第8話 ゴブリンの息子

 コクロの茎を編んだゴザに、三歳くらいのゴブリンが寝ていた。高い熱があり、その全身は赤く染まっている。


朱殷熱レグア……」


 思わず呟く。朱殷熱レグアは体内が火事になったように赤くただれ、それが体中に広がる病で、病気の進行と共に身体が赤く染まっていく。死者の身体は血液の色、つまり朱殷レグにそまることからその名が付けられている。


 栄養失調や持病がある人、子供や老人など虚弱な人がかかると八割方死に至る。しかし、普段からしっかりと栄養が行き渡った成人は、熱と赤い斑点が少し出るくらいでおさまり、二度と病にはかからない。


「こんな病気、我々にとってはただの風邪なんです。けれど、最近は毎年誰かしらの命を奪うようになりました。特に幼い子供がかかると、危ないんです」


 メリーと名乗った母親ゴブリンが、子供の額から汗を拭う。


「病が重症化したんですか」


 問うと、メリーは首を横に振った。


「栄養が足りないのです。コクロの収穫量はどんどん少なくなっています。私達はいつも、飢えています」

「コクロが駄目なら、別の食べ物を食べればいいのに。山には動物がいるでしょう? 動物の肉は滋養がありますよ」

「動物なんてすばしっこくて、捕まえるのは無理です。偶然死んだ獣を見付けた時にやっと肉にありつけます」

「病死した動物なんて、食べてちゃだめですよ。病気をもらってしまいますよ」


 俺は眉を寄せる。ゴブリンは知能が低く、武器やわなを作る術を持たない。動きが鈍くて鈍感だから、不用意に森に入れば、熊や狼に食べられちゃうかもな。だから安全な盆地に住み、穀類を食べて生き延びてきたんだ。


「コクロを栽培してみたら? 繁殖力の強い植物みたいだし。種を取っておいて、来年の春に土を耕して植えたら、一杯収穫できるんじゃないかな」

「そんなことをしたら、盆地のバランスが一気に崩れてしまう」


 ナシという父親ゴブリンが首を横に振る。


「盆地のバランス……」

「そうです。盆地には盆地の生き物がそれぞれお互いを支え合って生きているんでやす。そのバランスを自分たちの都合で崩したら、盆地が枯れちまうかも知れない」


 返す言葉を失った。確かに、隅から隅まで見渡せるこの土地で畑を作れば、咲けない花が出てくるかも知れない。その花に寄生している虫や小動物が、生きる術を失うかも知れない。


「この子が死ぬのも、そういった自然の流れなのかも知れませんが……。あなたが現われたのも、自然の流れだと。どうか、この子を救ってやってください」

「……救えたら、貴重だと思いますがコクロを少し分けてもらえますか。俺も、人の命を救うためにコクロが必要なんです」


 メリーが頷き、俺の方へ身体を寄せた。


「私が飢えてもいいのです。どうか、この子の命を救ってください!」


 俺は頷いた。そして、朱殷熱レグアに効く可能性のある食材に思いを巡らす。


『原因を探りなさい。全ての物事に原因があるように、病にも必ず原因がある。その原因に働きかける成分を身体に足して、毒を弱め、打ち勝つ力を強めるのです。何らかの結果が出たら必ず検証しなさい。原因究明、実行、検証。これを繰り返して、医術は発展するのです』


 母さんの声が耳に蘇り、はっと顔を上げた。その声を聞いたのは何年ぶりだろう。けれど、懐かしさに心を奪われている暇はない。


 症状を起こしている原因。朱殷熱レグアは体内に入った毒が火事を起こす。病気の毒が血液によって全身に運ばれて行き、五臓六腑が破壊される。肺や肝の臓がやられたら命を失う。


 身体には病を癒やす力が元々備わっている。丈夫な人間は朱殷熱レグアの毒を自分の力で打ち消すことが出来る。虚弱な人間は毒の勢いに負け、火事が全身に広がっていく。


 ということは、毒の作る火事を片端から消していけば良い。同時に、身体を強くする栄養を補給し毒と戦う力を強めるんだ。


 だが、その食材が思いつかない。母さんの持つ辞典には沢山の食材が載っていたけれど、暗記する前に学ぶのをやめてしまった。


「あう」

 ジローが俺の肩に手を置き、うるうるとした視線を送る。尻尾がパタパタと揺れている。


「助けてくれるか、ジロー」

「あう!」


 ぐるんぐるんと尻尾を回してから、背後に回る。俺は覚悟を決めて目を閉じた。


 俺の頭をジローの口が覆う。首筋に生暖かい息。でも、今度は額に歯が当たらなかった。


 黄色く染まった視界に黒い線が現われ、幾何学模様を作る。それがぐるぐると変化し、真っ赤な実に変わった。


 トメリだ。

 太陽の光を浴びて真っ赤に熟す野菜。水分がたっぷりで、果肉はゼリーみたいにぷるぷるしている。


 火事を鎮火する力が強く、身体を内側から蘇らせる。普段からトメリを食べていたら病気にかからないと言われるほど滋養に富んでいる。


 俺から離れ、得意げなジローの頭を撫でてから、ナシを振り返る。


「この辺で、トメリのなっている場所はありませんか」

「あ、あります。ありますけんども……」


 青ざめる妻の背に手を置きながら、ナシが言いよどむ。その口元が、苦しげに歪んだ。


「そこへ行くには、バジリスクの住む洞窟を通らなければならないのです……」

「バジリスク」


 俺は思わず言葉を繰り返した。途端に腕に鳥肌が立つ。ジローの耳がピンと立ち上がる。バジリスクは巨大は蛇の形をした魔獣で、鋭い牙に毒があり、視線を合わせた者を石に変える。


「洞窟の先には日の当たる窪地があって、そこにトメリが自生しているんでやす」


 苦渋に満ちたナシの言葉に、ゴクリと喉を鳴らし唾液を呑み込む。


 バジリスク。俺はまだ対峙したことがないが、石になった姿を目にしたことはある。その顔は、この世の終わりを目にしたかのように、恐怖に歪んでいた。


 そんな化け物、相手にしたくないや。トメリじゃなくて、他にいい手はないのかな。


 ジローに視線を注いで口を開きかけた時、メリーが俺の手を取った。


「メディシアンはとても勇敢だと伝え聞いています。どんな困難なことがあっても、病に苦しむ者がいたら命がけで食材を手に入れ、その病を癒やすのだと。きっと、バジリスクなどにひるまずトメリを取ってきて下さいますよね?」


「え、えええええ……」

 

 うるうる揺れる瞳に、俺の頬が引きつる。

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