第12話 本日限りの後部座席
朝から疲れ切ってしまい、授業中はぼんやりと窓の外を眺めて過ごした。
かたちを変えゆく夏の雲を目で追いながら、三人のゼロ年生たちのことを思い返す。
ネグリジェの
アイドル衣装の
地雷系の洋服の
三者三様のゼロ年生の制服。
聖会長は彼女らのことを「不完全な高校生」と称していた。
亜莉栖と嶋本は人格の癖が強かったから不完全な要素があるのが見え透いたけど、それなら琴守はどうなのだろう。
闘病生活が長かったとはいえ編入試験に合格したと言っていたから、学力が不十分というわけではないはずだ。
ゼロ年生の教室は何を基準に「不完全」と決めているのだろう。
いま琴守は不完全な高校生で、課題をこなすことで完全な高校生になれる。
それって要するに、親友を作れば琴守は完全な高校生になるわけだ。
疑問を自分なりに整理してみたけど、どうもしっくりこない。
親友がいなければ不完全な高校生なのか?
おれだって親友なんていないんだし、それならおれもゼロ年生になっていないとおかしい。
どれだけ考えても矛盾を解きほぐすことはできず、気づけばあっという間に時間が過ぎて六限終了のチャイムが鳴り響いた。
あれほど考えごとで頭をいっぱいにしていたのに、駐輪場で自転車にまたがったとたんに素晴らしく晴れやかな気持ちになった。
なぜなら、きょうは琴守に束縛されずに済むからだ。どうせゼロ年生の同級生たちと帰るだろうし、おれのお役は御免というわけだ。
きのうまで夏休みだったとはいえ、自由に時間を使える放課後は久しぶりだ。やっと琴守から解放された。
シティサイクルのペダルを踏み込むと、驚くほど軽く足が回る。
夏の昼過ぎだというのに頬をなでる風も爽やかに感じた。
寄り道だ! ゲーセンがおれを呼んでいる!
最高のテンションで校門を通り過ぎようとしたとき、おれは校庭にとある人影をみつけて急ブレーキをかけた。
琴守が独り、木陰に座ってぼんやりとした目を空に向けている。
おれは方向転換して琴守に近寄った。
「どうした? 熱中症か?」
「あ、雨谷くん……。平気だよ。心配してくれてありがと」
平気だという割には元気がなさそうに見えた。
「亜莉栖と嶋本はどうしたんだ? 家の方向がちがうのか?」
「ううん。ふたりとも桂駅から阪急電車だって」
「じゃあいっしょに帰ればよかったじゃないか」
問いかけると、琴守の視線が流れていった。おれもそれにつられるようにして目を向けると、防球のネットの裏に黒色のセダンがとまっていた。
「あ、わかっちゃった? あれ、うちの車なの」
琴守はおどけて笑ってみせたけど、明るい声を作っているだけだとすぐにわかった。
「きょうの朝もね、本当は車で行くようにお父さんに言われていたの。でも雨谷くんといっしょに登校したくて家から脱走したの。帰りは……たぶん逃がしてくれないだろうな。だからここで我慢比べしてるの。むこうが諦めて帰ってくれるまで」
「……そうかよ」
らしくない。らしくないぞ、琴守。
友達を百人つくると言っていたよな。
やっと同級生ができたのにいっしょに帰らなくてどうするんだ。亜莉栖も嶋本もおまえの友達じゃないのかよ。
それからいつものわがままはどうしたんだよ。こんなときに限ってなんでおとなしくなってるんだよ。「助けて」と一言告げるだけでいいだろ。
そんなに親に反発するのが怖いのかよ。それとも友達を巻き込むのが嫌だっていうのか。
「なあ琴守、友達といっしょに帰りたいって思わないのか?」
訊ねると、琴守の顔に陰が落ちた。
「できないよ。きっと無理やりにでも車に乗せられちゃう」
らしくないのは、きっとおれも同じだ。
おれの内側から湧き上がってくる衝動は、まったくもって自分のキャラじゃない。
いつもの自分じゃない。
「あ、雨谷くん……? どうしたの?」
おれは優しくないし、お人好しではない。
友達なんて欲しくないし、友達を大事にするつもりなんてない。
他人と関わるのも最低限にしたいし、めんどうな人間関係も持ちたくない。
おれはそういう人間だ。
だから決して「琴守を助けたい」と思うはずがないんだ。まったく、これっぽっちも。
都合のいい言い訳が欲しい。
なんとしてもこの衝動に理由をつけたい。
九月初旬の陽光がおれの首筋を焼き、知らぬ間に汗が伝う。
夏休みが明けたとはいえ京都の猛暑はとどまることを知らず、いまも目眩がしそうなくらい熱っぽい空気が肌にまとわりついてる。
もし琴守がこのまま炎天下で我慢比べを続けていたら、きっと熱中症になるだろう。
下手すれば、死に至るかもしれない。それはさすがに目覚めが悪い。
おれは自分に言い聞かせる。
これは人命救助だ。優しさを発揮したわけでもないし、お人好しというわけでもない。
尊い命が犠牲にならないよう、仕方なく行動に起こすだけなのだ。
「なあ琴守」
「な、なに……?」
おれはシティサイクルの荷台を指差して告げる。
「……この自転車な、ふたり乗りなんだ」
琴守は察しが悪いらしく首を傾げる。
「雨谷くん、今朝は自転車はひとり乗りって言ってたよね。それに耐荷重も二十キロくらいだって……」
「あのな琴守。四トントラックは四トン以上積んだらぶっ壊れるのか? 別に少しくらいオーバーしても問題なく走るだろ? こういうのは安全のために余裕のある数字が設定されているものなんだ」
「それはわかるけど……」
「もう一度しか言わないからな。この自転車はふたり乗りだ」
琴守はゆっくりと立ち上がると、その大きな瞳を期待に揺らす。
「自転車で車から逃げるの?」
「……さあ、どうだろうな。ちょっとスピードは出すかもしれないけど」
「そっか。じゃあしっかりと掴まっていないとね」
その返事を聞いて、琴守が同意したのだとおれはとらえた。
「鞄、こっちによこせ」
「うん……!」
ふたりぶんのスクールバックを荷物カゴに押し込みサドルに尻をのせる。
琴守はネグリジェのロングスカートを思い切りすくいあげて荷台にまたがった。
真っ白な太ももが丸見えだ。
「大胆でお転婆なお嬢様だな」
「見ないでよ、へんたい」
「スカートの端、巻き込まないようにしてくれよ」
「うん、大丈夫」
ペダルを踏み込む。
三段階の変速機がついていても、最初の一回転が重く脚にのしかかってくる。
後ろに女の子が乗っているのだから当然だ。
「しっかり捕まっていろよ!」
琴守の両腕がきつくおれの腰に巻き付く。
相も変わらず立派な胸の感触が背中に伝わる。きっと琴守の両胸はぺしゃんこに押し潰されていることだろう。
そんなくだらないことを考えながら校門を抜けると、後ろの琴守が小さく呟く。
「パジャマ制服が……」
おれにも見えていた。
校門をくぐった瞬間、琴守のネグリジェが制服へと戻ったのだ。
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