幼稚園で

 今から約50年前、わたくしは某市郊外の丘に住んでいました。

 丘の上には神社が建っていて、その隣には児童公園がありました。

 平地から丘の上の神社に上る坂道の途中に、わたくしの住むアパートがありました。

 六畳一間の狭い部屋に親子三人で慎ましく生活していました。

 わたくしの物心が付いた頃には、両親は共働きで家に居ませんでした。

 時々アパートの管理人のおばちゃんが様子を見に来てくれる以外は、一人で遊んでいました。

 絵本を読んだり、画用紙に絵を描いたり、小さなプレイヤーでソノシートレコードを聞いたりしていました。

 家での遊びに飽きると、部屋を出て管理人のおばちゃんに声をかけてから外へ出かけました。(部屋の鍵を預かってもらう為)

 坂を上って一人で神社の境内や児童公園で昆虫を追いかけたり、遊具に乗ったり、砂場で遊んだりしていました。

 神社には幼稚園が併設してあり、境内の一部は園庭になっていました。

 普段は園児達が遊んでいるので、わたくしは主に児童公園で遊んでいました。

 正に神社や児童公園は、わたくしの庭だったのです。




 やがてわたくしは神社の幼稚園に入園しました。

 入園式は母と一緒に坂を上って行きましたが、次の日からは一人で通園を始めました。

 当時はまだ通園バスなどは無く、平地の子も坂を歩いて通園していました。

 幼稚園初日は殆どの園児は母親に連れられて来ました。

 親たちは子供を保育士に預けると帰っていきます。

 初めての幼稚園、初めての通園、初めての親との別れ、初日の緊張と別れの寂しさで園児達は一斉に泣き始めます。

 保育士さん達ははあっちこっちの園児をなだめる為にてんやわんやになっています。


 その様子をわたくしは一人、冷めた目で眺めていました。

 何たってココ幼稚園は自分の庭です。

 寂しくも緊張もありません。

 園児達の泣き声は泣き声を呼び、教室は大パニックになっています。

 保育士達は泣いている園児の対応で、全然わたくしを構ってはくれません。

 次第に退屈していったわたくしは、幼稚園を飛び出し坂を下りアパートへ帰ってしまいました。


 アパートへ帰ると部屋の鍵をもらいに管理人室へ行きます。

 管理人のおばちゃんは、

「あら、早いわね、幼稚園はどうしたのかな?」

 と聞いてきます。

 わたくしは、

「幼稚園がつまんないから、帰ってきた」

 と答えました。


 しばらく管理人室でおばちゃんと話していると、真っ青な顔をした保育士さんがアパートに来ました。

 教室の事態が落ち着いてきて園児の人数を数えると、一人足り無い!

 慌てて出席を取ってわたくしが居ない事を知り、アパートまで様子を見に来たのです。

 わたくしは、

「事態が収拾できたのなら、戻ってやるか」

 の気分で保育士に連れられて幼稚園に戻りました。


 夜幼稚園からの連絡を聞いた母親に、わたくしはこっぴどく叱られました。

 そして保育士達からは、

「要注意園児」

 として卒園まで常にマークされました。



 しかし、いくら慣れ親しんでいた場所だからって、

「つまんないから、帰ってきた」

 は無いな、本当にイヤな子供だったな。

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