第7話 チェック柄の浸食
「正解してくれて安心したわ。四則演算ができない高校生は聞いたことがなかったもの」
「算数くらいできて当然ですよ! でもどうやら会長は国語が苦手らしいですね」
「どうしてかしら。テストなら満点を逃したことはないのだけれど」
テストの点数は訊いてねえよ。
「『ゼロ年生』なんて言葉、日本語としておかしいでしょう」
「いいえ、この学校には存在するの。ちょうどそこにゼロ年生がいるでしょう」
「は……?」
会長が抑揚のない声で摩訶不思議な事実を告げる。
「
おれと琴守は思わず目を見合わせた。
琴守がゼロ年生? 一年生として編入したんじゃないのか。いや、そもそもゼロ年生ってなんなんだよ。
「な、何かの間違いです!」慌てる琴守。「わたし、ちゃんと編入試験に受かっています。書類にも一年生として入学することが書かれてるはずです」
「ええ、そうでしょうね。でも、ゼロ年生現象は理屈や常識の外側にある存在なの。学校の七不思議や都市伝説の類いと思ってくれたら話が早いわ」
「と、都市伝説……」
また話が突拍子もない方向に転がり、琴守が返す言葉を失った。
代わりにおれが反論を投げかける。
「おれ、都市伝説とかそういうの信じないタイプなんです。口先だけで言われて納得すると思いますか?」
鋭く切り込んだつもりだったけど、聖会長の余裕は崩れなかった。
「琴守楓花さんの服が何よりの証拠だわ。ゼロ年生はふつうの学生服を着ることが許されないもの。それがあなたの制服……パジャマと学生服の中間、パジャマ制服なのよ」
おれはすぐさま琴守の服装に目を向けた。白い生地のワンピースに暖色のチェック模様が混ざっている。よくよく見れば、このチェックのパターンに見覚えがあった。
「そうか、スカートの……!」
西織高校の女子の制服のスカートは暖色のチェック柄だ。いま琴守が着ているパジャマは制服のチェック柄に侵されている。
パジャマ制服、と聖会長は言葉を当てはめた。いまなら言い得て妙だと思う。その琴守の服装は、パジャマと制服が混ざり合ったものになっている。
存在し得ないはずのパジャマ制服。もうおれたちはオカルトに片足を突っ込んでしまっている。それだけは紛れもない事実だろう。
だから聖会長のいう「ゼロ年生」というのも、いったん信じるしかない。
「難しく考える必要はないわ。知っておいてほしいことは、たったのふたつだけだから」
ひとりでに語り出す会長に対し、おれと琴守は黙って耳を傾ける。
「まず、ゼロ年生という学年は不完全な高校生に与えられるものなの。事情はひとそれぞれだけれど、完全に一年生とは認められない生徒がゼロ年生になるのよ」
「み、認めてくれないと困ります! わたし、ずっと高校生になりたかったんです! 制服を返してください!」
琴守は悲痛な声をあげながら詰め寄ったが、聖会長は力なく首を振るだけだった。
「申し訳ないけれど、私があなたをゼロ年生にしたわけではないの。ゼロ年生現象はただの超常現象なのであって、私はその中身に少し詳しいだけなのよ」
おれは聖会長が黒幕だと疑っていたけれど、どうやらただの情報通らしい。
肝心なところで生徒会長という肩書きが役に立たじゃないか。がっかりだ。
琴守もしょんぼりと肩を落とす。
「じゃあわたし、もう制服が着れないんだ……」
「その結論を出すのは気が早いわ。ゼロ年生から一年生に進級してしまえばいいのよ」
「進級できるんですか!?」
「そうよ。では、次の質問を雨谷圭くんに答えてもらおうかしら」
おれは慌てて背筋を伸ばす。完全に気を抜いていた。
「高校において、進級するにはどうすればいいかしら」
中学までは義務教育だったから、何も考えなくても進級できた。でも高校からはちがう。
入学時に受けたガイダンスの記憶を引っ張り出して答える。
「えー、ちゃんと授業に出て、テストで赤点を取らないように……ですかね」
「そうね。それはつまり、進級に必要なぶんの単位を集めるということになるわね」
「じゃあゼロ年生も単位を集めればいい、と」
