第7話 生きた図書館

 さすが国内一を誇るアイリス王立図書館。


 壁一面が本で埋め尽くされ、天井まで続いている。

 そして所々から、時折本がパタパタと羽ばたき飛び交っているのがこのアイリス王立図書館の特徴だ。


 このアイリス王立図書館は生きた図書館とも言われ、本が意思を持って動く。

 その人に本当に必要な本が、自分から出てくることもあるのだ。

 現に私も3歳の頃、一度だけそれを経験した。白く輝く本が目の前に飛んで現れたのだ。


 だけど内容はわからない。

 だってその本は、私の目の前まで来て溶けるように消えてしまったのだから。

 あれは夢だったのだろうか。

 時々思い出してはそう思う。


 はるか昔、精霊をまとめる魔法使いによってつくられたこのアイリス王立図書館は、今は魔法使いの存在は不確かであるけれど、確かにあったであろうその存在を感じることができる。


「さて、どの本が良いかしら?」

 ピエラ伯爵領の孤児院で月に2度程行っている本の読み聞かせ。

 読み聞かせを続けているうちにすっかり本が好きになった子供たちは、いつも行くたびに目をキラキラとさせながら耳を傾けてくれる。


 どんなにやんちゃな子も。

 どんなに馴染めない子も。

 皆、聞いている間は表情をコロコロと変えて世界に入っていく。


 本は誰かの心の支えになることだってある。

 だから私は、本が大好きだ。


 中央に集中しているいくつもの机の上には、たくさんの丸い水晶が設置されている。

 私はその一つに触れると、目を閉じ水晶に心の中で語りかけた。


(子供たちに読んであげる素敵な本を連れてきて)


 すると本棚の遠く上の方から、一冊の耳がパタパタとページを羽ばたかせてこちらへ飛んできた。

 いつ見てもすごい光景だ。

 何の本が来てくれたのかしら。


「あ……」


【小鳥姫と騎士】

 私の思い出の絵本だ。

 この国の、古い童話。


 悪い魔女によって小鳥になる呪いをかけられた姫。

 そんな姫に、誰も気づいてはくれない。


 父王も、王妃も、兄や姉たちも。

 ただ一人探し続け、小鳥が姫であると気づいてくれたのが、姫の護衛騎士だった。

 そして真実の愛の口づけで、姫の呪いは解けて人間に戻り、呪いが返されて悪い魔女は滅び、二人は結ばれ幸せに暮らした、というもの。


 シリウスとの思い出の一冊だ。

 もう、シリウスは覚えていないだろうけれど。


 シリウスは昔から綺麗な顔をしていた。

 5歳の頃、パーティで招待客に女のような綺麗な顔だと言われて傷ついたシリウスが、一人庭の隅で泣いていたことがあった。

 私が見つけて、たまたま持ってきていたこの本を読んであげた時のシリウスの顔が、今も忘れられない。


 目を大きくキラキラ輝かせて、さっきまで泣いていたのがぴたりと泣き止んで……。


 そのすぐ後だったか。

 私が領地で賊に誘拐され、シリウスが見つけて連れて逃げてくれたのは。


 たった一人誘拐され、縛られ恐怖に震えていた私を連れ出してくれたシリウスは、私にはまるで絵本の騎士のように思えた。


 その後、屋敷の護衛達によって賊は取り押さえられた。

 そしてシリウスは、悔し気に顔をゆがめながらも、強い瞳で私を見て言ったのだ。

『僕も、あの本の騎士のような男になる』と。


 それが今や騎士どころか副騎士団長だものね。

 なんだか私一人、思い出の中に取り残されているみたい。


 それよりも、今度の孤児院訪問、この本を読んで子ども達がどんな反応をしてくれるか、今から楽しみだわ。

 あぁでも、領地まで行くことをシリウスが許可してくれるかしら?

 一応結婚したてだし、新婚早々妻が実家の領地に帰るだなんて、外聞が悪いかしら?


「あの、ピエラ伯爵令嬢?」

「!!」

 私が一人で考えを巡らせていると、背後でエルヴァ様が静かに私を呼んだ。


 いけない、すっかりエルヴァ様の存在を忘れていたわ!!


