蛇神様の憂鬱

ありさと

第1話


「お願いします蛇神様!私をお嫁さんにして下さい。そしてずっと一緒にいて下さい!」


 齢六百を少し過ぎた辺りから、我はこの地を統べる土地神として崇められる様になった。

 元が水蛇の化身なので、日照りになると我に贄を差し出して雨を要求する事がこれまでにも何度かあったのだが…。

 嫁にしろ。という要求は長い年月を生きてきた我にとっても初めての出来事だった。


 というかここ百年は人の子が我の寝所を訪れる事がなかった。

 どうやら大きな戦があったようで、我を崇める多くの者達が死んだらしい。人の我へ対する信仰心が薄れると、人型を取る事が難しくなった。

 我は朽ち果てた社の中で本来の大蛇の姿で眠りに付いていた。

 そもそも我は土地神になる事など受け入れてはいない。なんやかんやあって気が付いたら我は『蛇神様』として勝手に祀られ、立派な社まで建てられてしまい、結果この地に縛られる土地神になっていた。


 因みに今の打ち捨てられた生活は案外と気に入っている。手入れされなくなった社の屋根は酷く雨漏りしていたが、水蛇の我にとってそれは気にならない。

 のんびりと惰眠を貪り尽くし、食べたい時に起きて、ただボーと時を過ごす。

 完全にこの地との縁が切れていないので、遠くに行く事は出来ないが、それ以外はとても自由だった。


「誰だ!?」


 そんな感じでぽやっと寝惚けていた我は、とんと久しぶりに聞いた娘の声にうっかり鎌首を持ち上げてしまった。

 しまった!この姿では娘を怖がらせてしまう!!

 何せ大蛇の我はおどろおどろしい。特に暗闇に光る目が、「一睨みで命を狩れる。」同胞からもそう言われるくらいに、我の目つきはすこぶる悪いらしいのだ。

 我は物凄く慌てた。

 だが、しかし…。


 娘は悲鳴を上げないどころか、キラキラと輝く曇りなき眼で我を見上げると、その小さな両手を我へと向かって伸ばした。


「素敵です!!なんて綺麗なの!!乳白色なのに光の加減で虹色に光る鱗なんて!…えっと、もし良かったら触ってみても?!」


 娘の目は我の鱗に釘付けで、寝起きで凶悪さを増している我の目を全く見ていなかった。

 良かった。

 我はホッと両目を閉じて、ハァと一息付きながら頭を下げた。


「ありがとうございます!!」


 はい?!

 急にお礼を言われて我は驚く。

 目線を合わせない様に注意しながら娘を盗み見ると、娘は両手をワキワキさせながら異様な気配を漂わせて我へとにじり寄って来た。


「それじゃあ、遠慮なく触らせてもらいますね!」


 否!待て待て!違う!さっきのは了承の合図じゃない!

 頬を朱に染めた娘の両目はギラギラと怪しく光り輝き、娘はペロリと短い舌で唇を舐めた。

 怖い。

 自分より遥かに矮小な娘に対して我は思わず後退った。


 


「だ・か・ら、我は人の嫁は娶らんと言っておろうがっ!」


「だ・か・ら、私は卵を産むのは全然構わないって言ってるじゃないですか!」


 娘、千代莉ちよりは何度断っても我に求婚し続けた。

 というか、人の五倍はある巨大な蛇を前にして、怖がるどころか欲望をたぎらせた目で嬉々として攻め寄ってくるその様は正直、引く。

 そもそも人の女子とはもっと恥じらう生き物ではなかったのか?千代莉の見た事もない足を丸出しにした破廉恥な着物といい、たった百年の間に何があったのだ?


 我はこれなら諦めるだろうと、「もしも我とつがえば産まれてくるのは赤子ではなく卵。しかもそれを何個も産む羽目になるぞ!」と脅しをかけてみたが、これが全く効かない。

 寧ろ「つるんと産みやすくていい思います!」などと鼻息荒く喜ばれてしまった。


 それに、どういうわけか千代莉には「命を狩る」とまで恐れられた我の眼光は全く通じなかった。

 少し前にうっかり千代莉を両目で睨んでしまい、慌てふためく我に対して、「白い鱗に血の様に真っ赤な瞳が生えて…はぅわっ!マジ尊い!推せる!!」などと、わけのかわらない叫び声を上げ、顔を真っ赤に染めて潤んだ目で我を見上げてきのだ。

 なんだこれは?!駄目だ!頼むからそんな顔で我を見るな!

