第12話 バジリスクの洞窟
洞窟の中は曲がりくねり、突然狭くなったり、這わなければならないくらい天井が低くなったり、もう途切れてしまうのではと思えば広場みたいに開けたりした。けれど細い斜面を降りてからは、両手を広げても壁に当たらないくらい広い通路が延々と続くようになる。通路の壁には幾つもの横穴や風穴があいていた。
天井からポツポツ落ちる水滴で岩壁も地面も湿っていた。カビのような据えた匂いが鼻をつく。
マールの持つランタンの光は弱くて頼りないものだっけど、これ以上明るく照らすわけにはいかない。バジリスクは眠っていることが多く、できるだけ静かに移動すれば、気付かれずに通り抜けられるのだとマールは言った。
蛇の癖に猫みたいだな、と思ったけれど、口に出すのは止めておいた。正直恐怖で喉がひりついていたし、足はガタガタ震えていたし。でも、「メディシアン=勇敢」みたいな先入観をもたれているから、怖がっていない体を必死に装っている。
地面はゴツゴツして歩きにくい。用心していたが大きな岩に足をぶつけ、たたらを踏む。
だってだって、ゴブリンの頭が、そこにあったんだもん!
なんとそれは、目を見開き、口を大きく開けたまま石と化したゴブリンの頭だった。マールのランタンは、横たわる身体を照らし出していた。バジリスクによって石にされた後、岩盤の崩落に巻き込まれたようだ。足元は崩れた岩の下敷きになっている。腕だったものが取れ、身体の横に無造作に転がっていた。
「ナシの親父だ」
小声でマールがそういって、口元を歪める。悲鳴を上げそうになり、口を手で覆って何とかこらえる。バジリスクは本当にこの洞窟に住んでいるんだ。その事実が恐怖の塊となって、腹の底にずどんと落ちてきた。
やだよ、もう。引き返そう。
格好悪い奴だと思われてもいい。マールにそう提案しようとした時だった。
俺の首元で、ジローが小さく唸った。同時に、湿った風が吹いた。生暖かい、なんとも言えない臭いの風だ。
「しまった」
マールがうめく。ずるずるずる、と何かが地面を滑る音が聞こえる。その音は洞窟の奥からこちらに向かって近付いてくる。シャーっと威嚇音が空気を震わせる。その振動に、痺れるような怖気が走る。
「早くこっちへ!」
右側に伸びている横穴へマールが走る。俺はその後に続いた。横穴は狭く、ジローは腹ばいになって俺の後をついてきた。ジローの足が完全に横穴に入り込んだ時、黒光りする鱗が入り口の前を通り過ぎていった。入り口の空間からは、腹の一部しか見えない。でも、腹の直径は俺の身長くらいはありそうだと推測できた。ってことは、俺を丸呑みするなんて大した事じゃないんだな。やべぇよぉ。
まぁ、取り敢えず逃げおおせた。そう思って息を吐いたんだけど、強い振動に襲われて身体がぐらぐら揺れた。横穴の入り口が振動で崩れ、塞がっちまった。転がり込んできた岩を、ジローが足を折り曲げて避ける。
「急いで!」
マールが前進する。それ以外に選択肢はない。バジリスクが身体を洞窟に打ち付けているみたいだ。その振動で横穴の壁が揺れて、俺たちを追いかけるように崩落していく。
「ひえー!」
悲鳴を上げながら、必死で走る。
マールのランタンが横穴の先に空間を映しだした。俺たちはそこへ飛び込んだ。ジローの身体が横穴から滑り出たと同時に、崩落した岩が横穴を完全に塞いでしまった。
危機一髪だ。
俺は身体を折り曲げ、荒く呼吸をする。丁度良い岩があり、そこへ腰を下ろした。岩はヌメヌメと湿っているが、ひんやりとして心地よかった。辺りを見渡せば、広い通路が行く手を闇に隠している。横穴をぐるりと通って、結局元の道に帰ってきたのかも。って事は、バジリスクがどこかにいる?
