第14話 岩と水槽

 思い返してみれば、すごく親友っぽいことをしたように思う。


 ふたりで琴守こともりの父親に反発し、自転車をふたり乗りしてセダンから逃げ切った。

 あの瞬間だけは、反吐が出るくらいきらきらの青春だった。おれの大嫌いなきらきらの青春。


 おかげで家に帰ってからは、羞恥のあまりしにたくなった。


 勢いだったとはいえ、なんであんなに自分らしくないことをしたんだ。似合わないのにかっこつけやがって。琴守なんか放っておいてもよかっただろ。

 とにかく後悔は尽きない。


 それはともかく、すごく親友っぽいことをした。


 だから琴守の課題〈親友をひとり作る〉は達成されたのではないかと思っていたけれど、残念ながら親友判定はされなかった。

 家に帰ったあと、琴守がLINEで教えてくれたのだ。


 基準はよくわからないけど、ふたり乗り程度では親友と認められなかった。

 教室の意思とやらはずいぶんと気まぐれらしい。


 要はもっと親友っぽいことを実践しないと課題は達成できないのだ。気が重い。



 さて、これは翌朝のこと。


 登校する前に携帯を開くと、琴守からメッセージが来ていた。


『お父さんと通学方法をめぐってケンカ中! きょうは先に行ってて ごめんね』


 きのうはふたり乗りで危険運転をしたところだし、琴守の父親は気が立っていることだろう。仕方ないから琴守を置いて先に学校に向こうことにする。

 まあ、おれはひとりで登校するほうがいいんだけど。


 まだ蒸し暑い九月初旬の街をシティサイクルで駆け抜け、おれは学校に着いた。


 なにごともなく校門をくぐり抜けて駐輪場に向かおうとしたとき、後ろから呼び止められてブレーキを握った。


「ま、待ってください! 雨谷あまがいさん……!」


 振り返ると、嶋本しまもと絵菜えながいた。地雷服と眼鏡がトレードマークのゼロ年生。


「なんだ?」

「あ、そこでとまらないでください。私の風上に入られると雨谷さんのにおいが……。しかもほんのり汗の香りが混ざっていて……正直、その、そそります……」


 相変わらずめんどくせえな。しかもいま風って吹いてるか? どっちが風上?


「嶋本がおれの風下からどけばいいだろ」

「た、たしかに……!」


 嶋本はカニ歩きでおれの周囲をぐるぐる回りながらベストポジションを探し始めた。


「で、なんの用?」

「そうでした。ヒズミが起こったので招集がかかったんです」

「……なんだって?」

「と、とにかくゼロ年生の教室に行きましょう。会長も待ってます」


 またしても厄介ごとか? ゼロ年生でもないんだから巻き込まないでほしいんだけど。

 朝っぱらから頭痛がしそうだ。


「あ、あの、雨谷さん……。できれば気怠そうなオーラは控えていただきたくて」

「朝からトラブルなんて、嫌な気持ちになるのは仕方ないだろ」

「そうじゃなくて……。私、ダウナーな雰囲気の男子がタイプなんです。そのままにされると雨谷さんのこと好きになってしまいそうなんです……」


 もういい。勝手にしてくれ。

 というか「好きになってしまいそう」とか言ってる時点でもう好きだろ。

 嶋本絵菜、おれのことが好き。かわいそうに、それは実らない恋だ。


「……自転車を置いてくるから待ってろ」


 再び自転車にまたがると、背後で嶋本が叫ぶ。


「あ、あの! 本当に私に恋されると面倒ですから! 粘着質で束縛癖があって自己肯定感が低いくせに恋愛体質なんです! 私から嫌われる努力をしたほうがいいですよ!」


 聞き流しながら駐輪場へと急ぐ。


 まったく、ゼロ年生は厄介女子の詰め合わせだ。


 自転車を置いたあと嶋本を連れて廊下を進んでいると、ときおり気になる光景が目に入った。掲示板の前に生徒が群がっているのだ。

 よく見ると、何やら生徒への連絡ごとが貼ってあるらしい。


 集まった生徒たちは、不満と好奇が入り交じった声で話し合っている。

 あの張り紙、何が書いてあるんだ?


