〈3〉

 ケイがビレトとアサヒの前を歩き、学生寮を出る。部屋を出発する前にケイから「兄者の知り合いが話しかけてくるかもしれませんが、あなたはおれの兄者のアーサーではないので、挨拶ぐらいにしてくださいね」と警告された。取り繕ってアーサーのフリをしても、ボロが出たら相手に余計な心配をかけてしまう。


「りょうかいっす」


 敬愛する兄者が転生者であると気付いたとき、ケイは動揺していた。その動揺を、転生するまで縁もゆかりもなかった異世界の医学部生の親しい人たちの全員ぶんを受け止められる自信はない。願わくば、遭遇しないことを祈ろう。


 学校の敷地を離れ、学術都市プラトン内を徒歩で移動し、プラトンの医療専門校のエリアにたどり着く。


 それから、ケイは医療専門校の校門の手前で立ち止まり「カードを借りてくるので、ここで待っていてください」と言って、ビレトとアサヒをベンチに座るようお願いしてきた。アサヒはビレトへ、ケイに聞かれると気まずい雰囲気になってしまいそうな質問をしたかったので、素直に応じる。ビレトは、ケイが受付の窓口に向かっていくのを見届けてから座った。


 医療専門校と教員専門校に関して、所属する学生以外が出入りするためには窓口で発行される受付証を持っていなくてはならない。アーサーの姿をしたアサヒは問題なく入れるが、ビレトは止められてしまう。アーサーの実弟であるケイであっても受付証は必要だ。


「ビレト、この世界には移動魔法ってあるじゃないっすか。あれってその人しか移動できない……ってわけじゃないっすよね」


 アサヒはコケムストリの村での一幕を思い出す。税の徴収として、親子が引き離され、鎧を装備した役人が息子のほうを移動魔法で連れ去った。あの男の子が自主的に移動魔法を使ったようには見えない。


「ケイの学生寮から、兄者の研究室までっていう区間での移動魔法は使えないんっすか?」

「使えないよ。移動魔法は、建物の中を目的地に設定できないし。建物の内側で使って、目的地の前に到着というのもできないし」


 ケイが移動魔法を使用すれば、学生寮からこちらの医療専門校の校門前までの瞬間移動は容易かった。建物内ではなく、その入り口であれば問題なく移動魔法を使用できる。徒歩による移動を選択したのには理由がある。死亡する前に日常生活を送っていたプラトンの街並みを眺めることで、アサヒのどこかで眠っているアーサーの力が蘇るのではないか、とかすかな期待をいだいていたからだ。見知った顔に出会うリスクもあったが、あいにく記憶は戻っていない。移動の約三十分間、アサヒは異世界のキャンパスの様子を楽しみ、ビレトは五年前と現在とで変化している場所やしていない場所に気付いて、現役学生のケイに報告していた。


「そういう制約があるっすね」


 ビレトはふてくされた様子で、レンガ造りの壁を指さすと「もし使おうとすると、ああいう壁にめりこんでしまう。……ボクが一年生のときにやって、そりゃあもう大騒ぎになったよ」と失敗談を告白した。分家とはいえ王位継承権のある王族の息子だ。高貴な身分の子どもがミスを犯せば、責任を取らされるのは教員側だろう。どうして見守らなかったのかと詰められるシーンは想像に難くない。


「壁にめり込む、って、どうやって助けるっすか?」

「魔法によって起きてしまった事故を処理する専門の、緊急隊員がいるんだよ。医療専門校を出てから、特別な試験に合格しないといけないんだけどね。あの人に助けてもらえてなかったら、アサヒに出会えてなかったし、感謝しかないな」


 ビレトは懐かしい思い出のように語ってくれた。


 が、一年生だというから、六歳の頃だ。まだ学校には入りたてで、魔法もこれから学んでいく時期に、そのような恐怖の体験をしてしまえば、クライデ大陸では魔法が生活必需品であるから、魔法を使えないビレトのような人間がこけにされるのだとしても、使うのをためらってしまわないか。事実、ビレトは浮遊魔法しか使えない。初っぱなから命にかかわる事故を起こしてしまったから、魔法そのものに臆病になってはいないか。


「っていうか、なんで浮遊魔法だけは使用できるんっすか?」


 アサヒのツッコミに、ビレトはもじもじしながら「空を飛べたら……かっこいいから……」と答えて、視線を合わせないようにした。


「ドラゴンといえば、空を飛ぶものだし……初代サマだって、空を飛び回っていたっていうし……」

「自分も飛べるっすか?」

「うん! もちろん! 飛べるというか、浮かぶというか。やってみる?」

「お待たせしましたー……」


 提案されたところでケイが戻ってきた。手に名刺サイズの紙を二枚握りながら、きょとんとした顔をしている。ベンチに座っているふたりが仲睦まじく向かい合っていたものだから「お邪魔しました?」とその顔をキープしたまま30度傾けた。


「いいや? アサヒ、また今度にしようね」

「そうっすね、そうするっす」


 単に浮遊魔法を伝授しようとしていただけであって、特にやましいことは何もないのだが、淀みのない緑色の眼で見つめられると、なんだかとがめられているような気がしてしまう。ビレトもアサヒも、早口でまくしたてて、ほぼ同じタイミングでベンチから立ち上がった。


「これね、これこれ。医療専門校の受付証ね。これないと関係者以外立ち入り禁止だし。ケイ、ボクのぶんまでありがとう!」


 ビレトはケイの握っている紙を一枚引き抜いた。どうせ渡さなくてはならなかったものなので、ケイは「……あっ、はい。じゃ、行きましょうか」と学生寮で見せた表情に戻す。アーサーの所属していた研究室は、医療専門校の西校舎の三階の端にある。



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