「ええ、そうよ」
単位を集めたら進級。その理屈がゼロ年生にも適応されるということらしい。
「ただし、ゼロ年生は試験ではなく複数の課題が順番に与えられるわ。それをこなして必要な単位を集めると一年生に進級できるわ」
なるほど。聞いてみればさほど難しい話ではなかった。与えられる課題をクリアしていけば一年生になれるというだけ。どんな課題かは知らないけれど、システム自体はシンプルに聞こえた。
「早速だけれど、ひとつ目の課題が私のもとまで来ているわ」
聖会長が引き戸から一通の茶封筒を取り出した。
「よかったな、琴守。課題をこなしていくだけでいいみたいじゃないか」
おれは安心しきって声をかけたが、琴守は気難しい顔をしていた。
「あの……ゼロ年生って進級するまではどんなかんじなんですか? ほかの学年と同じように教室があったり授業があったりとか……」
「教室はゼロ年生専用のものがあるわ。授業は形式だけ一年生のものが受けられるけれど、試験はないわ。ゼロ年生は試験ではなく課題で単位を取らないといけないから」
「それなら……行事はどうなりますか? 文化祭とか……」
どこか怯えるように琴守が訊ねた。
「ゼロ年生に行事はないわ。遠足も、体育祭も、球技大会も、文化祭もね」
「そんな……ひどい……」
琴守が青白い顔をしてうつむくかたわら、おれのなかでは理解が進んでいた。
いわばゼロ年生の教室は隔離病棟なのだろう。
不完全な高校生を集め、高校生として認められるまでは閉じ込める。そういう都市伝説。なかなかに胸糞悪い。
「大丈夫よ。いち早く単位を集めて進級してしまえばこの奇怪な現象から解放される。そうすれば一年生のクラスに合流できるし、行事にも参加できるわ」
つまりゼロ年生から一年生に進級するタイミングは個人によって違うということらしい。一年間を途中までゼロ年生として過ごし、残りの時間を一年生として過ごす。
だから時系列に矛盾は発生していない。学年が四つあっても卒業にかかるのは三年に収まる。
とにかく琴守は課題をこなして単位を集めるだけでいい。そうすれば本来の制服を取り戻せるのだ。
しかし当の琴守は疑問点が解消されていないらしく、質問を重ねる。
「あの、文化祭は! 文化祭には間に合いますか……? わたし、どうしても一年生として文化祭に参加していんです……!」
どうやら琴守は文化祭に固執しているらしい。病院生活が長かったから、学校行事にこだわるのはさほど意外ではないけれど。
琴守に問われ、聖会長は壁にかけられたカレンダーに視線を滑らせた。
きょうは九月一日。文化祭は九月の最終週の週末からはじまるため、もう一ヶ月も残されていない。
「進級にかかる期間には個人差がある。でも、だいたい数ヶ月から半年はかかると思っていたほうがいいわ。だから文化祭は、仕方ないけれど来年まで待ってもらうしかないわね。だから地道に課題を進めてもらうしかないわ」
会長は琴守を諭すように言うと、茶封筒を差し出した。
「あなたへの課題が書いてあるわ。確認してくれるかしら」
「受け取れません」
琴守はぎゅっと拳を握り、首を振った。強い意志のこもった目で封筒をにらみつける。
「来年まで待てないよ! わたし、ずっと文化祭に参加したかったの! 文化祭に参加したいからがんばって病気も治したの! だから超常現象なんかにわたしのやりたいことを邪魔されたくない!」
そのとき、琴守の叫びに呼応するようにして茶封筒が発光した。
琴守の制服がパジャマになったときと同じような、真っ白な光だ。
「教室の意思だわ……」
聖会長が思わず呟いた。さっきまで一度も余裕のある態度を崩さなかったのに、このときばかりは目を見開いていた。
もちろんおれも信じられないという面持ちで光を見つめた。
やがて光が振り払われた。
さっきまでの茶封筒が、水色の封筒へと変貌している。
「琴守楓花さん、よかったわね。ゼロ年生の教室があなたの願いを聞き届けたわ。表の注意書きをよく読んでから封筒を開けるか決めてちょうだい」
会長が差し出したそれを、琴守は緊張したようすで受け取る。
