靴の中に世界【黒歴史放出祭応募作品】

青月 巓(あおつき てん)

靴の中に世界

 中学の頃には塾でハサミを舐めては先生をやっていた大学生を苦笑いさせ、高校に入っても毎週深夜ラジオを聴いては教室でニヤついてクラスメートにドン引きされていた。

 まあ言ってしまえば普通の陰キャで、オタクで、空気が読めないことを自覚していたから自分の世界に閉じこもっていただけの人間だった。ネットの向こうにしか話が通じる人がいないようなテーマを好んで摂取し、それを意気揚々と母に語る。そんなただの思春期の人間だった。

 ただ、それらを黒歴史だとは思っていない。それらは自分を形成する何かであり、自分を自分たらしめるために除外した何かだからだ。……いや、ハサミを舐めていたのはちょっと忘れたいかも。

 ただ、一つだけ。本当に一つだけなかったことにしておいた方が自分の人生にとって良かったかもしれない黒歴史がある。その黒歴史自体も自分というものを形成した一つだが、他の小さな過去とは比べ物にならないほど人生をおかしくさせたものだ。

 現行でもそうであり、自分を蝕む呪いのようなそれは、いわば異世界に行ってしまいたいという願望だった。

 その発生こそが、自分にとっての黒歴史であると思う。これを忘れれば、妄想を作品に昇華しようなどと考えず、もっと真っ当な人生を送れていたかもしれない、という意味でだが。

 閑話休題。そんな黒歴史が出来上がってしまったのは、あの頃の短絡的な思考の中で現在の世界よりも良い世界があるということを画面の向こうを見て知ってしまったことが原因なのだと思う。

 ファンタジーの世界に行きたいわけではない。衛生観もあまり強く形としてなされていないような世界に行って喜ぶのは殊勝なファンタジー小説の主人公だけで良い。

 私自身が行きたかった場所は、イデア的に存在する懐かしい田舎の村だ。

 夕暮れと、水の張った空を反射する畑と、軽トラック。そして蝉の声と、泣きそうなほどにうるさい孤独感。山に入れば新緑の中に笑顔の誰かがいて、その誰かと遊ぶような、それで得られる満足感を求めて孤独を摂取してしまうような、そんな光景。

 大人になってさまざまなことを知ってしまった。視界に映るものの解像度が上がってしまった今では絶対に感じることのできないあのぼんやりとした焦燥感に駆られる砂の道に、中学の頃の私は行きたいと思った。思ってしまった。

 平成のビジュアルノベルゲームによくあったあの村、私の場合は“水郷村みなさとむら”と呼ばれる村に行ってみたいと思った。日本の、おそらく九州南部に存在する山間の村。平成中期の、ガラケーどころかPHS全盛期で、それでいてそのPHSすら繋がらない村だ。バスは一日に数本程度しか来ず、クーラーが効きすぎた車内を近くの町から一時間以上乗り続けてやっと辿り着く場所。

 主人公のことを悪く思わず、しかし間違いを正してくれるような友人が何人も居るあの世界に、常日頃から行ってみたいと強く願っていた。

 そんなことを願ってしまったその頃に流行っていたものが、占い投稿サイトだった。とは言っても占いサイトとは名ばかりで、夢小説や日記、どこから仕入れてきたかもわからない子供騙しのおまじないなんかが書かれていたと思う。というか、今でもそのような使われ方をしているらしい。長生きだなぁ、あのサイト。

 そんなサイトに中学生の頃の私は一つ、おまじないを見つけてしまった。夜寝る前に自分が普段使っている靴の中に行きたい世界が存在するアニメ、ゲーム、漫画のタイトルを書いた紙を入れ、枕の下に赤いペンで六芒星を書いたメモを入れて眠るというものだ。紙の大きさなんかも指定されていた気がするが、そこら辺はおぼろげで覚えていない。

 しかし、朝起きれば家の玄関扉を開けた向こうはその世界です! なんていう拙い文章に騙された私は、翌朝ルンルン気分で玄関の扉を開けたことは克明に覚えている。もちろん向こうには何もなくて、ただただレンガが積み上げられた壁がずらっと並んでいるいつもの光景が見えていただけだったということも。

 今でも思う。あれが成功していたら、成功してしまっていたらどうなっていたのだろうか。

 水郷村は、あるいはそのゲームの設定ではそこは、獣人と人間が同じように暮らす日本の小さな村だ。しかも住人の多くは獣人であり、比較的偏った比率になっている。

 そんな村に一人の人間の子供が迷い込むわけである。その世界には戸籍として存在せず、その時代には生まれてすらいない中学生の子供。半袖半ズボンで何も持たず、安っぽいクロックスの偽物を履いた子供は、しかしその村の一部の住民の名前を知っている。行われている祭事の事も、そこの地域にどのような施設があるのかも断片的に知っている。

 あまりにも不思議なことにその世界の住民は驚いて、しかし誰も知らない子供として警察に預けられるだろう。神の遣いにしては曖昧模糊とした記憶は、信仰心を刺激するよりも先に誰かの知り合いだと思われるからだ。

 戸籍上存在しないことは不思議に思われるかもしれないが、その程度であればごく稀にあることだと片付けられる。

 義務教育も終わっていない子供であるならば、すぐに孤児としてなんらかの申請を通った上で住む場所が与えられるかもしれない。

 しかし今でも断言できる。その先の人生は、今の自分と比べると苦しくとも間違いなく楽しいものになっていたはずだ。何者でもない自分が何者かになれるための努力を、今よりも一層していたのではないだろうか。

 何も成功せず、何もできない自分。そんな何にもなれない自分が何かに縋ろうとした時期に見つけた行くことのできない村へのバスを、今日も待ち続けている。そのスタート地点に立ってしまったことこそ、自分の無くしたい黒歴史だ。

 これはただの後日譚。調べてみたら、背景として使われたバス停はもう取り壊されており無くなっているらしい。虎彦が待つあのバス停は、平成に置いて行かれたまま寂しく主人公を待っているのかな。


追記 関係ないことではあるが、個人的には今回の審査員に伊集院光氏が居るというだけで深夜の馬鹿力で過去にあった「みんなの黒歴史カルタ」に投稿したネタでも吐き出そうと少しだけ思ってしまった。ただ、流石に下ネタすぎるのでやめた。これもある意味黒歴史なのかもしれない。

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