第6話 強制力のないデートは前途多難です


「さて……、セレンはどこに行きたい? 仕立て屋? それとも宝飾店? おしゃれなカフェでもいいね」


 精神をすり減らしながら朝食を食べ終えた(食べさせられ終えた)私は、「今日は非番だからどこか二人で出かけよう」とシリウスに誘われ、今、彼と共に街に繰り出している。

 シリウスと【寝言の強制力】無しで出かけるだなんて何年ぶりだろうか。

 容姿の整ったシリウスと少しでも釣り合いたいと、自分にできる精いっぱいのオシャレをして挑んでいるけれど、シリウスには特に気にした様子もない。


 普段から美女に言い寄られるシリウスにはなんてことないわよね、はは……。

 思わず乾いた笑いが心の中で零れる。

 そんな私の心中を知ることのないシリウスは、私の少し前を歩き、言葉だけを後ろの私に投げかける。


「仕立て屋ならすぐそこに女性に人気のマダム・ポーラの仕立て屋があるし、宝飾店なら王家御用達のプレジア宝飾店がそっちの通りにある。カフェなら、あっちの通りの一本裏に綺麗な花で飾られたオシャレなカフェが出来たばかりなんだよ」


 そんなふうに女性の好みそうな今流行りの店ばかりを上げていくシリウスに、チクリと胸が痛む。

 そうよね、一般的な貴族女性はドレスやらアクセサリーやらオシャレなカフェが大好きですもの。明るくて、きらきらしている空間が。


 でも私は違う。

 そういうものが嫌いというわけではないけれど、シリウスが普段付き合っているようなキラキラした女じゃない。

 そんなものよりも──。


「あぁでも……セレンは本、かな」

「!! 覚えていたの?」


 驚いた。

 まさか私の好きなものを覚えていただなんて。


 私は昔から本が大好きだ。

 本を読むのも、読んであげるのも。


 だから月に1度、ピエラ伯爵家の領地にある孤児院で読み聞かせをしに行っている。

 だけどシリウスと(【寝言の強制力】によって)出かけるときには、付き合わせているシリウスを退屈させてはいけないと思い、本屋や図書館に行くことはなかった。

 シリウスの好きな茶葉専門店や、落ち着いたカフェに行くことが多かったから、まさか覚えてくれているなんて……。


 私の好きなものを覚えていてくれた。

 それだけでさっき感じたチクリとした痛みが和らぐのだから、恋とは本当に複雑で、そして単純なものだと思う。まったく、厄介なものだわ。


「何年付き合ってると思ってるの? もちろん覚えてるよ。セレンのことならなんでも。寝言で先生方を原因不明の体調不良にして学校を1週間休校にしちゃったことも、私に学園の送り迎えを3年間させたことも、ペットもいないのに私に犬小屋を作らせたことも。あとは──」

「うあぁぁあごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!」


 すごく根に持ってる……!!

 どれだけ寝言で迷惑をかけてきたのよ私!!


