しあわせなせんたく
ユウヤミ
しあわせなせんたく
毎日毎日、同じことの繰り返し。
ポイポイと私の中に放り込まれるシャツや下着やタオルなんかを、流し込まれた水といい匂いの洗剤でじゃぶじゃぶ洗う。天気が悪い日は、そのまま乾燥までしっかりやってあげたりもする。
これが私の毎日の仕事で、一日の稼働時間はだいたい三十分から三時間くらい。
まあまあの短時間勤務だけど、私、結構頑張っていると思うよ。
こびりついた汚れだってそれなりに綺麗にするし、なるべくシワにならないように洗っているはずだし、タオルはふわふわに仕上げているつもり。
早朝でも真夜中でも関係なく、スタートボタンを押されたら文句なんて言わずに最大限のパフォーマンスでせっせと仕事をこなす。
だけど誰も、私に「ありがとう」なんて言ってくれるわけじゃない。
それはきっと当然のことだというのは分かっている。だって電子レンジや冷蔵庫に向かって、「ごはんを温めてくれてありがとう!」「野菜の鮮度を保ってくれてありがとう!」なんてわざわざ言う人はいないのだから、それと一緒。
もしそんな人がいたらちょっと――いや、かなりやばい人かと思ってしまうかもしれないし。
分かってはいるけれども、それでもやっぱり、何か欲しい。
「ありがとう」なんて言葉でなくてもいい。何かやりがいとか、楽しみとか、程よい刺激とか、何でもいいから何か欲しい。毎日毎日、同じことの繰り返しだと思わなくなるような、そんな何かが。
そんなことを考えていたある日、私の中に放り込まれるものの様子が少し変わった。
これまでは紳士用のシャツとか婦人用の下着とか靴下とか、成人した男女二人分の衣類やタオルばかりであったのに、それとは別にポイポイと放り込まれるようになったのは、小さな小さな赤ちゃん用の肌着やお洋服。
こんなわずかな面積の布切れで包み込める生き物って一体何なんだよと思ってしまうくらい本当に小さくて、なんだか甘くて柔らかいミルクのいい匂いがして、とっても優しい素材でできていた。
赤ちゃん用のものは大人たちのものとは別にされ、使う洗剤も違っていた。いつも使っているものより、刺激が少ない優しい成分のもの。
とってもとっても大切なんだなって、すぐに分かった。
だから私もその気持ちに寄り添わなくてはならない。そんな使命感を感じてしまったものだから、私の中に放り込まれた赤ちゃんのものは、生地を傷めて毛羽だったり毛玉ができたりしないようになるべく優しく、且つ、汚れはしっかりと落としきれるようにしっかりと、慎重にじゃぶじゃぶ洗うように努めた。
と、言ってはいるものの、私がどんなふうに動いてどんなふうに洗うかについては、ボタン一つで自動的に設定されてしまっているのが本当のところなので、これはあくまでも私の気持ちの問題なのである。
赤ちゃんのものが放り込まれるようになってから、じめっとした日陰のようだった私の毎日は、まるでそこに日が差したかのように明るくなった。
デリケートな素材が多いから、これはどんなふうに洗おう、それはこんなふうに乾燥させようと考えるのがとても楽しい。
私の中から取り出したお洋服を触って、「わあすごい、ふわふわ」なんて言ってもらえた日には、それはもう踊りだしてしまいそうなくらいに嬉しかった。まあ実際にそんなことをしてしまったら、ついに故障したかポンコツめ、と思われるに違いないからじっと我慢したけれど。
最初は本当に小さな布切れだったのに、赤ちゃんの肌着やお洋服はあっという間にサイズアップしてどんどん大きくなっていった。
繋がっていたはずのお洋服は、そのうち上下に分かれるようになった。
多い時には一日十枚以上も洗っていたよだれかけが、いつの間にか一枚も放り込まれなくなった。
いつも汚れていたトイレトレーニング用のパンツではなくなって、普通の幼児用パンツになった。
汎用的な動物や乗り物なんかの柄のものばかりだったのに、流行りのキャラクターがプリントされたものに入れ替わっていった。
赤ちゃんは、いつの間にか赤ちゃんではなくなっていた。
毎日がちょっとした変化の連続で、それはすごく楽しくて、ほんの少し切なくて、私は本当に幸せだった。
毎日毎日、同じことの繰り返しだなんて考えていた日々が、すでに懐かしく思えてしまう。
あの頃と比べると、私の仕事量は倍以上にはなっている。一度に洗うものの量や汚れは明らかに増えたし、一日に動く回数だってそうだ。洗う時に気を遣うことも増えて間違いなく大変にはなったけれど、つらくはない。
しんどさは二倍になったかもしれない。でも、楽しさは十倍だった。
人気アニメのキャラクター柄をせっせと洗っていたと思ったら、それもだんだんと減っていき、気が付くと無地の大人っぽいデザインのものへと変わっていった。
そのうち普段着よりも、制服のシャツや体操服、部活のユニフォームを洗うことのほうが多くなった。
いつの間に小学生になってたの? あれ、もしかしてもう中学生だったりして?