「あうう!」
ジローが吠える。尻に敷いていた岩がずるりと動き、俺は地面に転がった。顔を上げるとジローが険しい顔で俺を見下ろしていた。その頭上に、バジリスクの鎌首が持ち上がっている。金色の目がぎょろりと動く。
やばい、睨まれる。
そう思ったけど、心臓だけがバクバク動き、身体は全く動かない。
閃光が、視界を覆う。ジローの身体が発光し、俺とバジリスクの視線が交差するのを遮った。俺は目を閉じ、顔を腕で覆う。光が消えた後には、犬と化したジローがいた。
バジリスクの陰が微かに岩壁に映っている。威嚇音と共にその口が大きく開いた。
ジローが食われる。とっさに剣の柄を握った。だけど、それを静止する意識が頭に流れ込んでくる。混乱する頭に、鏡の映像が浮んだ。
『旅に出るときは、鏡を忘れずに持っていくように』
ハイドの目尻にくっきり浮んだ皺が、その声と共に蘇った。俺は背負っていたずだ袋を降ろし、中から手鏡を取り出す。
ジローの足が地面をける。巨体を空に踊らせて、一直線にバジリスクの口へ飛び込んだ。
「ジロー!」
バジリスクが口を閉じる。その口から閃光が漏れた。鎌首の奥がぼっこりと盛り上がる。あれは、人の姿に戻ったジローの頭の形だ。ジローは細長い身体の中で立ち上がり、そのまま奥へと進んでいるようだ。身体を殴りながら進んでいるのか、時折ボコボコとした突起が出来ては消える。バジリスクは苦しげに身を捩り、のたうち回る。
「く、食われちまった……」
マールがその場に、崩れるようにしゃがみ込む。足元に黒い水たまりが広がっていく。
「くそう! こうなったらやけっぱちだぁ!」
俺は叫び、右手に剣を握り地面を打った。その音に気付いたバジリスクがこちらに顔を向ける。俺は跳躍し、バジリスクの頭に乗った。頭はずるずるとぬめっていて滑る。バジリスクが俺を振り払おうと頭を大きく振る。
「くっ」
歯を食いしばり、腹に力を入れて振り落とされないように踏ん張る。バジリスクの体は、俺の力を嘲笑うようにぬめる。
「ああ! しまった!」
バジリスクが首を下げた。その振動で、手の平がずるりと滑った。そのまま身体がずり落ちていく。このまま地面に叩き付けられたら怪我ではすまないかも。
そう思った時、幸運にも足先が窪みに引っかかった。その足先に力を込め、身体を支える。シャーという音と共に身体を押しつけている場所が振動し、足先の窪みから生暖かい風が吹き出した。
え、これ、鼻の穴?
慌てて視線を下げる。鼻の上には当然目があるよな。それ見たら石になっちまう。
視線の先に、ジローの形が見えた。ジローは着実に先に向かって進んでいて、今は長い胴体の半ばを過ぎたところにいる。
でもさ、このまま先に進んだってどうしようも無いよな。いずれは行き止まりになっちゃう。時間が経てば、いくらジローが固そうなマッチョだからって、消化液で溶かされちまうよな……。
ジローを救うには身体を断ち切るしかない。でもそんなことしたら、バジリスクの祟りにあうかも。ゴブリンの妄想だったらいいんだけどさ……。
俺は、鏡を手にした時からある方法を思いついていた。でも、失敗して石になる可能性が高いから、躊躇していたんだ。
でも!
迷ってる暇はない!
俺はゴクリと唾を飲み込んでから、左手に鏡を、右手に剣を持ち両足にグッと力を込めて身体を起こした。
「うわあああああ!」
鼓舞するように声を上げ、鏡を眼前に翳したままバジリスクの鼻梁を駆け上がる。
悲鳴のような威嚇音が、途中で途切れた。俺の足元が急に固くなった。目を開けると俺は頭頂に立っていて、バジリスクの身体が尾に向かって石化していくのが見えた。俺は身体を駆け下りた。ジローのいるところへ急ぐ。
ジローのいるところが石化すれば、中にいるジローも石になってしまう。その前に、胴体を断ち切らなければ。石化のスピードは思いのほか速く、ぐんぐんとジローのいる場所へ迫っていく。
「はああああ!」
俺は全身の力を振り絞り、石化した大蛇の背を蹴る。俺の身体は弾丸のように空を飛び、石化している場所を追い越した。
「あわわわわ!」
着地したのはジローのいる少し手前だった。加速度のついた身体をとめられずそのまま走り続ける。ジローが腹の中でこちらに向きを変えたのが分かる。腹が横に広がり、俺の身体を包む。
剣を振りかぶる。腹から息を吐き出しながら、体を回転させるようにして胴体を切断した。すぐにそこから飛び降り、切断面の中に腕を入れる。
ジローの手が、俺の手を掴んだ。俺はその手を、思い切り引っ張る。切り離された身体が苦しげにのたうち、吐き出されるようにジローが姿を現した。
「ジロー!」
「あううう!」
俺はジローの身体に飛びついた。俺の身体をジローががっしりと受け止める。ジローの身体は、バジリスクの体液でドロドロだったけれど、全く気にならなかった。
けたたましい音と共にバジリスクの身体が地面に倒れた。後ろ側半分を失いバランスを崩したせいだろう。石化を免れた尾はまだグネグネとうねっている。
「俺は殺しちゃいないぜ。お前は自分の目を見て石になったんだからな」
横たわる石像に向かい、念を押すように俺は言った。
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