令嬢たちは戦う〜義理を欠いた方は愛せません

柚木ゆきこ

第一部 男爵令嬢編

第1話 身体の弱い令嬢

 ルイサ、と彼から自分の名前を呼ばれた気がした。

 私は声の方へ手を伸ばそうとして、手が上がらない事に気づく。


 全身が重い。

 瞼も重い。

 頭も痛い。

 喉も焼けるように痛い。


 ああ、いつものアレ病気か、と気づいた。


 重い瞼を薄らと開ければ、見えてくるのは天井だけ。亀のようにゆっくりと扉の方へ首を動かせば、その場には誰もいなかった。

 

 私が体が弱い令嬢と言われる所以でもあるが、この病気は月一〜二回ほど発症する。毎回大体同じような病状で朝に現れ、昼頃までには落ち着くのだが重篤なのである。

 特に喉の痛みにより水を飲む事ができないので辛い。対処法は時間が過ぎるのを待つしかない、と医者には言われている。

 

 ……先程の声は弱った私の心が呼び出した、幻影だったのだろう。鈍い頭で会いたいな、と彼の笑顔を思い出している矢先に、扉がガチャリと開く音が耳に入った。

 もしかして、トマス婚約者かな? と淡い希望を抱い私の元に届いた声は――。



「こちらですわ。いつもありがとうございます、アレクサンドル様」

「いつもご丁寧にありがとうございます、男爵夫人」



 そんな私の心は母の声で淡い希望が粉々に砕かれた。

 まただ。また公爵令息様アレクサンドルが来たのか。私には婚約者のトマスがいるのに!

 

 彼が言うには私は「幼馴染」であるらしい。そんな「幼馴染」である私を心配して体調を崩す度に、様子を見に来るのだが……。


 我が家は男爵家だ。男爵家の令嬢を優遇する理由が分からないし、彼の本心が私には理解できず不気味に思っている。……相手に言えば、不敬だと言われる可能性が高いので、心の奥底にしまってはいるが。

 だが娘がそう思っていても、残念ながら両親はそう思わないのがもどかしい。

 


「まあ、お礼なんて。娘に良くしていただいて……こちらこそお礼を言わなければいけない立場ですのに」

「好きでしている事ですから」

「まあ……!」



 母の声が感動で上擦っている。

 まあそうなるだろう。

 娘を通して、公爵家の嫡男アレクサンドルと関わりを持っているのだから。


 両親は領地経営に興味はないくせに、上にのし上がりたいという野望だけはある。

 面倒なことは兄や領地の屋敷で働いている執事や役人たちに放り投げ、自分たちは悠々と王都のタウンハウスで比較的贅沢な暮らしをしている。

 両親が領地の屋敷に訪れた事は、私の知る限り一度もない。私が今年14歳である事を考えると、分かってもらえるだろうか。幸いなのは、借金する程見栄を張らないところだけだ。

 

 一方、公爵令息様の実家であるトールボット公爵家は、国内一二を争う程の権力を持っている。本当であれば、下位貴族である我が家の事など気にも留めない立場の人間だ。


 男爵家内ではそこそこ上位に当たる我が家ではあるが、それでも貴族全体で見れば男爵家なんて下位貴族だ。そんな男爵令嬢である私を何故か公爵令息様が気に掛けてくれており、彼と関わりが持てる事を両親は毎回喜んでいる。


 ――そこに私の意思はない。

 


 全身……特に頭で鈍い痛みが続く。

 公爵令息様の登場に疲れ果てた私は、外からの音だけが入ってくる状態だった。

 

 カツカツと足音が聞こえ、しばらくすると真上から息をするような音が聞こえる。多分彼が私の顔を覗き込んでいるのだろう。本当にやめてほしいのだが。


 「幼馴染だ」と言い張って私が何度拒絶しても部屋に入ってくる彼と、次期公爵である彼に気に入られたいのか、嬉々として別の婚約者がいる娘の部屋へ案内する両親。

 貴族の常識としてあり得ない行動をする双方に、嫌気が差す。



「いつもありがとうございます、アレクサンドル様!うちの娘が大変申し訳ございません」

「いえ、先ほど夫人にも言いましたが、好きでしている事ですから」



 公爵令息様の声と父の声だ。

 父は少し息が切れている様子。多分仕事――と言っても、領地から送られてきた書類に判子を押すだけで、内容も見ていない可能性が高いが――を引き上げて、慌ててこちらに来たのだろう。

 少しでも彼に好感を持ってもらい、繋ぎを作りたいと父が思っているのが手に取るほどよくわかる。

 

 

「本当に感謝の言葉しかございません……! いつものように粗茶ではありますが、サイドテーブルに用意させますので……アパタオ、任せた」

「承知致しました」

 

 

 父らしき足音は遠ざかっていった後、中央にあるテーブルで何かが置かれた音が聞こえる。我が家を取り仕切る執事であるアパタオが、彼にお茶を用意しているようだ。



「どうぞお召し上がりください」

「いつもありがとう。そうだ、君にお願いしたい事があるのだけど、紙とペンを用意して貰えるかな?」

 

 

 コト、と音を立ててペンらしきものが枕元のサイドテーブルに置かれた後、私の耳には彼が筆を動かしている音が聞こえる。

 続いて書き終え筆を置いたらしき音も聞こえた。



「これを公爵家の執事に届けてくれる? 伝言は『埋め合わせはまた改めて』と……流石に君に私的な事をお願いするのは不味いかな……男爵に確認してくるよ」

「いえ、男爵様からは『アレクサンドル様から指示された事は、最優先させて良い』とご指示を頂いていますので、すぐに行って参ります」

 


 何か用事があったのかいっ! と私は頭で突っ込みを入れる。それ以外にも思うところはいろいろあるが、それに文句を言う前に眠気が襲ってきた。多分頭の痛みが先程よりは落ち着いてきたように思う。

 後でやんわりと苦情を入れなくては……と思いながら、私は眠りについた。

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