第7話 私は「特別」になりたい

 幸山さんが仕事場に戻って数十分。しばらくして彼は息を切らしながら迎えに来てくれた。

 視界に入っただけで気持ちが高揚して、抑えきれなくなるから不思議である。


「ごめん……! 思ったよりも遅くなって」

「いえいえ、とんでもない! 私も何も考えずに来てしまってごめんなさい。幸山さんにも迷惑かけてしまって」

「迷惑なんてそんなことないよ。ありがとう」


 彼に真っ直ぐな言葉を告げられ、こそばゆくなった。照れくさくなって顔を背けていたけれど「送るよ」って声を掛けられて、ますます有頂天になって顔を紅潮させる羽目になった。


「ここ田舎だったから大変だっただろ? 迷わず来れた?」

「ナビを使ってきたから。バスが一時間に一本しかないのは困ったけど」

「そうなんだよなー。普段車だから気にしてなかったけど、バスだと不便なんだよね」


 心なしか幸山さんの口調も砕けている気がして嬉しくなった。やっぱり勇気を出して来て良かったと、満足そうに口元を緩めた。


 18時前の外の様子は夕闇が差し掛かって、夕月夜へと移り変わっていた。

 赤と黒のグラデーションが綺麗で、世界はこんなに鮮やかだったんだと気付かされた。


 建物から少し離れた場所にある駐車場へと向かって歩いていると、職員らしい人が声を掛けてきて、その呼びかけに幸山さんが少し足早に駆け寄って話始めた。


「良かったね幸山くん! こんな美人な彼女が職場に遊びに来てくれるなんて。君も隅におけないなー」


 彼女……!


 そのワードが出た瞬間、背筋がピンと伸びて気持ちがかしこまった。他の人から見たら、そう見えるんだ。


「ちょっと、山本さん! そんなんじゃないですよ! 俺なんかとなんて、彼女に失礼じゃないですか!」

「何を恥ずかしがっているんだよー? 幸山くんも満更じゃないくせに。いや、オジちゃんは嬉しいんだよ? 僕らの仕事ってハードだから他に楽しみがないとやってられないし。特に君の場合はお母さんのことでも大変そうだからね」


 その時、幸山さんが困ったように私に視線を向けたから、私は誤魔化すように笑って返した。幸山さんも色々大変なんだ……。


 それからバシバシ背中を叩かれて、やっと解放された幸山さんは申し訳なさそうに隣に戻ってきた。


「ごめん、職場の先輩達が勘違いして失礼なことを言って……。俺なんかに明日花さんは勿体無くて釣り合わないのに」


 そんなこと考えたこともなかったのに、勝手に勘違いした幸山さんが勝手に謝ってきたから、私は首を傾げて分からないと眉を顰めた。


「失礼なことなんて、どこにもないです。なんで謝るんですか?」

「え、だって俺みたいなダサい男が明日花さんと一緒にいること自体、恐れ多いというか……。いや、この前も綺麗な人だとは思ったんだけど、今日は更にお洒落すぎて」


 この前は康介のところを慌てて出たからスッピンだったけど、今日はフルメイクな上に一番気に入っているワンピースを下ろした。気になる人に会いに来たんだから、目一杯気を使うのは当たり前だ。


 ——というより、幸山さん……。


「幸山さんも、少し手入れをしたら一気に垢抜けますよ?」

「え? 垢抜ける?」


 この前からずっと思っていたけれど、幸山さんって素材はいいのに全然気にしていなくて勿体無い。


 もし手入れをさせてもらえるのなら、絶対に後悔させないから任せて欲しい。


「あの、この前のお礼に……ウチに来ませんか?」

「ウチ? それって明日花さんの家に? いやいや、そんな行けるわけがない! こんな時間に女性の家にお邪魔するなんて」

「でも幸山さんは髪を切って、眉を整えてシェービングしたら絶対にかっこよくなると思うから! お願いします! 私に幸山さんの手入れをさせて下さい‼︎」


 すっかり私の勢いに圧倒された幸山さんは、思わず頷いて車で送るついでにお邪魔する流れとなった。


 近くのパーキングに駐車して、年季の入ったアパートの階段を登って行った。


「いや、やっぱり初対面に近い女性の部屋に入るなんて」

「そんなこと気にしないでください。私がしたくて招待しているので。ただ、スゴく散らかっていますけど……」


 まさか部屋に招待すると思っていなかったので、掃除も何もできていない無法地帯状態だ。

 足の踏み場もないほど散乱した服。ペットボトルや食べ終えたお菓子の袋。それにタオルや下着も無造作に置かれていたけれど、ヒョイヒョイっとまとめて歩くスペースを作って案内した。


