてしまうと話しかけずにはいられなかった。

「す、すみません…」

「あ、もしかして今の見てた?」

もう一人は40代くらいの女性だった。

「あ、はい。入水自殺でもするつもりなのかなって思って…」

「止めに来てくれたんだ、優しいんだね。あなたはなんでこんな夜中に海になんて」

「ほ、星が好きなんで、天体観測をするために」

とっさに嘘をついてしまった。本当の事なんて言えるはずがない。

「君と同じ目をした少年少女を多く見てきた。自分のことが嫌いな人間の目だ」

そう告げられ内心ドキッとした。

「君、大学生かい?」

「そ、そうですけど…」

「うちでバイト、してみないかい?君はきっとこの仕事に向いてるよ」

それが先生と出会ったきっかけだった。


 過去に思い描いた理想や友、恋人を思い続けた時間が星になる。スターナヴィゲーターとはそれを一緒に探すお手伝いをする仕事だ。我々はあくまで『観測者』であり、目の前に現れたそれを手に取るか否かは依頼主に任せなければならないらしい。

今、夜空に浮かんでいる星はすべて人が人に思いを託したもの、あるいは自分が自分に見出した希望が形となって表れている。

 星に帯びている魂の輪郭をなぞって現実世界にあらわれるきっかけを与えることが大事だと教わった。ある程度、先生と依頼をこなしているうちに依頼主によって星の光の強さが違うことに気が付いた。それはその人の人生経験によって変わってくるものなのかはわからない。年齢が高いからといって光が強いわけでもなかった。

一番印象に残っているのはある高校生から依頼だった。クラスでいじめられている友達を守るため、先生に報告したが誰も取り合ってくれず、そして標的が自分に移り相手と喧嘩して停学処分をくらったらしい。そんな彼の星は闇を飲み込みそうなほど暗い紫色でメラメラと燃えるようなものだった。

 彼が心配だった。少し話しているだけでも、とても真面目なのが分かった。その真面目さが自分自身を苦しめているのが見ていてつらかった。君は何も悪くない、そう声を掛けたかったがこの言葉がまた彼を縛り付けてしまいそうな気もした。

 後日、彼は店にやってきた。親が転勤することになってそれについて行くことにしたそうだ。あの日見た星について少し話してくれた。高校で起こった問題が走馬灯のように流れ込んできて、もう一度再確認させられたらしい。自分は間違ったことをしたつもりはない、彼はそう断言した。しかし自分が苦しんでいることにも気が付いたらしい、自分が解決できる領分を超えていた。だから今自分にできることは何もない、そう思い親と一緒に別の町で新しい環境に身を置くことにしたらしい。

 正直、ほっとした。彼が自分自身すらも許せなくて身を滅ぼしてしまうのではないかとひやひやしていたから。赤の他人である僕ができるのは彼の選択が良いものになるように願うことだけだ。

 彼の真面目さは変わっていないように思えたがこの件が自分を知るきっかけになってくれていることを期待した。店を出ていった彼の後姿はなんだか頼もしく思えた。


 親指と人差し指で輪っかを作り、夜空を照らす月を覗いてみた。

 一人で夜空を眺めていると自分の星を思い出す。

 両親が喧嘩をし、父が母を誤って殺してしまった。当時大学生だった僕は近くの親戚の家に引き取られた。それがきっかけなのか今までの僕が悪いのかは分からないが、付き合っていた彼女にも振られてしまった。悪い出来事っていうものはなぜもこうして続いてしまうのだろうか、親戚の手前、自暴自棄になるのは避けたかった。早く自立した大人になるべきだと思っていたが自分の将来が思い描けなかった。


 本当は死ぬつもりなんてなかった。いや、死ぬ勇気なんてなかった。なにかきっかけが欲しかった、僕に生きる意味を与えてくれるような強烈なものをぶつけてほしかった。あの日、先生に出会ったことが欲していた強烈なものなのかはわからない。しかし、こうやって腐らずに生きているということは僕に向いている職業の一つだったのかもしれない。

 「もうそろそろ時間だな」

そう一人つぶやき、先生から譲り受けた望遠鏡を担ぐ。


 誰かを思い、その人のことを考える時間は尊いものだ。しかし、何かに失敗しそれを悔やみ悩む時間も尊い。でももし、本当に人生をやめてしまいたいと終わらせてもいいと思ってしまったら夜空を眺め、星を探してほしい。その中に輝いていた過去のあなた、そして輝いているであろう未来のあなたがいるはずだから。

 僕に依頼をくれたら、いつでも一緒に星を探しに行きます。あなたを一人にはさせません。

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