悪辣の統治者は愛ゆえに転移聖女の全てを調べたい
雨露 みみ
『よくわかる高校化学<図解丸わかり>』という名の聖典
『志望校判定D』
私は痛む頬を押さえつつベッドに入り横になった。腰上まで伸ばした長い黒髪が、真っ白なシーツの上に広がる。そして大きく息を吐いた。
「……怒られちゃった」
明確な将来の目標なんて無い。ただこの家から出て行きたい。そのために良い仕事に就きたいから、良い大学に行く。だからずっと昔から勉強だけを頑張ってきた。
産んでくれた母は私が小学生の時に既に他界。父の顔はそもそも知らない。だからずっと母の妹夫婦の家庭の一員として生活してきた。
……ううん、一員じゃない。私はいつだって義理の家族にとって邪魔者だった。
それがこの家から出たい理由。
でも、私の頭ではどうにも難しかったようだ。志望校はご覧の通りのD判定。あまり良いとは言えない結果に……私の気持ちは焦っていた。もう18歳、高校3年生の夏だというのに、これでは先が思いやられる。
もっと頑張るか、志望校を下げるか。
授業料負担の比較的少ない国立大学志望なので、家を出ることを優先するなら志望校を下げるのも選択肢の一つだった。
「勉強にしか能がないくせに、こんな結果しか出せない義娘はいらないのよ! 姉さんもこんな子供残して逝くなんてとんだ迷惑だわ」
……義母の言葉を思い出す。
義母にとって、私は勉強だけ出来ればよかった。義母にとっての私は『姉の子を引き取って育て、優秀に育てた立派な人間』というレッテルを貼るための道具でしかなかった。
だからレベルの高い志望校がD判定だった私は要らない子扱いされて当然なのだ。
……唯一頑張ってきた勉強すら他の子に負けるなんて、なんて駄目な人間なのだろう。
そんなどんよりした思考で脳内にいっぱいにして、横になったまま化学の参考書を開いた。
しかしただ紙面をぼーっと見ているだけになってしまうので、諦めて参考書を開いたまま顔に乗せる。
――少し眠ろう。
そうすれば、今よりは頭がスッキリするだろうから。
◇◇◇
「聖女召喚の儀が成功した!」
気がつくと何やら冷たい床の上に座り込んでいた。
湧く歓喜、聞こえる喝采。
「……夢?」
声を出すと、義母に殴られた頬が痛んだ。
痛みがあるということは夢ではなく現実のようだ。
……もしくは仮眠のつもりだったのに、永久の眠りについたのかもしれない。
そう思う理由は、私を取り巻くこの風景だった。
アニメや漫画で見るような鮮やかな髪の色・造形をした人物が私の周りを取り囲んで立っており、その服装も西洋風の何か……といった感じだったからだ。
対して私は先ほどまでと同じ部屋着のふわモコ部屋着上下セットである。対比の違和感が凄い。
この天井が高く何かの広間のような空間自体も、異様な雰囲気が漂っていた。禍々しい……と言うのが一番近いだろうか。
「聖女様、どうか私を……この国をお助けください」
そう言いながら目の前に、金髪碧眼でいかにも『王子』といった雰囲気の男性が跪き、私の手を取る。
……あ。もしかして聖女様って私のこと?
「あの、すみませんが私は普通の高校生です。特に何かできる訳ではありませんし、人違いかと」
口を開くと義母に殴られた頬が痛む。
そして私の言葉を受けて場が静まり返った。
「……フツウノ・コウコウセイ? 珍しい名前だ。お前達、よく聞け! 聖女様のお名前はフツウノ・コウコウセイだ!」
わーッと再び周囲が沸く。
いやいやちょっと待って? それは名前じゃないから!