 我の頬が赤らむ事などないはずなのに、思わず我は尾で己の頭を隠した。


「ああ…もう、お前というやつは本当に…。」


「いい加減そろそろ観念して私をお嫁さんにして下さい!」


 深い溜息と共にクタンと脱力した我の鎌首に、千代莉は嬉しそうに抱き付いた。

 頼むからそんな風に気軽に触らんで欲しい。

 どういうわけか千代莉に触れられる事は全く嫌でなく、寧ろ心地良いから非常に困る。その小さな手が我の鱗をすべる度に、その温かさに戸惑って仕方がない。


「お前は何故に我を恐れぬのだ?我は人の本能からすれば忌み嫌われる存在だぞ?」


「嫌だなんてとんでもない!このすべすべでちょっと湿った鱗に、チロチロと可愛い舌。それに苺の様に真っ赤で美味しそうな瞳!何処を見てもスネ様は滅茶苦茶綺麗です!」


 千代莉は頬をだらしなく緩めて我を愛しそうに見上げた。

 異国の言葉で蛇の事をスネークというらしい。だからと言ってスネ様というのはどうかと思う。我にはきちんとした真名まなが…。いや、真名は誰にも明かせぬから、何と呼ばれても受け入れるしかないが。

 本当に色んな意味で、千代莉は残念な娘っ子だった。


 因みに今の我が人の嫁を娶ると我は『龍』となって夫婦揃って天へ昇る事になる。それもただの龍ではない。最高峰である『天龍』となるのだ。

 しかし人の娘を娶って天龍となるのは不本意。我からすればそれは邪道だ。

 我が目指すのは正道での昇格。その一択のみ。

 地上で長い年月をかけて己をひたすらに研鑽し、ただ自分のみの力を以てして天へと昇り天龍となるのだ。

 よって我は人とは決して交わらん!そう我がはっきり言うと千代莉は、


「という事はスネ様は…童貞ですか!キャー。その歳で童貞だなんて!!」


 と鼻息荒く興奮した。

 いや、ちょっと待て!何でそうなる?我とて同じ種との交尾の経験くらい……ん?というか何故我がこんな辱めを受けねばならんのだ?おい!


 いつの間にか千代莉が我の横にいるのが当たり前になった。

 畏怖される事はあっても好意を向けられた事のない我は、知らずにその心地良いぬるま湯にすっかり浸かりきっていた。

 だから愚かにも気が付かなかった。

 千代莉のついた嘘と本音に。


「何も心配するな千代莉。我に嫁ぐ必要などない。お前の命は我が繋ぐ。」


 千代莉は我が知る頃よりも遥かに進んだ現代医学であっても、決して治る事のない難病を患っていた。 

 それに未熟な我は気付けなかった。千代莉がよく何もないところで転んでいたのを知っていたくせに…。

 自責の念。後悔。自身に対する怒りで我を失った。


 我は己の腹から玉を取り出した。ほぼほぼ真円に近いそれは、我が龍化するのに必要不可欠なもの。

 千年の悲願。これを失くせば、我はただの蛇へと逆戻る。


「ふん。今となっては惜しくはない。」

 

 我は千代莉の胸にゆっくりとそれを埋めた。





◆◇◆土地神時代のお話◆◇◆


「お願いします。私を食べて下さい!その代わりに村へ雨を降らせて下さい!」


 見窄らしい人の子が我の社へ土足で踏み入ったかと思うと、いきなり土下座してそう叫んだ。


「…阿呆。誰が人など喰うか。」


「ひっ!!しゃべ…喋った!!」


 人の子は我の言葉に腰を抜かし、白目を剥いてその場に倒れた。


 齢五百を過ぎた辺りから、この辺りを統べる土地神として我は崇められる様になった。

 元が水蛇なので人は日照りになると安易に生贄を我に寄越す。全く阿呆の極みだ。

 我は暴風雨雷を呼び、人の子を村へと叩き返す事にした。


 齢を経た蛇が人を喰えば手っ取り早く『地龍』となれる。

 しかし我がなりたいのは天龍。

 悲願成就まで、あとたったの百六十年。今更我が人の血肉などで龍玉を穢すわけなどない。


 我は気を失った贄子を尻尾で絡め取って、干上がった湖に放置された小舟に乗せた。こうしておけばこれから降らせる豪雨で湖が氾濫すれば、その流れに乗って麓の村まで流れ着くはずだ。

 我は天を見上げて眉間にグッと皺を寄せた。

 我の力の引金は怒りだ。

 我は厚かましく鬱陶しい人の所業を思い浮かべて、腹の中心に力を込めた。


『ザワザワザワ』


 我のイライラが暗い雲を呼び、生暖かい風が渦を巻いて落ち葉を上空へと巻き上げる。

 次の瞬間。

 ピカッと稲光が湖に落ちた。同時に大粒の雨がどっと地面を真っ黒に塗り替えた。


「これで暫くは静かになろうて。」


 我は濡れた長い躰を揺すって露を払うと、寝所のある社へと戻った。


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蛇神様の憂鬱 ありさと @pu_tyarou

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