第40話 この世界は私に優しくなかった……けれど

 明日花side……★


 母が死んでから、私の世界は色を失ったように味気ないものと化していた。

 まるで夜の砂漠に落とされたような、果てしない絶望が広がって救われない気持ちでいっぱいだった。


 だけど壱嵩さんと出逢ってから彩りが戻って、咲き誇る満開の花々のように鮮やかな色彩で煌めいて。


 優しいが溢れ出した。


 世界は私が思っていたよりも、温かかったのだと気付かされた。



「明日花さん、大丈夫? もう終わりの時間だけど」


 目の前でヒラヒラと動いた指。心配そうに見つめる壱嵩さんの表情に、私は安心したように吐息を溢した。


「……うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」


 どんな時でも私を真っ先に気遣ってくれる彼に感謝しながら、立ち上がろうとテーブルに手を掛けた。

 だけどいつものように直ぐに立てない。重心が傾く。よろめくように立つと、直ぐに手を差し伸べて支えてくれた。


「首元が赤いな。もしかして間違えてお酒を飲んだ?」


 耳元で囁く声がくすぐったい。思わず掴んだ胸元の服をクシュっと握って、壱嵩さんの鎖骨の辺りに額を当てた。


 頭がボーッとするのはそのせい?

 フワフワするような、クルクル回るような、不思議な気分。直ぐ近くにある彼の耳元に鼻先を埋めて、クンクンと匂いを嗅いだ。


 大好きな壱嵩さんの香り。すごく安心する。


「あれー、明日花ちゃん酔い潰れた? もしかしてお酒弱いん?」

「弱いも何も、まだ未成年ですよ。アルコールは飲んだことないと思います」

「そうなん? あー……もしかしたら葉月さんが柑橘系の酎ハイ頼んでいたから間違って飲んじゃったかな? 大丈夫? タクシー拾おうか?」

「すいません……頼んでいいですか?」

「了解。そういや俺と葉月さんは飲み足りないから、もう一軒行ってくるよ。ここの飲み代は楽しませて貰ったお礼に奢るから、また皆で飲もうな」


 そう言い残して、さっさとお会計へと進む瑛太さんに慌てた壱嵩さんだったが、まともに立てない私を放っておくことも出来ずに見送ることしかできなかったようだ。


「瑛太先輩、ありがとうございます。——明日花さん、歩けそう?」


 添えていた手が肩に移動して、ゆっくりと誘導された。ゆっくり、一歩ずつ。彼にしがみつきながら歩みを続けた。


 そんなに飲んでいないはずなのに、アルコールに弱すぎる自分が恥ずかしくなった。皆に迷惑かけてるな、私……。



 お店を出ると、心配そうに待っていた葉月さんと瑛太さんが近づいて声を掛けてくれた。


「ごめんね、明日花ちゃん。私が飲んでいた酎ハイがそっちにいったみたいだね。気付かなくて申し訳ないわ」

「ほら、これ水とウコン。これを飲んだら少しはマシになるから」


 二人とも優しい。

 ヨシヨシと頭を撫でる葉月さんの手が温かくて、私は思わず手を伸ばして抱きついてしまった。葉月さんの胸元に顔を埋めて力一杯腕を回した。


「明日花ちゃん……! え、どうしたの、急に!」

「——まだ帰りたくない……。壱嵩さん、葉月さんと瑛太さんとまだ一緒にいたいよ」


 こんなに楽しい飲み会、初めてだった。


 ううん、もちろん壱嵩さんと出掛けるのも嬉しいし楽しいんだけど、その時とは違った感情が満たされたんだ。


「明日花ちゃん……。うん、また一緒に遊ぼうね」

「今日は大人しく家に帰って休みィ? 次は間違ってお酒を飲まないように気をつけないとな?」


 ゆっくりと腕を解かれ、気付いたら壱嵩さんに引き渡されていた。

 今度じゃなくて今がいいのに。二人ともズルい。


 だけど二の腕の辺りに温かい力を感じ、ふっと横に視線を向けた。優しいけれど心配そうに見つめる瞳。大好きな壱嵩さんの顔だ。


「今日は大人しく帰ろうな。んじゃ、瑛太さん、葉月さん。今日はありがとうございました」

「おう、こちらこそ。また連絡するよ」

「壱嵩さんもありがとうねー。楽しかったよ」


 楽しい時間はあっという間。タクシーに乗せられた私は、二人の家へと向かう車中を静かに過ごしていた。

 見慣れていたはずの街並みが、あっという間に光の線となって消えていく。車のライトがキラキラと輝いて見える。


「壱嵩さん……私、幸せ」

「ん? 何て?」


 小さく呟いた言葉を聞き逃さまいと、私の口元に頭を寄せて。そんな仕草にすら幸せを感じて、思わず笑みが溢れた。


「世界は……私が思っていたよりも優しかったみたい」


 交互に絡ませた指に力を込めて、掴んだ幸せを噛み締めていた。

 壱嵩さんの肩に持たれていた頭に、柔らかい感触が当たった。どうやら彼の頬が頭のてっぺんに触れたらしい。


「明日花さんが幸せだと俺も嬉しいな。もっと沢山、楽しいを見つけよう」


 彼の言葉に頷いて、気付いたらタクシーの揺れに誘われるように眠りについていた。



 ———……★


「………しかし、さり気なく二次会に誘うなんて、瑛太さんやるな。侮れない」

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