第15話 ミノタウロス姐さん登場

「なぁジロー。どうしてもミノタウロスの乳じゃないと駄目? 牛乳でもいいんじゃない?」


 ジローはムッと頬を膨らまし、頑なに首を横に振る。


「駄目なのかぁ……」


 俺はでっかい溜息をつく。

 このやり取り、何度目だろう。


 たった一つだけどプルーロを手に入れた俺達は、ミノタウロスの住処を探していた。手がかりは「グリフォンのいる場所の近く」と「多分洞穴に住んでいる」この二点。正直、見付けるの無理じゃないかと思っている。何なら、見つかんなきゃ良いのにとさえ、思っている。


 だって、ミノタウロスってさ、人を食うって言われてるんだぜ。上半身は人間で、下半身は牛。極めて残忍で冷酷な、肉食の半獣らしい。あんまり人と遭遇しないから、生態は謎に包まれているんだけど。


 レンヴット王国の盾と呼ばれるピーネ山脈。その一座を成すソール岳は、岩肌がむき出しになった急勾配の斜面が多い。目の前に現われたのは、人が一人やっと立っていられるくらい細い道で、右手に切り立った岩肌、左手には奈落の底に続くような崖という難所。


「ここ、進むのぉ?」


 情けない声が漏れる。俺、高いとこ苦手なんだよなぁ。特に足元が怪しいところが駄目。足がすくんで、動かなくなる。


 閃光が走り、ジローが犬化した。後ろ足を曲げて背中を見せる。


「乗って良いの?」


 問いかけると、ジローは高らかに一声吠えた。


「ジロー、お前良い奴だなぁ」


 ありがたく背中に乗せて頂き、モフモフの黒い毛並みを撫でる。グルル、と嬉しそうに喉を鳴らした後、ジローは岩の斜面を蹴り、ピョンピョンと一気に尾根まで登った。


 空が近くなったように感じる。眼下には幾つもの尾根が折り重なるようにして連なっている。軽く跳ねるようにジローは尾根を歩いて行く。風が心地よくて、俺はその歩みに身を任せる。


 だけど、あんまりにも何の迷いも無くズンズン進んでいくから、なんだか心配になってきた。


「乗せて貰っておいて言うのもなんだけど、そんなに闇雲に歩いて大丈夫?」


 背中をポンポンと叩いてみた。グルっと喉を鳴らしたけれど、何を言いたいのかはよく分からない。「大丈夫」とか「任せとけ」と言いたいのか、はたまた「進むっきゃないでしょ」的な無責任な返答なのか。


「ジローってさ、しゃべれないのか? 人間の姿の時も、犬語じゃん」


 無言。心なしか頭が下がったような。気を悪くしたのかな。俺はもう一度背中をポンポン叩いた。


「しゃべれないのが駄目ってわけじゃないよ。たださ、しゃべれたらもっといいなと思ったんだ。考えていることを伝え合えた方が、一緒にいて楽しいじゃん。お互いの事、もっとわかり合えるしさ」


 返事はなかった。ジローはただ黙って、ぐんぐん進む。


 馬に乗って父さんの後を追いかけてたことを、ふと思い出した。


 医術の学びを放棄し騎士になると言ったら、父さんは怒って大反対した。未成年が剣の練習場に行くには親の同伴が必要だから、ついてくるなと言う父さんの後を必死になって追いかけたんだ。


『折角メディシアンに生まれたのだから、医術を学びなさい』


 耳にタコができるくらい父さんはそう言って、俺を突き放した。でもさ、スパインピークに医術を説ける人はいないんだ。だって、母さんはたった一人のヒーリアンだったんだから。母さんの手伝いをしていたシスター達が「熱が出たらこれを煎じて飲む」「怪我を早く治したければこれを食べる」って感じの曖昧な知識を持っていただけ。


『王都へ行って医術を学べ』


 父さんはそう言って俺をスパインピークから追い出そうとさえした。


 当時の俺は、医術なんて信用していなかった。だって、当の本人が死んじゃったんだぜ。


 ある日母さんは、病気で呆気なく死んでしまった。


 「お腹が痛い、お便秘のせいかしら」なんて言ってから三日後に、倒れたんだ。寸前まで病人の治療をしていたから、腹痛が悪化してることに気付かなかった。ブラドを施した時には、真っ赤にただれた腸に穴が空き、そこから溢れた毒がお腹全体に広がっていた。当時俺は十二歳で、ブラドやジュールの使い方がやっと分かってきたところだった。お腹中に広がった毒を抑えるのに何を使えば良いのか分からなかったし、母さんも諦めた顔をしていた。


 母さんは、痛みに苦しみ抜いて死んだんだ。それを、ただ見ているだけしかできなかった。


 本当に医術に効果があるなら、ヒーリアンである母さん本人が病気で死ぬなんておかしい。医術では人を救えない。剣の方が、ずっと強い。そう思ってた。スパイン出血熱が流行するまでは。