「ごめんなさい。汚くて……片付けが苦手なんです」


 想像以上の散らかりっぷりに、さすがの彼も言葉を失っていたけれど、気遣うように大丈夫だよと中へと入ってくれた。


「明日花さんは一人暮らし? ご家族の方は?」

「父が一人。でも今は単身赴任で県外に行っています。私、慣れない土地とか怖くて」


 私の返答に幸山さんは小さく頷いて、居心地悪そうにソワソワと座り込んでいた。かく言う私もウチに人が来ることなんて滅多にないから、どうおもてなしをすれば良いのか分からない。

 未開封のミネラルウォーターを取り出して「どうぞ」と差し出して、場を繋ぐように早速髪を切る準備を始めた。


 ゴミ袋を下に敷いて、ケープを巻いて。

 髪をブロックするためにヘアクリップを用意して、両手で髪を掻き上げながらほぐしていった。


 触れるたびにビクッと、ぞわぞわする感触に肩を揺らす。伸びた襟足が可愛い。幸山さんの顎のラインが、綺麗。


「何か、変な感じだね。知り合って間もないのに家で髪切ってもらっているなんて」

「私も初めてです。でも、好きなんです。こうして髪を切ったり、メイクしたりするの。人にするのは初めてだけど、ちょっと楽しい」


 スマホでセルフカットの動画を開きながら、少しずつ切っていく。普段から自分のを切っているから、人のをするのは割りかし簡単。


 私なりにかっこいいと思う理想の髪型に仕上げていく。


「バリカンがあったら襟足を刈り上げるのに。もみあげのところにツーブロック入れたかったな」

「いやいや、十分スゴいよ。美容院とか、そんなお洒落なところに髪切りに行かないから、こんな髪型にしたの初めてなんだ」


 野暮ったかった髪をスッキリと切って、眉毛も綺麗に整えたから、見違えるくらい垢抜けたと思う。


 ますますカッコ良くなって、見つめているだけで胸が張り裂けそうになる。心臓が高鳴っておさまらない。


「後はワックスをしたらいいですよ。その前にドライヤーで髪を立たせて、気持ち程度に馴染ませて毛先を捻るんです」

「へぇー……、俺にもできるかな。って、面倒くさがったらダメなんだよね。せっかく明日花さんが切ってくれたから、頑張ってやってみるよ」


 このゴミだらけの部屋で彼だけがキラキラ輝いて見えて、抱き締めたくなる。私の気も知らないで、そんな屈託のない笑顔を見せないで。


(幸山さんはきっと、純粋にお礼を受け取りに来てくれただけなのに……)


 私の日常の中に彼がいるから、それが嬉しくて。頭の中がイヤらしいことで占められていく。

 すぐ後ろにあるベッドに押し倒したくなる。


 でも、幸山さんは今までの男達とは違うからグッと気持ちを堪えて我慢した。


「こんなに良くしてくれて本当にありがとう。明日からセット頑張ってみるよ」

「——うん、頑張ってみてください」


 あぁ……、もう終わっちゃう。

 お礼も終わってしまったから、この部屋を出てしまったら繋がりがなくなってしまう。


 私は服の裾をギュッと掴んで、必死に寂しさを堪えた。


 やだな、私……幸山さんにとって『特別』な人になりたいのに。


 彼は使い捨てケープの中に散らばった髪を器用にまとめて、ついでにゴミまで袋に入れて片付けてくれた。


 終わりが近づいてくる。


「そうだ。あのさ、今度は髪を切ってくれたお礼を俺にさせてもらえないかな?」

「………え?」


 一瞬、幸山さんの言っている意味が分からなかった。お礼のお礼って?


「だって菓子折りも貰ったし。貰い過ぎだからさ。明日花さんが良かったら……だけど」


 そんなの——嬉しいに決まってる。

 切れると思っていた縁が繋がって、泣きたいくらい感情が昂った。あまりの嬉しさに口元がニヤけてしまって、誤魔化すように何度も下唇を噛み締めた。


 こうしてお互いの連絡先を交換して、階段下まで見送ってお別れした。

 小さくなるまで何度も手を振って、本当に優しくて……涙が溢れる。


「幸山さん……好き」


 縁の繋がったスマホを胸に抱いて、私は浮かれた足取りで階段を登っていった。



——……★


「大好きが止まらない……愛しくて堪らない」


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