第19話 恋愛脳

琴守こともり、どうなった?」

「だ、大丈夫だとは思います……。『ひどい顔をしてるから出られない』って……」


 あのあと、琴守の誤解をとくのに苦心した。


 なんとか勘違いだとわかってくれたけど、いまだに涙がとどまることを知らず、トイレに引きこもっている。


「それはそうとさ、嶋本しまもと

「は、はい。なんでしょう」

「そんなに離れてると喋りにくいだろ」


 ショッピングモールの通路に置かれたベンチ。

 嶋本はおれとのあいだにベンチを三つも空けて座っていた。

 おかげで声が聞き取りづらい。


「それは、その、男の人の近くに座るなんて……」


 まあ仕方ないよな。

 嶋本はおれのこと好きだもんな。意識するよな。


 そんなふうに思っていたら、おれと嶋本のあいだのベンチにほかのお客さんが座った。


 嶋本は嫌そうな顔をしながらも渋々と立ち上がり、おれの隣に腰を下ろした。


「あの、その、えっと……」


 嶋本は真っ赤になって目を白黒させていた。

 隣に座るだけでそんなにテンパるか?


「た、助けに来てくれてありがとう、ございました……」


 舌を空回りさせながらも、嶋本は律儀に頭を下げてきた。


「……ちがう。助けたんじゃない。琴守の課題が増えたらめんどうなだけだ。あいつ、おれに課題を手伝わせてくるからな。自分のためにやったんだ」

「で、でも……! おかげで私はまっすぐ家に帰って漫画を読むことができます。そ、そのことに、お礼、を言うのは、変でしょうか……」


 嶋本の声は尻すぼみな声になっていて、最後のほうはほとんど聞こえなかった。


「……そうか。じゃあ結果的にはよかったな」

「は、はい……」


 そこで会話が途切れて沈黙が下りた。

 嶋本は落ち着きがなく、しきりに身じろぎしていて居心地が悪い。


「あ、あの!」

「うわ! 急に大きな声を出すなよ」


 めちゃくちゃびっくりした。不意打ちがすぎる。


「ごご、ごめんなさい!」


 嶋本は謝りながら鞄をがさごそと漁ると、一枚の紙を取り出した。


「こ、これがいまの私の課題なんです!」


 差し出されたそれは、ゼロ年生の課題が書かれた例のプリントだった。



〈男子とふたりで五分以上会話する〉



 嶋本は身振り手振りで緊張を誤魔化す。


「その、これはチャンスだと思ったんです! この課題をこなすには雨谷さんしかいないかと! 同級生はみんな女の子ですから!」


 なるほど、嶋本の進級課題はそういうかんじなのか。


「まあ、五分しゃべるくらいならいいぞ」

「ありがとうございます。……それで、その、何か話題はありませんか……」


 え、おれが話題を提供するの?

 嶋本の課題だよな?


 嶋本は恥ずかしそうにぷるぷると震えている。


 あれだな、好きなひとを前にしたら何を喋ったらいいかわからなくなるやつだな。嶋本はおれのこと好きだもんな。


 それなら仕方ない。おれから話題を振ってやろう。


「自分のことを話したらどうだ?」

「私のこと、ですか?」

「なんでそんなに男が好きなのか、とか、無理に男を避けようとするのか、とか」


 話題を提供するために訊いたというのもあったけれど、純粋に気になっていることでもあった。

 さすがに嶋本という女子はいろいろ異常すぎる。


「それは、そうですね……」


 嶋本は自分の足下に視線を落とした。


「恥ずかしい話なんですけど、たぶん恋愛漫画の読み過ぎなんです」

「……それだけ?」

「い、いえ、漫画だけではないんです。恋愛小説も恋愛映画も、恋愛がテーマの作品はなんだって読みましたし観ました。中毒です。おかげさまで恋愛中毒の恋愛脳です」

「……」


 作品に毒されてそのピンク色の脳みそを形成したのか。末恐ろしい。


「そ、そんな目で見ないでください……! 私だって自分が異常なことは理解していますし、改善しようと思ったんです! だからわざわざこの学校を選んだのに……」

「どういうことだ? 学校が関係あるのか?」

「ものすごく関係があります。どうしても顔を合わせたくないひとがいたから、少し家から遠い高校を選んだんです」


 そう切り出した嶋本は、いろんな意味で痛々しい中学時代を明かしていった。


 彼女の恋愛脳は中学時代には完成形だったらしい。

 なんなら思春期に突入して間もないぶん、いまよりも酷かったのだとか。


 顔がよければ好きになり、声がよければ好きになった。

 どこがいいのかわからないような男子でも、少し喋れば好きになったという。


 周囲から見れば浮ついているだけなのだけれど、嶋本にとっては純粋な恋だった。


 しかし中学三年になり、嶋本は本当の本気の恋愛を始める。


「私、すぐに赤面してしまうのがコンプレックスだったんです。でも、そのひとはだけは私にこう言ったんです」


 赤くなるの、かわいいね。


 その一言が沼だった。

 恋愛脳は悪化の一途をたどり、何も手につかなくなっていった。


 そこで嶋本は、わずかに残った理性で一大決心をする。


 あのひととはちがう高校に行く。

 二度と顔を合わせないで済む環境に行って、この恋心を根本からたたき壊す、と。


「このままじゃ絶対に頭がおかしくなるって思ってたんです。だから家から離れた高校を選んで頭を冷まそうとしたんです。それなのに……」

「同じ高校だったんだな」

「はい」


 その男子の進学先が判明したのは中学三年の三月だったという。

 もうお互いに入学することが確定している時期だ。


「私、本当に高校生になるのが嫌で仕方なかったです。入学するのが怖くて仕方なかったんです。不登校になるか高校浪人でもしようかと思いましたけど、そうもいかず……」

「そうだろうな」


 聖会長は高校生として不完全だとゼロ年生になると言っていた。

 嶋本の恋愛観を前にすると、ゼロ年生になるのも納得がいく話だ。


「あ、課題が……」


 嶋本の手のなかでプリントが白い光を放ち始めた。

 少しして光が解き放たれると、書面には赤いハンコが浮き上がっていた。


 課題達成、と。


 嶋本が立ち上がり、ぐっと拳を握る。


「やりました、課題達成です! 五分経ちました!」


 嶋本はそそくさと紙をスクールバックに戻す。


「あの、その、琴守さんのことはお任せしてもいいでしょうか……。早く帰ってこの新刊を読みたくて……」

「……めちゃくちゃ自分勝手だな」


 というか恋愛漫画は読み続けるのかよ。

 恋愛脳を治したいなら、そっちを我慢したほうが効果があるんじゃないか。


「そ、それと雨谷さん!」


 去り際、嶋本が振り返った。


「ほ、本当に私から嫌われる努力をしたほうがいいですから! その、今回の件で私は雨谷さんに少し気を許しつつある気がします……助けてくれたのもうれしかったですし……。だから、あの、私が好きになってしまう前にちゃんと対策をお願いします……!」


 嶋本、それはもうおれのこと好きだろ。


「それでは! いろいろとありがとうございました」


 嶋本は深々と頭を下げてから駅のほうに向かって歩いて行った。


 ゼロ年生は不完全の高校生。

 嶋本はまさしく不完全といえよう。


 まったく、なんでおれは厄介な女子とばかり知り合うんだ。


 ベンチの背もたれに身体を投げ出していると、背後から控えめに声をかけられた。


「雨谷くん……」


 振り返れば琴守がいた。

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