「ふふ。良いんだよ。セレンとの思い出の一つ一つが、私にとっての宝物なんだから」

「っ……」


 気を使わせてしまった申し訳なさと、いつものシリウスからは想像できない言葉に、私は言葉を詰まらせる。


「さ、行こうか、セレン。本屋ならすぐそこにある」

「え、ちょ、待っ」

 歩き出したシリウスに、私は小走りになりながら後を追いかけた。


 ***


 ──疲れた……。


 シリウスとのお出かけは好きだけれど、いつも疲れる。


 だって私とは足の長さが違いすぎるうえ、騎士らしくしっかりとした歩幅で歩くから、その速さについていくのがやっとなんですもの。

 これ以上嫌われたくないという一心で何も言わずに小走りになりながらでもついてきているけれど、なかなかにハードなのだ。

 きっと明日は筋肉痛ね。


「でも本当に良かったの? 本屋じゃなくて」

「ええ。買うのはもったいないし」

 私たちが訪れたのは本屋、ではなく、アイリス王立図書館だ。


 白で統一された石造りの建物は、隣接する騎士団本部と並んでも引けを取らない大きさで、国内で一番の王立図書館だと言える。

 出版されれば必ずこのアイリス王立図書館に寄贈されるという決まりがあるので、ここにない本などありえない。まさに本の宝庫。


 もう私はピエラ伯爵令嬢ではない。

 カルバン公爵夫人だ。

 人様の家のお金で、人様の家に大量の本を置くだなんて、そんな図々しいことはできない。

 ただでさえ強制結婚で迷惑をかけているのだから。


「入ろうか」

「えぇ」

 いざその巨大施設へと入ろうとしたその時あった。


「カルバン副騎士団長!!」

 背後から張りのある声がシリウスを呼び止め、私たちは踏み出しかけた足を止めて振り返った。


「エルヴァ? どうした? 私は今日は非番なのだが?」

 先ほどまでの穏やかな表情から一変、眉を顰めて表情を削ぎ落したシリウスに言葉が出ない。

 明らかに不機嫌で、あの(私以外には)人当たりの良いシリウスの想像もしていなかった姿に驚きを隠せない。


「申し訳ありません!! 実は資料の遅れがありまして……」

「昨日全部終わらせたはずだが?」

「それが……一番重要で至急の資料を、文官が渡しそびれていたらしく……急ぎ確認と署名をしていただきたく、今お宅に伺うところでした。申し訳ありませんが、少しだけお時間いただけますでしょうか?」


 エルヴァと呼ばれた青年騎士に、シリウスが大きくため息をつく。

 子犬が耳を垂らして申し訳なさそうに主の様子をうかがう図に見えるのだから、見ている私としてはなんだかいたたまれない。


「私は非番で、妻とデート中だ。後に──」

「いってきて、シリウス」

「セレン?」


 さすがに見ていられなかった。

 顔を赤くしてなんだかプルプル震えているし、まだ若い騎士。

 きっと自分よりも上の騎士に言われてきたのだろう。

 何の罪もない子をこんなに怖がらせてはいけない。


「私は図書館で本を選んで待ってるから。ね?」

 私がそう言うと、シリウスは少しだけ眉間の皺を緩めて「……セレンがそう言うなら……」と渋々ながらに頷いた。


「すぐにやっつけて戻るから、良い子で待っててね?」

「もうっ、子どもじゃないんだから大丈夫よ」

「駄目だよ。セレンは可愛いんだから。あ、そうだ。エルヴァ。私が帰るまで、妻の護衛を頼む」


「えぇ!?」

「は!?」

 シリウスの突拍子もない発言に、私とエルヴァ様の声が重なった。


「私が帰るまで、妻を頼んだ」

 それだけ言い残すと、シリウスはすごい速さで隣の騎士団本部へと走って行ってしまった。


 取り残された私とエルヴァ様の間に沈黙が流れる。


「えっ……と……。エルヴァ様、夫がすみません。あの、私はセレンシアと申します」

 早く慣れるにはまず挨拶だ。

 にこやかに親しみを持って挨拶を──。

「はぁ‥…」

 ため息!?

 盛大なため息とともにさっきまでの子犬のような態度から一変、私を見下すように睨みつけるエルヴァ君に、笑顔が固まる。


「エルヴァ・ルグライです。本当に結婚したんですね、副騎士団長。朝から騎士団でも噂になっていました」


 シリウスは騎士団長だけでなく他の騎士からも信頼が厚く、下級騎士にとっては憧れの存在でもある。

 彼を慕う者は男女問わず多い。

 そんな彼の突然の婚約をすっ飛ばしての結婚は、さぞ騎士団の騎士たちに、そして社交界の淑女たちに衝撃を与えたことだろう。


「そ、そうですよね、驚かしてしまって……」

「こんなところで立ち話をするより、中に入りましょう。あなたはあなたの目的を遂げてください。ピエラ伯爵令嬢」

「あ……はい」


 

 わざわざ旧姓を強調して呼ばれたということは──私は騎士からも嫌煙されているのだろうか。

 重い足を前に進めながら、私は図書館の中へと入っていった。





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