「ご、ごめんなさい!! 退屈、ですよね? 私一人夢中になって……」

 私が彼に謝罪すると、すぐに盛大なため息が返ってきた。


「はぁ……。僕は良いですけど、ただぼーっと本を眺めるだけのことに副騎士団長を付き合わせようとしていたんですか? おいたわしいです、副騎士団長が」


 なまじ間違いではない分言い返す言葉が見つからない。

 私がただ口を一文字に引き結んだその時。


「あら? ピエラ伯爵家のセレンシアさんではありませんの?」

 静かな館内に甲高い声が響いた。


「……メイリー様」

 メイリー・ストローグ公爵令嬢。

 長く美しい金髪をなびかせ、いつも取り巻きを数人侍らせている社交界の華だ。


「ごきげんよう、メイリー様。こんなところでお会いするだなんて珍し──」

「そんなことよりあなた!! シリウス様と結婚したというのは本当ですの!?」


 私の言葉をさえぎって、高いヒールをかつかつ鳴らしながら詰め寄るメイリー様に、私は思わず後ずさるようにしてたたらを踏んだ。


 噂のまわる速さに、改めてシリウスの人気の高さと社会的地位の高さを思い知る。


 だけど、厄介な人と遭遇してしまったわ。

 寄りにもよってシリウスの親衛隊の隊長だと豪語するメイリー様に遭遇してしまうだなんて。


 私はシリウスの幼馴染で、彼を唯一呼び捨てにする女だからか、彼女によく絡まれてしまう。

 それでもシリウスをシリウスと呼ぶのはメイリー様に言われても変えることのない私の態度も、彼女の私嫌いを助長させるものになっているのだろうけれど。


「ちょっと!! 聞いてますの!?」

「ぁ、す、すみません、えっと……はい、昨日シリウスと結婚しました」


 隠していてもバレるものはバレる。

 それなら編に隠すよりも、正直に伝えておいた方が良いだろう。

 そう思った私がバカだった。

 メイリー様の深い青色をした釣り目が、みるみるうちにさらに吊り上がり、目元をぐにゃりと歪ませた。


「何……ですって……?」

 まずい。

 選択を間違えた?


「この私がいくら釣書を送っても首を縦に振ってくださらなかったのに……!! あなたみたいな芋娘と……!! たいして優れたところもなければ、特別家柄が良いわけでもない。不釣り合いですわ!!」

「っ……」


 不釣り合い──。


 その言葉が私の中でぴったりと心には当てはまった。

 

 シリウスは完璧だ。

 家柄も、地位も、顔も、人柄も。

 

 対して私は……ただの伯爵令嬢。

 平凡な容姿。

 特別秀ひいでたものがあるわけでもない。

 不釣り合いと言われても仕方がない。

 言い返せないことばかりだ。


「ぶふっ」

 私の隣で小さくエルヴァ様が噴き出した。


 この人もそう。

 私を不釣り合いだと思っている。

 ここには私とシリウスを祝福してくれる人なんていない。


「この泥棒猫!!」

「っ!?」

 思考を沈ませる私の胸倉が、メイリー様によって掴み上げられる。


「いったいどんな手を使いましたの!? さっさと吐いて、カルバン公爵家から出てお行きな──」

「私の妻に何をしている?」

「!!」


 底冷えのする凍てついた声がキンキンと高鳴りするメイリー様の声に重なる。


「シリウス……!!」


 そこには顔から表情を抜け落とした、冷たい目をした男が、一人こちらをまっすぐ射るように見ていた。

 こんな怖い顔、初めて見た。

 人一人殺しそうなほどの冷たい表情に、思わず背筋が凍り付く。


「シ、シリウス様、私は……っ」

「私の名を軽々しく口にするな。そして私の妻から手を放せ。離せぬのなら──」

 シリウスは腰に下げた剣をしゅるりと引き抜くと、メイリー様へその切っ先を向けた。


「ひっ……ご、ごめんなさ……っ」

 すぐにメイリー様の手から解放された私の胸元。

 それを確認してからシリウスが冷たく言い放つ。


「2度はない。次はその腕ごと離させるから、そのつもりで」

「っ、は、はいっ……!! 失礼しました……っ!!」

 メイリー様が逃げるようにしてその場を走り去って、その後を取り巻きの令嬢たちが追いかける。


 彼女たちが行ったのを見送ってから、すぐにシリウスが私へ視線を戻し、駆け寄ると、私をぎゅうぎゅうと抱きしめた。


「大丈夫!? セレン!!」

「い、今が一番危機……」

「なっ……後でストローグ公爵家には厳重な抗議をしておこう」

「いや、原因はあなた……」


 苦しい。とりあえず離して。

 そんな物理的な不満と、このまま抱きしめられていたいという願望が混ざり合って、今私の中は混沌と化している。


「セレン、本は借りたの?」

「え、えぇ。ちゃんと借りられたわ」

 ほら、と手に持っていた本をシリウスに見せれば、シリウスは目を大きく見開いてから、ふわりと笑った。


「その本……。私の好きな本だね」

「え……?」


 もしかして、覚えて……?


「借りられたなら、そろそろ行こうか。実はさっき、休日執務のお詫びに騎士団長が新しくできたカフェの個室の予約を取ってくれたんだ」

「え、まさか騎士団長を脅したんじゃ……」

「ん?」

「ナンデモナイデス」


 ごめんなさい、騎士団長様。

 そしてありがとう、騎士団長様。


「さ、行こう」

「ふ、副騎士団長!!」

 私の手を取り優しくエスコートし、外へ促すシリウスを、エルヴァ様が呼び止めた。


「……何だ」

 低い、地を這うような凍てついた声だけが、エルヴァ様に向かう。


 決して振り返ることのないシリウスに、彼の怒りが浮き上がるように見えてくる。


「私は君に妻の護衛を任せたはずだ」

「副騎士団長!! 僕は──っ」

「あの女と一緒になって妻をあざ笑うような部下は、私には不要だ」

「っ……!!」


 冷たくそう言い捨てると、シリウスはまた私にやさしく微笑んでから、エルヴァ様を残してアイリス王立図書館を後にした。


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