第20話 好きな色

 琴守こともりはおれのすぐそばまで歩いてきて、足をとめた。


「……絵菜えなちゃんは?」

「帰った。新刊を読むんだとさ」

「そう……」


 琴守の目は真っ赤になっていた。

 あれだけ大泣きしたのだから仕方ない。


「もう落ち着いたか?」


 かたちだけでも心配しておこうと声をかけると、琴守は不服そうに頬を膨らませた。

 それから泣き腫らした目をとがらせておれをにらみつける。


「もう大丈夫だから! ありがとうね!」

「怒りながら言うことじゃないだろ、それ」

「これっぽっちも怒ってない! むしろ助けてくれてありがとう!」


 口調は間違いなく怒り心頭なんですけども。


「……助けたつもりはないけど、どういたしまして」


 ため息をつきながらベンチから腰を浮かすと、琴守はすぐ横にならんでぎゅっと手を握ってきた。


 小さくて冷たい手が、しっかりとおれの手を捕まえた。


「……いこ?」


 琴守が手を引いて先導する。


 もしいま「なんで手を握るんだよ」なんて指摘したら、きっと琴守は怒りを加速させるか、あるいは悲しそうな顔をする。

 振り払おうにも振り払えなかった。


 歩き始めてすぐ、琴守は不安のにじむ声で訊いてきた。


「わたしたち、友達だよね……」

「あのな、さっきのは先生を言いくるめるために仕方なく友達じゃないフリをしただけであって――」

「そんなことはわかってるの!」

「すみません。おれと琴守さんは友達です」


 琴守がピリつくのもある程度は仕方ない。

 あんなに「友達じゃない」と面と向かって言われたら多少はダメージを受けるだろう。


 琴守はまだ不安が拭えないらしく、質問を重ねる。


「……どんな友達? 雨谷あまがいくんにとってわたしは、どんな友達なの?」


 質問の意図がつかめず、固まってしまった。友達に種類とかあるのか?


 答えを探していると、先に琴守がぽつりぽつりとつぶやきは始める。


「わたしにとって雨谷くんはね、ぶっきらぼうだけど優しい友達。いつも冷たくしてくるけど、その奥に暖かい心が見えるひと。大好きで、とても大事な友達だよ」


 今度は雨谷くんが答えて、と琴守が見上げてきた。

 そしておれの手が強く握られる。


「おれにとって琴守はうるさい友達だ」

「なにそれ。うれしくない」

「にぎやかだし、もっと静かにしてほしい。でも、いなくなられると静かすぎる気がする。ほどほどの距離感と頻度で、にぎやかにしていてほしい。そういう相手だ」


 馬鹿正直に答えたつもりだった。

 近くにいられると鬱陶しいことこの上ないけど、琴守がいないのは暇だし退屈すぎる。


「な、なにそれ……」


 おれの回答を聞いた琴守は、しきりに前髪をなでるフリをして顔を隠していた。


「雨谷くん、また適当なこと言ってない……?」

「本心だけど」

「ほ、本心……!」


 なんだか琴守の顔が赤くなっている気がする。

 いや、目元が赤く腫れているからそう見えるだけか?

 その割には耳まで赤くなってきているような。


 そのとき、琴守は急に腕を引いて走り出した。


「おい琴守、どうした!?」

「服、買うの!」


 琴守はぐいぐいと引っ張りながら走る。


「友達といっぱい遊ぶために服を買うの! ほとんどパジャマしか持ってないから!」

「いまじゃなくても」

「わたしたち、これから親友になるんだよ! いっぱい遊ばないと!」


 一階の通路を半分ほど駆け抜けたあと、琴守は急旋回して近くの服屋に飛び込んだ。


 息が荒れたまま、琴守はやっと笑みを見せた。


「雨谷くんがかわいいって言ってくれた服は、ぜんぶ買う!」


 ぜんぶ買うって、そんなに金を持ってるのか?