琴守は封筒の表面をじっと見つめたあと、困ったような顔でおれを見た。
「雨谷くん、これって……」
助けを求める琴守の顔には、迷いが見え隠れしていた。
「まだ何かあるのか? おれもう嫌なんだけど……」
琴守から封筒を預かり、おれも注意書きとやらを見た。
〈特別課題:この課題を達成した際、必要数の単位をすべて獲得できる。ただし文化祭までに達成できなかった場合、進級する資格を失う〉
「これ、どういうこと……?」
「……あれだな。ややこしい書き方で不利な条件を押し付ける契約書だな。そうか、聖会長は詐欺師だったのか」
「失礼ね。ちゃんと読めばわかるでしょう」
会長は心外そうな顔をしながらも丁寧に説明をくわえる。
「その課題を達成すれば一発で進級。ただし、文化祭までに課題を達成できなかった場合、単位は永遠に与えられない。そういうことになるわ」
「単位が永遠に出ないと、どうなるんですか?」
おれも言葉の解釈に自信がなくて会長に訊ねた。
「永遠に単位が出なければ永遠に進級できず、永遠にゼロ年生のままになるわ。だからこの学校からは卒業できないし、事実上の退学、ということになるわ」
「た、退学……」
琴守がその言葉の重さを確かめるように呟いた。おれも驚く気持ちは同じだった。
「たかが都市伝説にそんな権限があるとは思えないですけど」
そう指摘したけれど、会長はまるで意に介さない。
「雨谷圭くん、まだ常識の内側でものごとを考えているのかしら」
煽るような口調にカチンと来たけれど、たぶん会長の言うことのほうが正しいのだろう。
とにかく、細かいことをいちいち気にしていてはキリがない。
おれたちはいま、超常現象のど真ん中にいるのだ。わからないことだらけで当然だ。
「琴守楓花さん、よく考えてから封を切るのよ。ひとたび開けてしまえば、その課題を受理したことになるわ」
聖会長の忠告を受け、琴守は改めてじっと封筒を見つめる。
「これ、どんな課題が入っているか会長さんは知っているんですよね?」
「いいえ、知らないわ。封筒を用意したのは私じゃなくてゼロ年生の教室だもの。でもね、あなたが向き合わないといけないものが課題になっているはずよ。不完全な高校生を完全な高校生にするためにゼロ年生現象は存在するのだからね」
「向き合わないといけないもの……」
琴守は瞳を閉じ、封筒を胸元で抱きしめる。散らばった本を棚に戻すように、じっくりと思考を整理しているように見えた。
「決めました」やがて芯の通った声で琴守が言った。「やっぱり来年じゃなくて今年がいい。こんな課題なんて乗り越えて、一ヶ月後の文化祭に出る!」
それにね、と琴守はおれの目を見てはにかむ。
「わたしには素敵な友達がいるからきっと課題を手伝ってくれる。だよね? 雨谷くん」
「……いや、おれは忙しいからな。手が貸せるかはわからないぞ」
「大丈夫! なんだかんだ雨谷くんは手伝ってくれるよ。というか手伝わせる」
おい。さらっとひどいこと言ったな。本当におれのこと友達だと思ってるんだよな?
「頼りにしてるね、雨谷くん」
「頼りにならないから期待するなよ」
ゼロ年生現象については不明なことが多い。あとから疑問点も大量に出てくるだろうし、めんどくさいにちがいない。
絶対に関わりたくない事案なのに、琴守のやつが無理やり巻き込みやがった。許しがたい。
「ねえ、なんでため息ついてるの。友達の手伝いができるんだから喜ぶところでしょ」
琴守がパワハラ上司にしか見えない。これ、残業の強要だろ。
「封筒、開けるね」
「好きにしろ」
琴守の細く白い指が封の端にかかった。器用にやぶくと、三つ折りの用紙を取り出した。おれと琴守は、それをふたりでのぞきこむ。
〈特別課題:親友をひとり作る〉
拍子抜けするくらい短くて簡潔な課題だった。
文化祭までに親友ができれば進級。親友ができなければ退学。
琴守の命運や、いかに。
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