 突然流行った恐ろしい病。その正体も治療法も、俺には全く分からなかった。母さんの残した医術の本を急いで読みあさり、プルーロの実が、一番早く手に入りそうで、効き目があると思った。もうその時には、町中に感染が広がっていた。


 俺がもっとちゃんと、学んでいれば。せめて日頃から母さんの本に目を通していたら、スパインピークがあんな悲しい最期を遂げずにすんだかもしれない。何もかもを失って初めて、医術の大切さを思い知ったんだ。


 涙が溢れて視界が霞んだ瞬間、おもむろにジローがスピードを上げた。髪が風に靡き、涙が空に流され、風切り音が耳朶を打つ。ジローは尾根の斜面を下り、森を突き抜けた。俺はジローの首にしがみつき、振り落とされないように太ももに力を込めていた。


 森を抜けたところで、ジローは足を止めた。顔を上げ、思わず歓声を上げる。


 澄んだ水辺が尾根の岩肌を映しだしていた。池の畔には青々とした草地が広がり、赤や黄色の花が咲き乱れ、白い蝶がひらひらと飛び交っている。風は湿り気を帯び、穏やかに頬を撫でる。


 風に歌声が混じる。鼻歌のような、小さな声だ。その音源を辿り、俺はびくりと身体を震わせた。


 まず目に飛び込んできたのは、白い布だ。木と木の間に渡したロープに、女性が白い布を掛けている。足元には籠があり、丸まった布が積み重なっている。洗濯物を干しているらしい。籠の傍にある足は、茶色い毛に覆われている。


 あれは、獣の足だ。蹄のあるがっしりとした足。腰の上は女の身体で、草色の前合わせの服を纏っている。長く豊かな黒髪を顔の横で束ねた女は、背を揺する。その背中から大きな翼が生えていた。女が自分の背を振り返る。赤子が背負い紐で、翼の付け根に括り付けられている。


 ジローの身体が光り、俺は慌てた。おいやめろよ、見つかっちゃうじゃん。


 案の定、女は顔を腕で覆い光を避けてこちらを凝視する。きつい相貌をした女だが、更に視線を険しくし、俺達を睨み付けた。ミノタウロスって顔は牛なんだと思ってた。ぽかんと口を開ける横で、ジローは地面に片膝をつき、頭を垂れる。国王陛下を前にした下僕のように。俺も慌てて、ジローと同じ事をする。


 よく考えると、ジローもミノタウロスも半獣だ。半獣には半獣の掟とかマナーとかそう言うものがあるのかも知れないしな。ここはジローを見習っておこう。そして、出来るだけ目立たないようにしておこう。


 ミノタウロスの女はよく通る声で言った。


「礼儀作法は良く出来ているじゃないか、犬公」


 失礼な奴だな、ジローを「犬公」呼ばわりするとは。ムッとしたけど、顔に出ないように気を付ける。ミノタウロスって人間を食うって言われてるしな。怒らせちゃ駄目だ。ジローは尻尾の毛一本動かさず、じっと頭を垂れ続けている。


「なんの用事だい。私は忙しいんだよ。洗濯が終わったらダーリンにご飯を作らなきゃならないんだ」


 ミノタウロスの陰が腰に手を当て、イライラした様子で顎先を上げる。ジローは顔を上げ、ミノタウロスを正面から見つめた。俺もそっと顔を上げる。ミノタウロスは眉間に縦皺を一本作った後、ふん、と鼻を鳴らした。


「気に入らないけど、仕方ないね。……おいで」


 ミノタウロスの言葉にジローはうやうやしく頭を下げ、立ち上がる。ミノタウロスは背中から赤子を降ろし、腕に抱いた。ジローが跳躍し、ミノタウロスの背後に立つ。


「ええ……!?」


 思わず声が漏れる。ジローが口を開けた。その口が大きく広がり、顔全体に及んだかと思ったら、ミノタウロスの後頭部に齧り付いたのだ。ミノタウロスの鼻の上にまでジローの唇が覆い被さっている。ミノタウロスは全て心得ているとでも言うように微動だにせず、赤い唇の端を持ち上げていた。


 これ、俺もやられたやつじゃん。あん時、こんなビジュアルだったのね。めっちゃくちゃシュールだ。人前ではやらないようにしよう。


 しばらくして、ジローの顔がミノタウロスから離れた。シュルっと元の濃い目の顔に戻る。再び跳躍して俺の隣に戻り、片膝をついて頭を下げる。


 ミノタウロスは小さく頷き笑みを深めた。


「成る程。人間のお姫様を救うために私の母乳を分けてくれと?」


 俺は顔を上げた。


「お願いします! ほんの少しで良いから、おっぱいを分けてください!」


 草地に両手をつき、頭を下げる。言葉に出して、変態じみたお願いだと改めて思う。気を悪くしないでくれたら良いんだけど……。

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