第8話 まぼろしの教室

 琴守こともりへの課題が判明したあとは、ゼロ年生の教室まで案内してもらうことになった。


 時刻は朝八時をまわり、廊下には登校してきた生徒の姿が増えてきていた。

 琴守はパジャマ制服を見られたくないらしく、おれの背後にべったりと張り付いてきた。

 おかげですこぶる歩きにくいし、背中に柔らかい感触が伝わるのが気になって仕方ない。


「琴守、いい加減に離れてくれ」

「だってこの格好、目立つし恥ずかしいんだもん。わたしの気持ちわかってよ」

「男女がべったりくっついてるのも目立つんだよ! おれの気持ちもわかってくれ!」


 おれが琴守を引っぺがそうとしていると、先導していたひじり会長が「ふふふ」と笑った。


「心配はいらないわ。ゼロ年生現象は一般生徒には認識されないから」


 おれと琴守はくんずほぐれつをやめ、顔を見合わせた。


「認識されないって……どういうことですか?」

「試してみせるわ」


 会長はそう言うと、そのへんにいた女子生徒をつかまえてきて話を振った。


「急にごめんなさい。突然になるけれど、この学校に学年はいくつあるかしら」

「え、学年? いくつ? それはどういう……」


 女子生徒は見るからに困惑していたけれど、会長はおかまいなしだった。


「申し訳ないけれど、とりあえず答えてくれないかしら」


 その女子生徒は考える素振りもなく答える。


「えっと、四つですよね。ぜろ、いち、に、さん年生」


 当たり前のように女子生徒の口から「ぜろ」という言葉が出てきて、たちの悪い冗談でも言っているのではないかと思った。


「大正解だわ。ありがとう」


 生徒会長が解放すると、女子生徒は「なんでそんなことを訊いた?」と怪訝そうな顔をしながら去って行った。


「これでわかったかしら。ゼロ年生現象というのは、無関係な人間には徹底的に秘匿される。だれも異変だと疑わないし異常事態だと気づかない。ふつうの生徒にとって、ゼロ年生は当たり前に存在する学年なのよ。摩訶不思議で奇怪なことが起こっているのに、ふつうの生徒たちはそれに気づいていないの」