 いや持ってるんだろうな。なんせ琴守家だもんな。この富豪め。


 琴守はすぐさま服の物色をはじめ、何着も抱えて試着室に吸い込まれていった。


 そのあとも片っ端から店を回っていたのだけれど、七軒目か八軒目あたりで琴守が不満をにじませた。。


「雨谷くん、ぜんぜんかわいいって言ってくれない……」

「……それはあれだ、どの服も琴守に負けているというか」

「それ適当に言ってるよね。雨谷くんがちょっと間を空けるときってだいたい嘘ってわかってるんだからね」


 正直なところ、タイミングを逃していた。


 おれが「かわいい」と言うまで琴守の買い物が終わらないのは自明だったので「かわいい」と言うつもりにはしていた。

 でも二軒三軒と過ぎていくうちに「かわいい」へのハードルが上がってしまったのだ。


 そもそも琴守は黙っていればかなりの美少女だ。何を着てもかわいかった。


 いい加減に「かわいい」を伝えないと帰してもらえない。

 にわかに焦りながら次の店に入ると、店の中央に置かれたマネキンが目を引いた。


「これ……」

「え、雨谷くんはこれがいいと思うの?」

「まあ、そうかな」


 白いワンピースだった。

 シルエットがきれいで、シンプルなワンピース。


「そっかあ、白かあ……」

「だめなのか?」

「いつものパジャマみたいだから」

「ああ、たしかに」


 琴守が病室で着ていたネグリジェは白一色だし、パジャマ制服もベースは白色。

 意匠は異なるけれど雰囲気は近い。


「それならこのワンピースはちがうな。あまり気分よく着れないしな」

「なんで? 試着するよ?」


 おれは配慮しようとしていたのに、琴守はすでにサイズ選びを終えていた。

 おれが気にしすぎなだけなのか?


「わたしね、友達に勧めてもらった服を着るの、ちょっと憧れだったの」


 琴守はワンピースを右腕のなかに大事そうに抱える。


 こうやって友達と服を選ぶのは、女子なら当たり前に経験してきたことなのだろう。

 琴守は入院していた三年ぶん遅れているけど、いまは少しずつ取り戻していく最中だ。


 それは何者にも邪魔できない。

 おれにも、ゼロ年生現象にも。


「試着してくるね! 感情の準備をしておいてね!」


 琴守は子供みたいに笑うと、軽快にカーテンを閉めた。


 おれは衣擦れが聞こえないように距離を取って時間を潰す。

 待つこと数分、すぐに琴守に呼ばれた。


「ね、どうかな?」


 狭い試着室のなか、琴守は器用にターンしてみせた。


 雪のように白い肌と、色素の薄い髪と瞳。

 突き抜けた透明感を持っている琴守には、この色じゃないとしっくりこない。


「やっぱり琴守には白がよく似合う」


 そう告げると、にわかに琴守の頬に朱に染まる。まるで差し色みたいだ。


「えへへ、そっか。白が似合うか。雨谷くんがそう言うなら、好きな色になるかも」


 その言い方だと、まるでいまは白が嫌いなように聞こえてしまう。


「悪い。あまりよくない言い方だったよな。白が似合うなんて」


 琴守にとって白はパジャマの白だ。

 いい思い出がない色のはずだ。


「大丈夫! いまのわたしにとって、入院していた期間もわたしの一部だよ。入院していなきゃ、雨谷くんとも出会わなかったからね。白、きっと好きになるよ」


 本当に、琴守は小っ恥ずかしいことを平気で言ってくるから困る。


「……琴守がいいならいいけど」

「うん!」


 弾けるような笑顔を見せたあと、琴守はおれのほうに手を向けて催促する。


「それで、何か言うことは?」


 どんな言葉を要求されているかはわかっていた。


「かわいいよ」


 ちゃんと目を見て言えたかは怪しいけれど声に出すことはできた。


「むふふふふ」


 琴守は気持ちの悪い笑い声をあげたあと、またカーテンのなかに戻っていった。


「ありがと! これ買うね!」


 すぐにカーテンの奥から大急ぎで着替える音が聞こえてきて、慌ててその場から離れた。


 会計を済ませたあとは、特に行く当てもなく通路をさまよった。


 琴守は上機嫌だった。

 左手に服屋の紙袋をぶら下げ、右手でおれの手を握っている。


「あ、そうだ! 雨谷くんの行きたい店も行かなきゃ!」


 思い出したかのように琴守が言った。


「別にないんだよな……。ゲーセンに行くのもちがうしな」


 一応このショッピングモールにはゲーセンがある。

 おれも何度か足を運んだことがある。

 行きたい店はそこくらいだけど、琴守を連れて行く場所ではない気がする。


「いいじゃん、行こうよ」

「ゲーセンに男女で来るやつ苦手なんだよな……」


 なぜかわからないけれど、ゲーセンにいるカップルはいちゃいちゃしていることが多い。

 おれと琴守は付き合っているわけじゃないけれど、あの手の連中だと思われたくない。


「そんなこと気にしてどうするの! 行くよ! 何階なの!」

「三階だけど」

「よし、三階ね」


 琴守はおれの手を引いてエレベーターホールへと進む。

 おれはため息を吐いたあと、引っ張られるまま歩を進めた。


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