第10話 無理のあるハグ

「さて、わたしたち、どうやって親友になろうか」


 琴守こともりは喜々として話を進めていく。


「親友って友達の進化形だよね? いま以上に仲が良くなればいいんだよね?」

「……まあそうだろうな」


 いまの段階で仲が良いと思っていたのか。びっくりだな。


「ね、握手してみない?」

「……なんで?」


 差し出された琴守の手を見下ろしながら、おれは疑問符を浮かべる。


「わたしたち、友達っぽいことは一通りやってない? いっしょに遊んだりちょっとお出かけしたり……。だからあんまり試してないことやったほうがいいかなって」

「たしかに握手はしてないけど……」


 その程度で親友になれるとは思えないけど、試してみるくらいはいいだろう。

 そう思って差し出された右手を握ろうとしたら、なぜか琴守は手を引っ込めた。


「待って。この握手は親友の証だから、そういう決意みたいなのを込めて手を握って」

「めんどくせえ……わかったよ……」


 手を取ると、琴守が微笑む。


「わたしたち、親友だ」


 琴守が固くおれの手を握り、おれもつられるようにして握り返す。


 白く細い指と、少し低い体温。女の子特有の滑らかな肌。それでも弱々しい感触はしないのは、琴守がエネルギッシュだからだろう。


 たっぷり数秒ほど握ったあと、琴守は指の力を抜いて手をほどいた。


「さて、課題は達成されたかな?」


 琴守が例の紙を封筒から引き出したのでおれものぞきこんだ。

 ひじり会長は「ハンコが浮き上がってくる」と言っていたけど、紙面はまっさらなままだった。


「そんな気はしたけど、さすがにだめだな」

「じゃあ次は肩を組んでみよっか」

「え、まだ続けるのかよ」

「それっぽいスキンシップはひと通り試そうよ」


 おれたちは友達である前に異性なのだけれど、琴守は気にしているようすがない。

 こうも開けっぴろげな態度を取られると、気にしているおれが間違っているみたいだ。


「ああもう、わかったよ。肩を組むだけな」

「やったあ!」


 おれが右腕を横にあげると、琴守が身体を滑り込ませてきた。

 身長差があるぶん、少しちぐはぐに腕と肩が噛み合う。そして琴守の豊満な胸の横側が密着する。


 それに、パジャマというのもよくない。

 学生服が混ざっているとはいえ、生地は薄くて柔らかい。そのぶん身体の線とか体温がダイレクトに伝わってくる。


 気にするな、気にするな、気にするな……。琴守も気にしていないだろうし。と思いきや、琴守も興奮した声でおれの胴をぺたぺたと触り始めた。


「雨谷くんの身体、けっこうがっしりしてない……?」

「おい、触るな……」

「帰宅部なのにしっかり筋肉がある……やっぱり男の子なんだ……」

「触るなって……!」


 琴守はおれを見上げながら悪戯っぽく笑う。


「ふふ。雨谷くんって恥ずかしがり屋さんなんだ?」

「……いまおれは流行り病に感染していて、あまり密着するとうつるかもしれなくて」

「うんうん、それはたいへんだね」


 おれが言い逃れようとしているのを無視して、琴守がスマホの内カメラでシャッターを切った。


「おい、何をしている」

「肩を組んだら自撮りするほうが親友っぽいかなって。ほら、雨谷くんも笑って」

「……おれの表情筋は休暇中なんだ」

「すごく嫌そうな顔してるし、ちゃんと表情筋うごいてるよ」


 そのあとも琴守は無理やり写真を撮ったあと、やっとおれを解放してくれた。


「うーん、だめみたい」


 直後、課題の紙を確認しながら琴守が言った。


「だろうな……」


 そんな簡単なやり方で親友になれるなら、初対面の人間でも肩を組めばベストフレンドだ。世界平和すら成し遂げられる。


 琴守は封筒を机の上に置き、力強くうなずく。


「じゃあ最後はハグ、やってみよっか……!」

「いやいやいや……」


 なんでそういう提案を恥ずかしげもなくできるんだ。おれ、男だぞ。


「そこまでする必要はないだろ。もうスキンシップに効果がないのは明らかだし」

「でもハグならいけるかも」

「それに琴守も男のおれに抱きしめられるのは嫌だろ」


 早口になっているのを自覚しながら正論を並べた。しかし琴守はすでに暴走していた。


「わたし、雨谷あまがいくんとならハグできる……。なんなら、ちょっと気持ち前向きにハグしたいかも……」


 琴守は頬を染めながらもじもじしていたが、しっかりとおれの目を見ながら言い切った。 

 なんでこう、琴守は変な方向に思い切りがいいんだ。勘弁してくれ。


「雨谷くんが嫌がるなら、わたしから胸に飛び込みます!」


 琴守は大きく腕を広げると、じりじりとおれのほうに詰め寄った。

 おれも少しずつ琴守から距離を取ったが、やがて壁まで追い詰められた。


「覚悟を決めるんだよ! 雨谷くん!」


 悲しいかな、琴守は冗談を言っているわけでもなければふざけているわけでもない。ただ純粋におれと親友になるためにハグしようとしているだけだった。


「ハグするまで逃がしてくれないんだな……?」

「そうだよ!」


 琴守の強引さと強情さは心得ている。このハグからは逃げられない。

 ならば、心を無にしてさっさと終わらせてしまうほうが吉か。


 気持ちの整理を終え、無我の境地に至った。


 おれは自ら一歩踏み出し、琴守の両肩を腕のなかに納めた。


「あ、雨谷くん!? 急に自分からなんて……! そんな積極的に……」


 琴守が腕のなかでジタバタと暴れたが、やがておとなしくなって両腕をおれの腰に回して抱きついてきた。


 琴守はおれの胸元に顔を埋めながら言葉を漏らす。


「わ、わ、わ……。これが男の子とのハグ……」


 ぴったりと身体がくっついた。琴守の両胸が押し潰されている感触が伝わる。

 もちろん、おれだって女の子とハグしたことはない。


 両の手のひらで触れる琴守の背中。ネグリジェの優しい肌触りの奥に、下着の肩紐がある。

 パジャマだからこそ何もかもが直接的に、繊細に伝わってしまう。


「心を無にしろ、心を無にしろ……」

「雨谷くん、何を呟いてるの?」

「なんでもない」


 心音が高く鳴り響き、時間は間延びしたようにゆっくりと過ぎる。

 彼我の境目が曖昧になって、ふたりの体温が平たくならされていく。


「ね、ねえ雨谷くん……そろそろ……」

「ああ、そうだな……」


 恐る恐るふたりで示し合わせ、身体を離そうとした。


 そのとき。教室の扉が勢いよく開け放たれた。


「うわあ、スキャンダルってやつ? あ、でも芸能人じゃないから関係なかったねえ」

「あ、朝から不純異性交遊です……」


 ふたりの女子の声に反射するようにして、おれは琴守を突き放すようにして離れた。


「……これはあれだ、きのうテレビでハグが健康にいいという話を知ったから試してみたくてだな」


 言い訳を並べながら声のほうに目を向けた。


 見覚えのない女子がふたり。しかし彼女らは学生服ではなく妙な服を着ていた。


 おれはすぐに直感する。このふたりも、琴守と同じくゼロ年生なのだと。

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