瞬きする間に、すっかり大きくなってしまったのね。
そして私自身にも、ほんの少しずつ変化が表れるようになった。
少し前までは、気合を入れてぶんぶん体を動かしても全然問題なかったはずなのに、最近はなんだか動きが鈍くなってきているような気がする。
ああ、私も気が付かないうちに、随分と年をとってしまったのね。毎日の幸せな日々のせいで、そんなことは気にもしなかったけれど。
そう自覚してからそれほど経たないうちに、突然その時はやって来てしまった。
体に力が入らなくなって、脱水ができない。いつもみたいに体をぶんぶん回しているつもりなのに、思い通りに回ってくれない。
――ああ、ついに壊れちゃったんじゃないか。
――長いこと使ってるからね、いい加減、買い換えないとダメかもね。
そんな会話が聞こえてきた。
私、ここでもう終わりなのかしら。まだまだこの家で一緒に過ごしたかったし、ずっとそうするつもりだったのに。
もう少し、あの子の成長を見守りたかったのに。
何なら、いつかまた産まれるかもしれない赤ちゃんのものも、私が洗ってあげたかったのに。
何日かして、私の代わりとなる新しい洗濯機がやって来た。
これまでずっと私がいた場所にセッティングされたその最新家電には、私には付いていないカッコいい液晶タッチパネルなんかが装備されていて、新品の白いボディはぴかぴかと輝いて見える。
薄汚れてボロボロの壊れた私はといえば、このあと小さなトラックに乗せられてどこかへ連れて行かれるらしいのだけれど、一体どこに向かうのだろう。
このまま粗大ゴミとして処分されるのか、それともリサイクルされて別の何かに生まれ変わるのか。
どちらか選んでいいのなら、当然、後者がいい。
そしてもし私のわがままを聞いてもらえるのであれば、もう一度、洗濯機として生まれたい。
電子レンジになっておいしそうなごはんを温めるのもいいし、冷蔵庫になって野菜の鮮度を保つのも魅力的だと思うけれど、やっぱり洗濯機がいい。
もう一度、世界一幸せな洗濯をしたい。
小さくていい匂いのする赤ちゃんのお洋服を、めいっぱいの心を込めて優しく洗い上げたい。
その子の成長を感じたい。
そんなことを願ってしまうのは、やっぱり贅沢なのかしら。
体格のいい作業員の男性二人に抱え上げられた私は、狭い玄関を通って家の外に出され、そのまま軽トラックの荷台に乗せられた。
走っている途中で落ちたり倒れたりしないよう、ロープで固定されているとき、長い間私を使ってくれていた人たちが近くに寄って来て、すっかりくたびれてしまった私の体にそっと触れた。
――今まで、ありがとう。
ずっと昔、憧れていた言葉を最後にくれた。
こちらこそ、私の狭い脱水槽では抱えきれないほどの、こぼれそうなほどの思い出をありがとうございました。
あなたたちの大切な赤ちゃんを包むお洋服を洗わせてもらえたこと、その子の成長を日々この身で感じられたこと、皆さんの人生にほんの少し関われたことが、私の中できらりと素敵に光る宝物になりました。
スクラップされてゴミとなるのか、リサイクルされて別の何かとして生まれ変わるのか、これから先の私がどうなるのかは分からない。
でも大丈夫。
この素敵な思い出があるから、怖くはない。
トラックが動き出し、荷台で少し揺れながら、私は青空の下へと旅立って行った。
しあわせなせんたく ユウヤミ @yumaxxx
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