第18話 キーワードは

 おれはとっさに近くの雑貨屋に滑り込み、身を隠す。


「反射的に隠れてしまったな……」


 琴守こともり嶋本しまもとに見つからないよう、密かに周囲を警戒する。


 ぱっと見たところだと見回りの先生は見当たらない。

 いまさっき畑中はたなか先生も男子生徒を連れて行ったところだし、すぐには戻ってこないだろう。

 この隙に嶋本の買い物が済むと助かるのだけれど。


 ほどなくして琴守たちは雑貨屋の前を通り過ぎた。


 ふたりは知らぬ間に打ち解けたみたいで、あれやこれやと話に花を咲かせていた。まるでヒズミのことなんて忘れているみたいだ。


 琴守にとって放課後の寄り道はいつぶりだろう。


 中学に入ってすぐに入院したと言っていたから、はじめての経験かもしれない。

 浮かれてしまうのもよくわかる。


「水を差すようなことはしたくないよな……」


 やはり方針は変えずに行こう。遠くから見守って、ピンチのときだけ駆けつける。

 そうしよう。女子ふたりで盛り上がっているのを邪魔したくない。


 おれは雑貨屋を出てふたりの後ろに回った。


 本屋は一階の中央寄りにあるので、少し歩けばすぐ目の前に見えてきた。

 ふたりは店舗の奥へと進んでいったけど、おれは入り口の前で足をとめた。


 店のなかは通路が狭く、入店したらおれの尾行が気取られる可能性が高い。

 それなら店の前で待っていたほうがいい気がしたのだ。


 もし見回りの先生が現れたら、そのときだけ本屋に入ればいい。要は見張りだ。


 近くの柱に背を預け、ぼんやりと近くの話題書コーナーを眺める。


 一息ついて思い出すのは、亜莉栖ありすと嶋本が過去に起こしたヒズミのことだった。


 亜莉栖は体育館をライブ会場に変えた。嶋本は男子の制服をスカートに変えた。そんなふうに話していたはずだ。


 亜莉栖は何やらアイドルの真似事をしているみたいだから、ライブ会場を爆誕させたのはうなずける。

 嶋本は男子に対して過剰な意識を持っているから、男子の制服に介入してしまたのではないだろうか。


 おそらくヒズミは「だれが原因で発生したか」によって内容が変わるのだと予想できる。

 亜莉栖のキーワードは「アイドル」。嶋本のキーワードは「男子」。

 それがおれの仮説だ。


 ならば琴守はどうなる? 今回のヒズミの原因は琴守にあるという。

 ならば寄り道禁止令と琴守には関連性があるはず。でもそれがわからない。


 琴守のキーワードは、いったいなんだ?


 頭のなかで情報をこねくり回していると、近くに奇怪な動きをする人影を見つけた。

 畑中先生だ。ゾンビさながらの動きで徘徊している。


「まずい……! 戻ってくるのが早すぎる……!」


 さっき男子を連れて行ったところだっただろ!

 あれから数分しか経っていないのに!


 いや、これはおれの見通しが甘かっただけだ。

 畑中先生はヒズミの内側に取り込まれている身なのだから、常識の尺度で考えてはいけなかったのだ!


 畑中先生は本屋の前まで来ると、何かを察知したかのように顔をあげた。

 まるで獲物を見つけた猛獣のごとし。


 先生はすぐに方向転換し、本屋の奥へとずんずんと進んでいく。


 まずい! 琴守たちに気づいている!


 おれもすぐさま背中を追う。先生の足は速く、半ば駆け足になりながら店内に入る。


 さて、どうすれば先生を阻止できる? 具体的な作戦は用意していない。

 ならば力技で引き留めるか? でも畑中先生の巨体をおれの体躯でとめられるとは思えない。


「くそ……! 先に考えておけばよかった!」


 考えたところで妙案が出てきたか怪しいし、最初から詰んでいたかもしれない。

 でもいまは琴守たちのところに行くしかない。


 漫画コーナーに足を踏み入れてすぐ、その姿を見つけた。

 琴守と嶋本はとっくに畑中先生に捕捉されていて、がっちりと腕を掴まれていた。

 万事休すである。


「漫画は発売日がいちばん旬なんです! 邪魔しないでください! 離してください!」


 意外なことに、嶋本は強気に抵抗していた。愛する作品のためならオタクは強い。


「それに、その……先生の腕って力強くて、男らしくて、正直興奮してしまいます……」


 おまえ男なら先生もストライクゾーンなのかよ!


