第10話 あの日の夢

 背負いカゴ一杯のプルーロは重たかったけれど、構わず全力で断崖を駆け上った。向かいの崖から数匹のグリフォンが冷たい視線を投げている。刺激したら襲われるかも知れなかったけれど、急がずにはいられなかった。


 領主様が病に倒れた。その従士達もみんな。父さんもその中の一人だ。修道院のシスター達も、町の住民の殆どが病に冒されている。


 スパイン出血熱。


 高熱と下痢から発症し、やがて皮膚に血腫が出来る。眼球が血でただれ、その血が涙のように溢れる。やがて肺も血液で満たされ、自らの血で溺れるように死んでいく。


 最初の感染者が発見されてからたった三週間で、スパインピーク全体に広がった病だ。その病を治療するための食材を、母さんの残した辞典をめくって調べ、プルーロに行き着いた。


 父さんを救わなければ。優しい領主様、母さんの代わりに世話をしてくれるシスター達。みんなを、救わなければ。


 険しい山を切り開いて作られた、小さく貧しい町だった。山は広い河に囲まれていたから、向かいの尾根に繋がる吊り橋が、唯一の町外につながる道だった。鉱山で採掘されたダイヤの原石を、馬の荷台に積んで近隣の都に運び、引き換えに運んでくる食品や日用品で暮らしていた。皆が助け合い、平等に収益を分ける。町全体が一つの家族みたいなものだった。


 その町で生まれた魔人の俺は、皆から大切に扱われていたんだ。その恩に報いなければ。俺の命にかえたとしても。


 森を抜け、橋のたもとに辿り着いた俺は、愕然とした。


 スパインピークの峰が煌々と燃えている。

 町が、燃えている。


 消さなければ。早く、消さなければ。


 町に繋がる橋に足を掛けようとした。だが、その橋は足を乗せる寸前でガラガラと崩れ落ちた。切り立つ崖に吸い込まれるように。こちら側に繋がった橋は、崖の岩にぶつかって激しい音を立てる。


 呆然と上げた視線の先に、父さんが立っていた。父さんは鎧を纏っている。魔獣退治に出かける時か、祭りのパレードでしか着ることはない。


 従士にとって、鎧は命であり晴れ着でもある。


 燃えさかる炎を背に立つ父さんは、血の涙を流していた。


 父さんは下げていた剣を鞘ごと掴み、全身を使って放り投げた。鋭い弧を描き、剣は俺の足元に落ちる。柄頭にダイヤモンドをあしらった自慢の剣。自身の命と言っても良いものだ。


「王都へ行け!」


 対岸から、父さんが叫ぶ。そして、背を向けて炎の中へ消えていった。


 スパイン出血熱を外に出さないため、町ごと燃やして病を封じたのだ。その炎に俺を巻き込まないよう、プルーロを採りに行った隙に。


 俺は地面に膝をつき、泣き崩れる。それ以外何も、出来はしなかった。


 身体の水分が全て出てしまうのではないか。そう思うくらい俺はその場で泣いていた。炎は何日も燃えさかり、激しい雨によって消えた。雨は俺の全身を濡らした。自分が濡れているのが涙のせいなのか雨のせいなのか分からず、寒さに震えた。


 雨が止み、地面が乾き、俺の身体も乾いた。


 鉱山からはまだ黒い煙が立ち上っていた。やけに晴れた空を、グリフォンの群れが舞っていた。


 俺はやっと立ち上がった。剣を腰に差し、籠のプルーロで腹を満たし、歩き始めた。父さんが最後に残した言いつけに従うしかなかった。俺は一人になったけれど、まだ、生きていたから。

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