 おれの疑問を察したらしく、嶋本が告げる。


「いまは急ぎましょう。すぐに会長が説明してくれるはずです」

「あの張り紙に関連することなのかよ……」


 早くも嫌な予感がふつふつと湧いてきた。

 脚の動きが自然と鈍る。


「そ、それはともかく雨谷さん……。私の隣を歩くと距離が……」


 もじもじと顔を赤らめる嶋本にため息を返す。

 おれは仕方なくスピードを落として嶋本の五メートル後ろをキープしながら歩いた。


 東校舎の最奥に着くと、例の扉が壁から浮き上がりおれたちを迎え入れた。


 ゼロ年生の教室ではすでにひじり会長と亜莉栖ありすが集まっており、琴守も遅れて登校してきた。琴守いわく「電車通学を勝ち取った」とのこと。


 これで関係者一同、全員集結である。


「みんな、朝からごめんなさいね」会長が黒板の前に立つ。「岸亜莉栖さんと嶋本絵菜さんはご存じだとは思うけれど、はじめてのひとがいるから改めて説明させてもらうわ」


 聖会長は一枚のプリントを取り出し、黒板に磁石で貼り付けた。


「今朝、これが学校じゅうの掲示板に貼り出されたわ。いえ、発生した、という言い方のほうが正しいかしら」


 朝から生徒たちを賑わせていた、例の張り紙だ。おれはそれにはじめて目を通す。



〈友達を誘い合わせたうえでの寄り道を固く禁ず。違反した生徒が発見された場合、罰として追加の課題を与える〉



 ざっくり要約すれば、寄り道の禁止ということだろう。

 この張り紙がなんだというのか。なぜこれが理由で招集されたのか。


「校則でも『寄り道するな』みたいな文言、ありませんでしたっけ」

「ええ、あるわ。部活動などの用事がない生徒は速やかに下校すること、とね。でも今回の張り紙は事情が違うの」


 聖会長はぐるりと教室を見回したあと、おれに質問を投げかけた。


「この教室、きのうから大きく変わった点があるのだけれど、わかるかしら」


 問われるや否や、女子たちはひそひそ声で盛り上がる。


「わからないなら圭先輩の目は節穴ね」

「はい、わからないようならかなりの鈍感です。乙女心にも気づけません」

「わたしはわかったよ! 簡単だよね。雨谷くん、ちゃんと気づいてるか心配だなあ」


 なんで全体的におれに対して失礼なんだよ。


 言われるまでもなく気づいていた。たしかにこの教室はがらりと変化していた。


「広くなってますよね。教室」


 入室してすぐは目を疑ったけど、ゼロ年生の教室は間違いなくふたまわりほど広くなっていた。

 もとは狭めの教室という印象だったのに対して、いまは普通教室と同じくらいの広さがある。

 ゼロ年生三人のための教室としては、広さを持て余しているくらいだ。


「この教室はね、ゼロ年生の心の受け皿なのよ」 


 会長が静かに告げたとたん、女子たちはパタリと会話をやめた。


「大きな心を受け止めるには大きな受け皿が必要でしょう。だから教室が広くなったの」

「……いやよくわからないですけど」

「そうね、言葉が足りなかったわ。たとえば『気が重い』とか『心が軽い』といった言い回しがあるでしょう。古来から心は質量を持つものとされてきたわ。ゼロ年生の心は質量を持っていて、それを受け止めるためにこの教室はあるのよ」

「はあ、心に質量ね……」


 おれはちらりと三人のゼロ年生を見た。


 にわかに信じがたい話だけど、会長の話を信じるならゼロ年生たちの心が重たくなったということだ。きのうからきょうにかけて心が重たくなって、それで教室が広くなった。


 もっと砕いた言葉をあてはめるなら……悩みができたということだろうか。


「正直なところ、教室が広くなるだけなら問題がないわ。むしろ開放的でいいでしょう」


「ドッジボールとかできるかもね」と亜莉栖。

「この人数でやるんですか?」と冷静に嶋本。


 こほんと咳払いしてから会長は続ける。


「教室が広くなって問題になるのはね、ヒズミが起きることなの」


 ヒズミ。さっき嶋本が口にしていた言葉か。


「さて、今度は琴守楓花さんに質問させてもらおうかしら」

「は、はい!」


 ひっくり返った声で琴守が返事した。なんだよ、ぼうっとしてたのか?


「水がなみなみに入った水槽に大きな岩を沈めたらどうなるかしら」

「え……。水がこぼれる……ですよね?」

「そうね。岩の体積のぶんだけ水がこぼれるわ。それと同じ理屈でヒズミは起きるものなの。つまるところ、この教室は岩なの」


 聖会長は広くなった教室の隅に目線を置いた。


「この一室は本来『存在しない空間』。しかもそれが『存在する空間』を押しのけて発生しているわ。『存在する空間』が無理やり押しやられたら、現実の空間に歪みが発生する。それがヒズミなの」


 現実という名の水で満たされた水槽に、架空という名の岩を沈める。すると現実があふれてこぼれだす。そういう話か。


「理屈はわかりましたけど、何がどう歪むっていうんですか?」


 おれが訊ねると、琴守もこくこくと首を振っていた。


「そうね。話を最初に戻そうかしら。今回起きたヒズミは、まさしくこの張り紙よ」


 聖会長に指し示され、おれと琴守は改めて張り紙の文言を目で追った。



〈友達を誘い合わせたうえでの寄り道を固く禁ず。違反した生徒が発見された場合、追加の課題を与える〉

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