ひとまず王子かは分からないので、ここは王子(仮)としておこう。
とにかく王子(仮)の声で再びワーッと喝采が沸き起こり、周囲のテンションはMAXに近い。
訳が分からなすぎて私のテンションはMINに近い。
ただの変な夢かと思っていたけど、どうにも様子がおかしい気がする。夢であって欲しいと願いつつ王子(仮)に訊ねた。
「突然のことで状況がわからないのですが、私は……今どこにいるのでしょう?」
「ここはリュンヌ王国の王宮、召喚の間。我が国を助けるため、王族に古より伝わる秘伝の術、聖女召喚を行った。そしてそれに応じてくださったのが聖女様、貴女だ」
……まさに、物語上でよく見る展開だ。
異世界に聖女として呼ばれ活躍する――いわゆる転移転生物の小説や漫画は、友達の家で読んだことがある。そしてその転移した世界が、自分が知っているストーリーであるというのが王道だ。
ここは今までに読んだ物語の、どれに値するのだろう? 何て悠長に考えていたら。
「ではこの聖女様を、聖なる火に投げ入れる!」
「待って待って待ってッ!?」
普通に殺される!?
焦って手を振り払ったが、改めて王子(仮)に強く掴み直されてしまう。
速攻で命の危機、待ったなしの……こんな変なストーリーの物語なんて絶対に読んだことない!
知っている物語に転移のパターンじゃない。本気で知らない場所に連れてこられるやつだ。
「やだやだ私まだ死にたくない!」
「それでもこの国の未来を占う為に、聖女様をこの聖なる火に焚べなければ。さあ、贄としてその御身を火の中へ」
王子(仮)が指差した方向を見ると、確かに直径2mほどの円形の燭台があり、その中で火が轟々と燃えている。
ゾッとして恐怖で体が震えた瞬間、ゴトンという音がして床に座ったままの私の太ももの上から何か落ちた。
「……それは?」
王子(仮)の目線がそちらに移る。
「あ、私の参考書……」
表紙に『よくわかる高校化学<図解丸わかり>』と書いてある化学の参考書で、義理の家族に迷惑をかけられないからとアルバイトをして買い揃えた参考書の中の1冊。
大事に大学受験まで3年間使うつもりで高校1年生の時に買ったので、少し本が痛んでしまっているが……大事な私の本。
こんな物まで転移してくるなんて……と思ったが、そういえばこれを顔に被せて寝ていたのだった。
「……もしやそれは、万物の理が書かれているとされる聖典では!?」
周りを取り巻くギャラリーの中から声が上がる。いえ、聖典ではなくただの参考書です。
本屋で普通に売ってる2360円のやつ。
王子(仮)は私の手を離し参考書を手にとる。
落としてしまった衝撃でページが開いてしまっていたそれは、私からすればさも当然な自然の摂理が書かれており、暗記用の赤色フィルムが主張するように飛び出している。
「なんだこの美しき本は……文字に色が使われているだと? なッ! 赤色の文字が消えた!?」
「いいからそれ返してください!」
たかが赤色フィルムで驚いている王子(仮)から参考書をひったくるようにして奪い返し、胸に抱き締めた。
ただの普通の参考書だけど、私が買った大事な本なのだから勝手に取らないでほしい。
「サンコウショ……? 聖女様、もしや本当にその本には万物の理が? そして貴女様はその聖典が読めるというのか」
何故か明らかに動揺を見せる王子(仮)。
……ひょっとして、この化学の参考書を盾にすれば私は生贄のようなモノにされなくて済むのではないだろうか?
「……こ、この聖典にはこの世界の全ての理が書かれてあります! 私が亡き者になればこの聖典を読める者は居なくなり、この世界は破滅へ向かう事でしょう!」
虚言でも身が助かるならそれでいい。その思いで必死についた嘘は、効果絶大だったようだ。
「神の与えし聖典……一旦儀式は終了とする。お前達、聖女様に部屋を用意しろ!」
王子(仮)はそう言い放つと、その後は碌に私の顔も見ずにこの場から立ち去って行った。
そして私はこの王宮の離宮とかいう場所に閉じ込められる事となったのだ。
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