家が燃えた、家族の話
ユウヤミ
父
家が全焼したんですよ。ええそうです、愛しの我が家ですよ、マイホームです。
住宅ローンはまだ残ってましたけど、まあ保険で補填できたのでなんとかなりそうではありますね。でも、まあ正直きついですよ。焼けてなくなった家のローンだけ払い続けるっていうのは。
火事の知らせを聞いたときは、もう本当に顔は真っ青、頭は真っ白になりましたよ。その場でふらっと倒れて頭とか打って、死んでしまってもおかしくなかったと思います。まあそうはならなかったわけですけど、そのときは、それくらいショックだったってことです。
当時家にいた次女はさっさと避難してくれたようで、ケガもなく無事と聞いたときにはもう、逆の意味で倒れそうになりました。安堵したってことですよ。え、それくらい分かります? ああそうですか、それはどうもすみません。
ああ、火事のとき、僕と妻は家を空けていたんですよ。
妻の親戚に不幸がありましてね、僕も何度かお会いしたことがある人だったもんですから、僕も妻と一緒にそちらのお宅へ向かったんです。うちから車で三時間ちょっとかかりますから、午前のうちに出発して、その日はもう向こうに泊まって、翌日に帰ろうってことになりました。
次女にも一緒に行くかと声をかけたんですが、テストがあるとかで、勉強したいから行かないって断られましてね。
まあ、中学生ですからね。難しい年頃ですし、女の子ですからね、いろいろあるっていうのは分かっているつもりですよ。
亡くなったのが次女と面識のある親戚なら無理言ってでも連れて行ったんですが、一度も会ったことはなかったはずですからね。妻も、まあいいんじゃない、あの子も留守番くらいできるでしょうってことで置いていくことにしたんです。
で、問題はそこじゃあなくて。
実は火事のとき、家にはもう一人娘がいたんですよ。十八歳で、次女とは四つほど年が離れているんですが。
それでですね、ちょっと言いにくいんですが、その長女は所謂「引きこもり」ってやつだったんです。いつからだったかな、確かもう二年半くらいは経つのかな? まあだから、当然高校にも行っていませんよ。
二階にある自分の部屋に引きこもって出てこないもんですから、その日も当然、家にいたわけです。一緒に来るかなんて、声すらかけなかったと思いますよ。もう、ちょっとはっきり覚えてませんけど。
でね、家が燃えているとき、長女は逃げ遅れたんです。何のためか知りませんけど、引きこもりを始めたときに段ボールやなんかを使って、自分の部屋のドアや窓を内側から封鎖していたんです――え? ああ、なるほど。仰る通り、誰も入って来れないようにしていたのかもしれませんね。
しかも消防の人の話によると、しっかりしたベニヤ板なんかがベタベタに張ってあって、かなりガチガチに封鎖されていたみたいなんですよ。確か僕の記憶だと、引きこもり始めた頃はそこまで大げさに封鎖していたことはなかったと思うんですが。
まあとにかくそういうわけで、部屋のドアや窓がそんな状態だったせいですぐに逃げられなかったんでしょうね。
次女は、「お姉ちゃんには逃げるように声をかけたし、ドアを開けようとしたけど開かなかった、びくともしなかった」と言っていました。
それで、逃げられなかった長女はそのまま部屋で亡くなってしまった――そう思うじゃありませんか。
それが、そうじゃなかったんですよ。だから困ってるんです。
家の焼け跡から、焼死体が見つかったんです。でも見つかったのは、長女ではなかったんですよ。別の女の子だったんです。
そして、ずっとその部屋の中に閉じこもっていたはずの長女の姿はそこにありませんでした。
どうですか? 意味がわからないでしょう? どういうことなんでしょうね、これ。残念ながら僕にはまったく、何が起きているのかさっぱり分かりません。
――そうですね、今あなたが仰ったようなことを言う人も確かにいますよ。
焼死体となっていた人物が長女の部屋に侵入し、運の悪いことに、そのまま火事に巻き込まれてしまったんじゃあないかって。
でもね、それは有り得ませんよ。
なぜかって、さっき僕が言ったように、長女の部屋は内側から封鎖されていたんですよ。引きこもりを始めた二年半前からずっとです。しかも、火事のあったときにはそれはもうガチガチに封鎖されていたということですから、誰も長女の部屋には入れないはずなんですよ。
外からあのガチガチのバリケードを破るとしたら、もうドアや壁ごとぶち壊すしかないと思うんですけどね、さすがにそんなことをしたら他の家族が気付かないわけないですから。
長女が自分でドアを開けた可能性、ですか?
さあ、それはどうでしょうか……。絶対にないとは言い切れませんけど、わざわざバリケードを外して人を中に招き入れ、自分はそのタイミングで部屋の外へ出て行ったということになりますよね?
そうすると、長女の代わりに部屋に入った人物がわざわざもう一度バリケードを張り直したってことになりますよね?