 嶋本が反抗しようとする一方で、琴守は青白い顔をしているだけだった。

 その表情は恐怖に侵されいて、抵抗できないまま打ち震えている。


 早くとめなければ。そう思って飛び込もうとしたとき、琴守が何かを呟いたのが見えた。


 はっきりとは聞こえなかったけれど、口の動きは読み取れた。「わたしのせいだ」と。


 このヒズミは琴守の心が引き起こしている。

 だから琴守が責任を感じてしまうのは致し方ないだろう。


 でも、このヒズミはあまりにも酷じゃないだろうか。

 琴守はずっと友達を欲しがっていて、やっと悲願が叶ったのだ。それなのに寄り道を禁止するなんて……。


 そのとき、おれは頭のなかで何かが引っかかって足をとめた。


 思い出したのは、あの張り紙に書かれていた文言だ。



〈友達を誘い合わせたうえでの寄り道を固く禁ず〉



 そうか、おれは重大な見落としをしていた。この文言で禁止されていたのは、単に寄り道することじゃない。


 ちゃんと書いてあるじゃないか。〈友達を誘い合わせたうえで〉と。

 張り紙が禁止していたのは、友達と寄り道することなのだ。


 やっと線が繋がった。


 亜莉栖は「アイドル」。

 嶋本は「男子」。

 そして琴守のキーワードは「友達」だったのだ。


 理屈がわかれば怖いものはない。

 おれは小走りで彼女たちのもとへ急ぐ。


 このヒズミには穴がある。


 友達との寄り道がアウトである一方で、ソロでの寄り道は許されるのだ。

 現にひとりでショッピングモールに来たおれは先生に捕まっていない。


 私服だから見逃してもらえたのではなく、ひとりだったから見逃してもらえたのだ。


 そのことが把握できれば、自ずとヒズミの攻略法が見えてくる。


「畑中先生、そいつらを捕まえるのは少し気が早いんじゃないですか」


 声をかけると、先生の首がぐるりと回ってこちらを向いた。

 相変わらずゾンビみたいな動きをしやがる。


「雨谷さん……!?」驚く嶋本。

「雨谷くんだ……!」安堵に顔をほころばせる琴守。


 作戦は完璧に定まっている。おれは悠々と先生に告げる。


「そのふたり、友達じゃないですよ」


 とたんに先生の動きが固まった。やはり効いている。


 一方で女子ふたりは反発してきた。


「何を言ってるの! もうわたしと絵菜ちゃんは友達だよ!」

「そ、そうですよ……!」


 彼女たちはおれの作戦を知らないのだから無理もない。

 おれは話を続ける。


「まあ待て。今回の張り紙で禁止されているのは、友達と寄り道をすること。それで合っていますよね、先生」


 ゾンビ先生がゆっくりとうなずく。

 いちおう話は通じているらしい。


「つまり裏を返せば友達じゃないやつとの寄り道は禁止されていない。知り合いどうしの寄り道なら、禁止にはならないはずです」


 嶋本が「あっ」と声をあげた。どうやら気づいてくれたらしい。

 友達であることが条件ならば、友達ではないフリをすればいいのだ。


 あとは話を合わせてくれよ、ふたりとも。


「先生、もう一度言いますよ。そいつらは友達どうしじゃないんです。琴守は編入したばかりで嶋本と知り合ってから数日しか経っていませんし、そこまで仲が良いわけでもない。友達に見えたのなら先生の勘違いです」


 畑中先生が瞬きを繰り返す。迷っているらしい。


「雨谷くん! なんてこと言うの! わたしと絵菜ちゃんは――」

「雨谷さんの言うとおりです。私と琴守さんは友達ではないです」

「絵菜ちゃん!?」


 嶋本が加勢してくれた。

 琴守は早く気づいてくれ。


「それと、おれのことも捕まえないでくださいね。おれとそいつらはただの知り合いです。知り合いは罰則の対象じゃないですからね。友達でもなんでもないですから」

「どうしてそんなこと言うの……! わたしたち、友達じゃなかったの……?」


 おい琴守! いい加減に気づけよ!


「琴守さん、いいですか。私たち三人はただの知り合いなんです。知り合いは罰則の対象にならないんです。だからいまだけは友達じゃないんです」

「え、絵菜ちゃんまで……! わたし、絵菜ちゃんのこと大好きなんだよ。まだ知り合ってから少ししか経ってないけど、だいじな友達で……」


 嶋本がほとんど説明してくれたというのに、琴守の耳には届いていない。感情的になっているらしく、冷静に言葉を咀嚼できていない。


 困り切った嶋本は、申し訳なさそうな顔で首を横に振る。


「いえ、ですから友達になった覚えはないです。琴守さんはただの知り合いです」


 ついに琴守はとどめを刺され、表情が絶望に沈んだ。

 首をがくりと折ったあと、乾いた声で笑う。


「あはは……そうだったんだ……。友達だと思っていたのはわたしだけだったんだ……」


 琴守が自分の空回りを認めた瞬間、畑中先生はふたりの腕を解放した。

 そしてすぐさま回れ右して本屋の出口へと消えていった。


 嶋本が歓声をあげる。


「やりました、琴守さん!」


 もしこのあと再び先生に遭遇することがあっても「友達ではないです」と言い逃れできるから問題ない。


 なんとかやりきった。ミッションクリアだ。


 しかし振り向くと、琴守がすすり声をあげて大泣きしていた。


「わたし、友達じゃなかったんだね……」


 大粒の涙が顎を伝ってこぼれ落ち、本屋の床の上で弾けた。

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