「それじゃあ、わたしのパジャマ制服はほかのひとにはどう見えてるんですか?」


 琴守が身を乗り出して問うと、会長は首を縦に振る。


「ふつうの制服だと認識しているわ。パジャマ制服ではなくただの制服に見えているわ」

「なあんだ。じゃあもう雨谷あまがいくんの背中は用なしだね」


 おい、用なしとか言うなよ。さっきまでさんざん頼っていたくせに。

 それはそれとして、おれは会長の話に矛盾点を見つけていた。


「その話、絶対におかしいです。だっておれもふつうの一年生なんですよ。それなのに琴守がパジャマを着てるのがばっちり認識できてるんですけど」


 会長は「ゼロ年生現象は無関係な人間には秘匿される」と言っていた。それならおれも、この超常現象を超常現象と認識できないはずなのだ。

 考えるほどおかしな点が見つかる。


 そのとき、聖舞紘は珍しく言い淀んでいた。

 これまでずっと淡々と的確に切り出していたのに、慎重に言葉を選んでいる気配があった。


「雨谷圭くん、あなたは特異体質になったの」

「特異体質……」

「ふつうの一年生なのにゼロ年生現象を認識できる、特異体質」

「なんでおれが?」

「さあ、どうでしょうね。夏休み前に琴守楓花さんと接触したのが原因ではないかしら」

「琴守のせいか……」

「なんでわたしが悪者みたいに言うの!」


 ともかく会長が言うようにおれが特別なのは事実らしい。

 ゼロ年生の当事者ではないのにゼロ年生の存在を認知できている。


「そっかあ。雨谷くんは特異体質なんだ。よかったね」


 琴守は楽観して笑っていたけど、何も喜ばしくなかった。


「おれはふつうの生徒でいたかったよ。こんな異常事態に巻き込まれるなんてめんどくさくて仕方ない」

「なんてこと言うの! 特異体質になったおかげでわたしの課題に手を貸せるんだよ! ピンチの友達を助けられるんだよ!」

「そういうのがめんどくさいんだよ……」

「ひ、ひどいよ雨谷くん!」


 なんて言い合っていると、ふと聖会長が遠いところを見つめていることに気づいた。


「これもきっと、教室の意思なのね……」


 だれに向けるでもない会長の独り言が、やけにおれの耳に残った。


「教室の意思……?」

「ごめんなさい。なんでもないわ。ゼロ年生現象には厳密なルールはなくてひとつの意思で動いているというだけの話よ」

「はあ……?」

「とにかくゼロ年生の教室に行きましょう。そうしないことには、何も始められないわ」


 急に早足になった聖会長を追って、おれと琴守も歩を進めた。


 ここが教室よ、と会長が足をとめた場所はコンクリートがむき出しになった壁だった。

 東校舎の最上階の最奥。扉もなければ窓もない、ただの壁がそこにあった。


「え、ここ? 廊下の端っこがわたしの教室なの……?」


 琴守の声が悲しみに沈む。


「大丈夫だわ。琴守楓花さん、教室に入りたいと願いなさい」

「え、教室に……?」


 琴守が壁の向こう側に焦点を合わせた。その瞬間、壁に光の枠が現れた。

 切り絵のように大きな長方形をなぞり、そこにないはずのものを浮かび上がらせる。


「さあ、入りましょうか」


 ただの壁だった場所に扉が出現した。ほかの教室とまったく同じデザインの二枚扉だ。


「勘弁してくれよ……」


 さっきからぶっ飛んだことが連続して起こっているから耐性はあるはずなのに、まだ頭がついてこない。いくらなんでもツッコミどころが多すぎる。


「会長、まさかその扉のむこうに教室があるなんて言わないですよね」

「うん? これがゼロ年生の教室よ」

「いやいやいや……。ここ校舎の端なんですよ。この先には何もないですよ」


 琴守も気づいたらしく、困惑した声をあげる。


「あ、そっか! この向こうって何もないんだ。ここって四階だから扉をくぐっちゃうと真っ逆さまに……」

「そうだぞ、琴守。間違っても扉をくぐるなよ」


 百歩譲って魔法の隠し扉があるのは認めてもいいけど、この壁の向こうは空中だ。だからこの扉をうっかり抜けてしまうと地面へと真っ逆さまだ。


「ふたりとも、ゼロ年生に現実の理屈を当てはめるのはそろそろ諦めてほしいわ」


 会長は呆れた顔をすると、あっさりと扉を開けてしまった。


「琴守楓花さん、ここがあなたの教室よ」


 本来は存在しないはずの空間に、その教室はあった。

 ふつうの教室よりふた回りほど狭い間取り。しかしその部屋は、どこからどう見ても教室だった。


 空間が歪んでいる。そうとしか思えなかった。


「ここがわたしの教室……」

「あ、おい!」


 琴守が花の蜜に誘われる蜂のようにして教室に踏み入る。

 扉より先に校舎はないはずなのに、その一室の床板は琴守の足をしっかりと受け止めた。


「もうわけわかんねえ……」


 壁から浮き上がってくる扉。存在しないはずの空間にある教室。

 ゼロ年生という幻の学年は、大きな力でこの学校をねじ曲げている。


「そうそう。この教室もほかの生徒からは認知されないから、自由に出入りできるわ」

「じゃあおれがこの教室を認知できているのも、特異体質ってやつなんですか」

「ええ。教室が雨谷圭くんの入室を認めたの」


 引っかかる言い方だった。まるで教室そのものが思考しているかのような言い草だ。


「それがさっき会長が言っていた……教室の意思ってやつになるんですか?」

「教室の意思……。ええ、そういうことになるわね」

「めちゃくちゃオカルトですね」


 教室が自分でものを考えたりするわけがないだろう。

 琴守がゼロ年生になったのもおれが特異体質になったのも、教室が勝手に決めたというのか。


「目の前で起こっていることがすべてだわ」

「まあ、はい、それはそうですけど」


 会長にド正論をぶつけられ、しどろもどろにうなずく。


 なんだか負けたみたいで腹が立つけど、会長のおっしゃるとおりだ。

 どれだけ疑おうとも、目の前で起こっていることだけが真実。


「そうそう。課題が達成されたら、その紙に『課題達成』のハンコが浮き上がってくるわ。憶えておいてくれるかしら」


 ハンコは押すものであって、浮き上がってくるものではない。

 でもやっと心身が超常現象に慣れてきたらしく「そんなものなんだろう」と思うことができた。


「案内はここまでにさせてもらうわ。もしわからないことがあったら、いつでも生徒会室に来てちょうだい。もしくは同級生に訊いてくれてもいいわ。課題が達成されたら、その紙に単位認定のハンコが勝手に浮き上がってくるか」


 そう言い残すと、会長は去って行った。

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