どうしてそんな手間のかかることをしたのかって話になりますし、そうする意味も全く分かりません。そもそも引きこもり状態の長女に会いに来る人物なんて、この二年半で、たぶんですけど一人もいませんでしたよ。
引きこもる前は、お友達は多いほうだったはずなんですけどね。まあなかなかね、引きこもりに会いに行こうとはならないんじゃあないですかね。お友達のほうだって、いろいろと思うところはあるでしょうしねえ。お互い気まずいみたいな感覚もあるだろうしね。
当時は確か、隣に住んでたナナコちゃん? あれ、ナツコちゃんだったかな? ちょっと名前が曖昧ですけど、その子とも結構仲良くしてたと思うんですけどねえ。会いに来ることはなかったなあ。
そうそう、長女が引きこもってしまってから半年? いや、一年くらい経ったころかなあ。僕のクレジットカードが盗まれちゃったんですよ。いや、財布はカバンの中にちゃんと残ってたんですけどね、カードだけなくなってたんです。
あれ、どっかで落としちゃったかなあとか考えてたんですけど、犯人はすぐに見つかりました。見つけたというか、気付いたというか。
まあ、お察しの通りですよ。カードを盗んだのは長女でした。
ほら、クレジットカードで支払いすると、次の日くらいに「ご利用のお知らせ」みたいな通知が来るじゃないですか、メールとかでね。
――そんな通知来ない? いやほら、それはカード会社によるでしょうから、それを僕に言われたって困っちゃいますよ。
まあそれでね、カードがなくなったから早めにカード会社に連絡して利用できないように止めてもらわないとな、なんて悠長に考えてたら、その「ご利用のお知らせ」メールが届いたんですよ。もう誰かに使われたのかと思って焦って内容を確認したら、ザザタウンで五万円以上買い物されちゃってたんですよね。
ザザタウン知らない? テレビでCMよくやってますよ。まあ、実は僕も知らなくて次女に教えてもらったんですけどね、ファッション系の大手通販サイトらしいです。
それで次の日かそれくらいに、大きな荷物が長女宛に届いてね、段ボールにザザタウンのロゴがデカデカと入ってたもんですから、ああ、これは長女が僕のカードを盗んで使ったんだなって分かったんですよ。
盗んだこともですけど、五万って結構な金額じゃあないですか。
さすがに父親として、これは叱らないとなあと思ったんですけどね、なんというか、引きこもりなんて特殊な状態の難しい年頃の娘に対して、一体どんなふうに注意すればいいのか分からなくなっちゃってね。結局何も言えないまま、なあなあで終わらせちゃったんですよね。
いや、私だって別に娘に無関心ってわけじゃあないんですよ。子どものことは妻にすべて任せきり、なんてこともしていないつもりです。
学校の行事だって習い事の発表会だって、仕事に都合をつけて可能な限りは参加していましたし、家にいるときは娘たちの話を聞いたりとか、こちらから話しかけたりもしていました。
ええまあ、学校どうなんだとか、テストの結果がどうだったとか、友達の話とか、そんな感じの普通の親子の会話ですよ。
好きな男の子の話? ああ、そうですね。父親としては、正直あまり聞きたくはない話題ではあるんですけどね。昔はよく聞かされてましたね。昔って、本当に昔ですよ。去年とか一昨年とかでなくて、娘たちがまだ幼稚園児の頃とかの大昔のことです。
もも組のナニナニ君がかっこいいとか、りんご組のマルマル君にお手紙を書くんだとか、そんな可愛らしい恋の話を、恥ずかしげもなく楽しそうにしてきたもんです。
小学校の三年生くらいになると、さすがにもう父親にそんな話はしてくれなくなりましたね。妻とは、こっそりそういう話をしているみたいでしたけど。
彼氏ですか? 誰の? ああ、長女ですか? さあ、そういう相手がもしかしたらいたのかもしれないですけど、僕は聞いたことありませんでしたね。そういう素振りもなかったと思いますが――。
でもいなかったと思いますよ。だってほら、もしそんな相手がいたんだとしたら、部屋に引きこもって出てこなくなるなんてことにはならないでしょう。毎日でも会いたいと思うだろうし、デートだってしたいだろうしねえ。
父親としては複雑ですけど、そういう相手がいたほうがよかったのかなあ。そうしたら長女だって、引きこもりにならずに、今だって元気に、一緒にいてくれたのかと思うとねえ。
なんかいろいろ言ってますけど、そりゃあ僕だって、かわいい娘の花嫁姿を見たいって気持ちはありましたよ。特に長女はね、やっぱり初めての子ですから特別なんですよ。
親ばかだと思われるかもしれませんけど、長女は結構美人だったんです。器量もいいし、明るくてね。だから放っておいても、二十代後半くらいで結婚して、家を出て行っちゃうんだろうなあなんて考えてたんですよ。
それがまさか高校生になる前に引きこもりになって、そのまま家ごと燃えちゃって、しかもなぜか長女の部屋からは別人の焼死体が見つかって、肝心の長女はどこに行ったかわからないなんて、こんな未来を一体誰が想像できます?
綺麗なウエディングドレスを着た長女と腕を組んでバージンロードを歩いて、「お父さんありがとう」なんて言われて僕はうっすらと目に涙を浮かべて「おめでとう」なんて言っちゃう予定だったのに、そんな未来は来なかった。
これからも、そんな未来が戻ってくるとは思えないですよ。
数年ぶりに姿を見せた愛する長女は、焦げた別人だったんです。
悲しいことですけどね、これが現実で……、現実なんですよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます