第9話 友達ランクアップ

 おれは身体の緊張をほぐすように大きなため息を吐く。


 突如として現れたゼロ年生の教室。この場所に教室は存在しないはずなのに。

 新学期早々からいろんなことが起きすぎて頭がパンクしそうだった。


雨谷あまがいくんも入らないの?」


 教室のなかから琴守こともりに呼ばれ、恐る恐る踏み入る。

 超常現象が生み出した幻の一室ではあったけれど、床を踏む感覚はいつも通りだった。


「いろいろびっくりだったね」

「ほんとにな……」


 興奮気味の琴守に対し、おれはぐったりとした声で応じた。


「雨谷くんも特異体質になってよかった。すごくうれしい」

「おれはなりたくなかったけどな……」


 ゼロ年生現象というのは何もかもがめちゃくちゃだ。頭痛の種になるから一般生徒みたいに認知できないままでいたかった。

 なんならいますぐにでも一般生徒に戻りたい。


「それじゃあ、作戦会議しよっか」


 琴守が適当に座席を選んで腰掛けた。


 教室に机が三つ置かれているということは、ゼロ年生の生徒は琴守含めて三人いるということか。まだ登校していないようだけど。


 おれも琴守の隣の席を拝借して座った。


「作戦会議って、なんの?」

「もちろん課題についてだよ!」


 琴守は会長から預かった用紙をいま一度ひらいてみせた。



〈特別課題:親友をひとり作る〉



「なあ琴守、まさかと思うが……」


 嫌な予感がしつつ訊ねると、


「雨谷くんは、わたしの親友になってくれるよね?」

「……友達アレルギーだって言っただろ。親友までいくとアナフィラキシーショックが出て緊急搬送されるんだけど」

「それは大変。入院することになったらお見舞いに行くね。毎日、朝から晩まで」


 冗談を言っているはずなのに琴守の目は笑っていなかった。

 琴守なら本当に毎日お見舞いに来そうだから怖い。独りにしてほしい。


「真面目な話さ、課題は〈親友をひとり作る〉なんだろ? 相手はだれでもいいんじゃないのか。気が合う生徒を探してきて、そいつと友達になればいい」


 琴守と〈親友になる〉のであれば、放課後も琴守と過ごすことになるだろう。

 それはさすがに拘束時間が長くてめんどくさい。


「わたしは雨谷くんがいいんだけど。雨谷くんみたいに優しいひとが親友になってほしい」


 琴守は椅子をおれのそばまで寄せてきて、上目遣いですり寄ってきた。

 おれは琴守が近寄ってきたぶんだけ椅子を離して座り直した。


「おれはつかず離れずくらいの関係性のほうがまだいいんだけど」


 なんとかして突き放そうと都合のいい言い訳を探していたら、琴守は急に真面目腐った顔をした。


「でもね、状況的にわたしと雨谷くんが親友になるように誘導されてると思うの」

「はあ? そんなわけ……」

「親友ってワンランク上の友達ってことだよね? いまのわたしには雨谷くんしか友達がいないわけだから、ランクアップを目指すなら相手は雨谷くんしかいないよ」


 癪だけど琴守の意見は的を射ている。

 関係をゼロから構築して親友になるよりは、すでに友達になっている人間を捕まえて親友になるほうが合理的だ。


「あとね、考えすぎかもしれないけど、雨谷くんが特異体質になったのってわたしと親友になるためじゃないかな。それにほら、なんだっけ、会長さんが言ってたやつ……」


 琴守は拳を頭にぐりぐり押しつけ、何かを思い出そうとする。


「そう! 教室の意思! これは教室の意思なんだよ。わたし、雨谷くんと親友になれって教室から言われている気がする!」

「……琴守、教室は喋らないぞ。目を覚ませ」


 琴守は呆れたように首を振り、じっとりとした目でおれを見た。


「あのねえ、雨谷くん。これだけ不思議なことがいっぱい起こっているのにまだ常識の内側でものを考えているの?」

「……」


 聖会長の口真似だろうけれど、やはり腹の立つ言い回しだ。

 なんで異常事態に適応できていないと小馬鹿にされなきゃいけないんだ。


 琴守はおれの顔をのぞきこみ、にこりと笑う。


「わたしたち、親友になる運命なんだよ。ゼロ年生の教室に仕込まれた運命」

「……おれにとっては最悪の運命だな」


 いくらなんでも運命というのはおおげさな気がするけれど、教室の意思によって誘導されているような感覚はおれにもあった。


 琴守は課題の書かれた封筒を指でなぞりながら続ける。


「わたし、もし文化祭までに親友ができなかったら退学なんだよね?」

「そうらしいな」


 卒業できない学校にいても仕方ないし、退学を選ぶしかないだろう。


「も、もしわたしが退学になったら雨谷くんには婿に来てもらおうかな……」


 琴守はもじもじと顔を赤らめながら言った。


「なんで婿……?」

「それは、ほら、中退して雨谷くんに会えなくなるのは寂しいし、ずっと家にいてくれたら寂しくないでしょ?」


 それは婿入りとは言わない。軟禁だ。


「そんなの実現するわけないだろ。警察よぶぞ」

「ううん。お父さんに頼んでお金を積んでもらうから、たぶん実現すると思う。雨谷くんのご両親はお金って好きかな? いくらなら雨谷くんのこと売ってくれるかな」


 軟禁じゃなかった。人身売買だった。


「あのな琴守、冗談でもそういうことは言うんじゃないぞ」

「本気だよ。わたし、こう見えて雨谷くんのこと大好きなんだよ。……あ、友達としてね。だからもし退学になったとしても絶対に手放したくない」


 琴守の目は据わっていた。かえって正気を疑うほどに。


「わたしが退学になったら雨谷くんも覚悟を決めてね」


 婿入りというのは脅しだとわかっている。でも琴守ならやりかねない危うさがある。本当におれの両親を言いくるめて婿入りさせるかもしれない。


 親友か、さもなくば婿か。


 おれは親友という概念が嫌いだ。「親しい友」という字面がそもそも嫌いなのだ。


 人間は他者と本当の意味で心からわかり合うことなんてできるわけない。「親しく」なるなんて不可能だとおれはよく知っている。


 むろん、婿にもなりたくない。人生に大きすぎる拘束が生まれてしまう。


 あまりにも重たすぎる損得勘定。小さな天秤の両端に十トンずつ乗せているみたいだ。


 どちらかを選ばねばならない運命ならば、答えはふたつにひとつだった。


「文化祭まで三週間と少しだよな? それまでの期間なら協力してやらんこともない」


 琴守の課題にはタイムリミットがあるから、乗り越えた暁には自由が待っている。

一生琴守家に縛られるくらいなら、三週間の我慢を選んだほうがマシだ。


 琴守の瞳が光をいっぱいに蓄え、きらきらと輝いた。


「うん! よろしくね! 最っ高の親友になろうね」

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