〈1〉

「その、兄者の話を詳しく聞かせてもらえないっすか?」


 このまま「じゃ、そういうことで」とこの少年を放置して、プラトン来訪の主目的である毒についての独自調査を強行してもいいのだが、アサヒ自身が、というよりは、この肉体が潜在的な部分から『放っておけない』とシグナルを発していた。それは弱い光ではあっても、無視はできない。


「っていうか、兄者の口から『兄者の話を』って言われるの、変っすよね。ここは兄者が記憶喪失になったと思ってもらって、弟くんから見て兄者がどういう人だったかを教えてほしいっす」


 ここまで言って、ようやく少年の震えが収まった。本人の中で折り合いがついたのだろう。兄者は兄者で、転生者のこの男は転生者であって兄者の姿をしている別の人間なのだと。


「……わかりました。おれの部屋で話をしましょう」


 という流れで、ビレトとアサヒはプラトンの学生寮まで案内された。道すがら、少年はケイと名乗った。アサヒの元の世界のチームメンバーにもけいはいるが、そちらの圭はアサヒより年上だ。黒髪に日焼けした肌で学生のケイと、インドア派でニット帽がトレードマークのイラストレーター兼プロゲーマーとして活動している圭。名前は同じでも似ても似つかない。


 学校へは実家から移動魔法で通う者と、学生寮で生活する者の二種類がいる。学生寮は基本的に二人一部屋となっており、ケイのルームメイトは家庭の事情により今週は実家に帰っているのだとか。


「うわあ、この二階建てベッド、なつかしい……!」

「ビレトは寮生活だったっすか?」

「うん。ボクのルームメイトは、今はレマクルってところで働いているはず。お父さんが職人さんで、跡継ぎになるって言ってたから」


 ワンルームに二階建てベッドと、学習机が二つ。それぞれの私物を入れておくためのロッカーがあり、ケイはそのロッカーを開けて学生カバンを突っ込んで閉じた。おそらくは、ビレトとアサヒが退室してからのちほど片付けるのだろう。


「どうぞ。座ってください」


 ケイはビレトとアサヒのぶんとして(普段はケイとそのルームメイトが使用しているものであろう)座椅子を二つ用意し、小さな丸テーブルを置いた。年下に「座ってください」と気を遣われているのに立ちっぱなしなのは逆に失礼だと思って、アサヒは座る。アサヒが座ったのを見てからビレトも座った。


「これは兄者が好きだった飲み物なんですが」


 私物を入れるロッカーの隣、ロッカーの半分の大きさの箱から瓶を取り出す。その透明な瓶には、液体とともに花が入っている。


 アサヒはおしゃれなカフェや価格帯が高めのレストランで出てくるレモン風味の水を思い出していた。ケイが『飲み物』と言っているので、レモンのような感覚で花が入っているのだろう。ハーバリウムも脳裏をよぎったが、あれは『飲み物』ではなくインテリアの一種だ。飲用ではない。


「ガレノスの出身なの?」


 クライデ大陸の最南端に位置するリゾート地、常夏都市ガレノスで好まれている飲み物である。ビレトの兄のカミオは、暇を見つけては「釣りに行くぞ」と、ビレトをガレノスまで連れ出していた。


 ビレトにとっての『釣り』は、釣り糸を垂らして、気味の悪いワームに魚が食いつくのをただ待つだけの、楽しいとは思えないレジャーではあったものの、その優秀さで有名なカミオと二人きりになれる時間は――カミオが修行の旅に出てしまってから七年経った今だからこそ――かけがえのない時間だったといえる。


 同じエサを使用しているのにカミオの竿にばかり魚は引っかかるのは不思議でならなかった。竿を握っている人間の姿は、魚からは見えていないはずだ。ふてくされていると、カミオは笑って「次は大物を釣ろう」と励ましてくれた。ビレトが大物を釣る日は来なかったが、それもまた思い出である。


 釣った魚をレストランに持ち込んで調理してもらい、美味しくいただくまでがガレノス小旅行のお決まりのルートとなっていた。海に面したガレノスの魚料理は、格別に美味しい。その魚料理とともに提供されるのがこのフレーテスの入った水だ。魚料理の脂っこさを、フレーテスが打ち消してくれる。


「はい。おれたちの親は、ガレノスで医者をやっています。兄者は『医療専門校』に通っていました」

「お医者さん志望か! すごい!」

「おれも、学校を出たらそっちに行こうと思っています」


 ケイは話しながら三つのコップにフレーテス水を注いで、アサヒと、ビレトと、自分が座ろうとしている二人と向かい合う位置に置いた。乾杯、という雰囲気でもないので、アサヒは「いただくっす」とちょこっとコップを上にあげてから一口いただく。


「……ぬるいはーぶてぃー?」


 コケムストリの村で飲んだストレートティーに続いて、このフレーテス水もアサヒの口には合わなかった。眉をひそめる。これなら、何も入っていない水のほうがいい。


「こう、思い出の味の効果で、ケイのおにいさんの記憶が呼び起こされる!」

「残念だけど、ないっす」


 肉体は慣れ親しんだ味であろうとも、魂までには作用しないらしい。同時に、肉体のどこかに残されているであろう元の持ち主の記憶に訴えかけるような奇跡も起こらなかった。


「っていうか、お医者さん志望の兄者が、なんであんな草っ原に倒れてたんっすか? コケムストリを丸呑みしたり、人間を襲ってきたりするようなモンスターが歩き回っているのに、おかしくないっすか?」







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