第6話 いちひくいち

 本校の生徒会長であるひじり舞紘まひろは、その存在にまるで現実味がない。


 顔は絵画のように整っているし、スタイルは彫刻のように美しい。テストを受ければ常に満点を取る。

 生徒には分け隔てなく接するから人気があるし、教師からは人望が厚い。


 それだけならただの優秀な生徒会長で済むけれど、聖舞紘においては少しわけがちがう。

 優秀なんて言葉では縛れないほど、異常で異様な経歴を持っている。


 おれは生徒会室の前で立ち尽くしたまま、そんなことを考えていた。すると琴守がおれの顔を不安そうに見上げた。


「生徒会室、入らないの?」


 おれも琴守こともりも、さっきから夢現のままだった。制服が光にのまれてパジャマに変貌したなんて、どうやっても信じられない。


 だから会長が事情を知っていることに賭けるしかない。

 でも、生徒会室の扉をノックするのは気が進まなかった。


「おれ、生徒会長が苦手なんだよな……」


「面識がないのに苦手とか言うなんて会長さんがかわいそう。そんな性格だから友達がわたししかいないんだよ」


 琴守は「わたししかいない」のところを強調しながら言うと、胸を張った。


「はいはい、おれの友達は琴守さんだけですよ、ありがとうございます」

「絶対に感謝してないでしょ……」


 無理やりおれのことを友達に仕立て上げておいて、心から感謝するわけないだろ。


 おれはいったんため息を挟み、頭をかく。


「去年な、あの会長は文化祭を五日間に延長したらしいんだよ」


 聖舞紘には伝説的なエピソードがいくつもあるのだけれど、そのひとつを選んだ。


「え、うん。文化祭が五日だとすごいの?」

「前は二日間だったらしいんだよ。聖会長はその手腕で文化祭を三日も延長したんだ。そんなの、ふつうは不可能なんだ」

「そうなの?」


 琴守が首をかしげた。


 裏方仕事の経験がないと想像しづらいかもしれないけど、例年のスケジュールを大幅に変えるのは不可能なことが多い。


「三日も延ばしたら、そのぶんの授業日を補填しなくちゃいけなくなるだろ。だから絶対に教師陣が猛反対するはずなんだ。いくら生徒会長とはいえ、先生の説得は難しい」

「そうなんだ……」

「しかも、三日も延ばすとなると去年までのやり方が通用しない。タイムテーブルやらなんやらをすべて組み直しだ。だから運営側は地獄を見ることになる。そのはずなのに、去年の文化祭は大盛況だったらしんだよ」

「な、なるほど……」


 さすがの琴守も引き気味に驚いていた。


「さらに恐ろしい話もある」

「な、なに……?」


 怯えたように聞き返す琴守。


「この噂話を、どうやっておれが知ったと思う?」

「え……」

「おれは生粋のぼっちだから、生徒会長の噂話なんて耳に入るわけがないんだ。それなのにあの会長の噂話はおれの耳に届いてくるんだ。恐ろしいだろ?」

「あ、うん。ソウダネ……」


 とにかく聖舞紘は得体の知れない相手だ。生徒会室の前でたたらを踏むのは仕方ないことなのだ。


「おれは超常現象なんて信じていないけど、あのひとは魔女みたいなものだからな……」


 どうにも緊張してしまい、気持ちの準備に時間がかかる。


 大半の生徒は生徒会長に憧れているらしいけれど、おれにはまったく理解できない。


「じれったいなあ。早く行くよ」


 おれの思惑なんて知ったことかと、琴守がドアをノックした。


「あ、おい!」

「会長さんが魔女ならちょうどいいよ」琴守は扉に手をかける。「わたしの制服を元通りにできるとするなら、魔女くらいだもん」


 琴守は扉の向こうにすがるような目を向けていた。


「わたし、パジャマはうんざりなの。ふつうの制服がいい」


 その言葉におれは目が覚めるような思いをした。

 琴守にとっては憧れの制服なのだ。なんとしても取り返さねばならない。


 それにパジャマ姿のままだと悪目立ちする。まだ朝が早いからひと目を気にせず生徒会室まで来れたけど、もうじき続々と生徒が登校してくる。


「……どうなっても知らないからな」


 琴守が扉を開け、おれも続いて入室した。


 四角形に並べられた長机にパイプ椅子が置かれた簡素な一室。

 聖舞紘生徒会長は、そこで静かに書類仕事を進めていた。


「おはよう。編入早々から災難だったわね、琴守楓花さん」


 いつもは全校集会で遠くから見るだけだった生徒会長が、目の前にいる。

 こうして近くで眺めると、その隙のないルックスがいっそう際立つ。おそろしいまでの美しさを前にして、おれの警戒心はひしひしと高まっていた。


雨谷あまがいけいくんも、案内ありがとう」

「……いえ」


 会長はじっとおれの顔を見つめ、怪しげに微笑む。


「ふふ、うれしいわ。雨谷圭くんも私に興味津々みたい」


 心の内をたやすく見透かされ、ぞわりと背筋が震えた。


「興味じゃなくて疑っているんです。好意を持っているわけじゃないです」


 会長はボールペンを机に置くと、席を立った。


「それなら雨谷圭くんの疑問を先に解消しようかしら。本題は琴守楓花さんだから」


 会長は長机にお尻を預け、楽な姿勢を取った。


 ちょうどいい。生徒会長の正体を暴いてやろう。


「なら、いくつか訊かせてもらいます」


 おれはつばを飲み込んでから、


「琴守の制服がパジャマになったとき、すぐにおれたちを放送で呼び出しましたよね。でもこの部屋からは校門が見えないはずです。どうやって気づいたんですか」


 ここ東校舎からは建物が陰になって校門は見えないはずだ。

 琴守の制服がパジャマになる瞬間は目視できないのだ。


「ここからでも見えたわ。私、生徒会長だから」


 なんだその回答は。生徒会長なら校舎を透視できるのか。

 まあ、いったん次の質問に移ろう。


「あと、生徒会室と放送室ってけっこう離れていますよね。あんなにすぐ呼び出しをかけられないと思うんですけど」


 たしか放送室は西校舎にあったはずだ。ここから放送室に行こうと思ったら一度階段を下りて渡り廊下を抜けてまた階段を上らねばならない。


「それも生徒会長だから、だね」


 またそれかよ。生徒会長ならワープだってできるというのか。


「それと、なんでおれの名前を把握しているんですか。琴守は編入生だから噂を小耳に挟んでいてもおかしくないですけど、おれはどこにでもいる一年生ですよ? 面識もないですし、違和感があります」


「私、生徒会長なのよ。全校生徒の名前くらい把握しているのは当然のことじゃないかしら。ついでに身長体重住所家族構成趣味嗜好人間関係くらいまで知ってるわよ」


 生徒会長、万能すぎない? ハッキングですか? それともエスパー?


「あの、本当にあなたは何者なんですか?」

「うん? 生徒会長の聖舞紘よ」

「知ってるんですよ! そんなことは!」


 生徒会長は全知全能の代名詞なのか。そんなわけないだろ。


 とらえどころのない返答に、おれの頭はずっしりと重くなった。常識が通用しない相手との会話は無駄に疲れる。


 一方で、琴守は興奮したような目を会長に向けていた。


「会長さん、すごい……! ほんとになんでもできるんだ……」

「なんでもはできないわ。私もただの女子高生だからね。学校の内側のことなら少し詳しいけれど」

「それなら!」琴守が一歩前に出た。「わたしの制服、どこに行ったか知りませんか?」


 聖会長は右手の人差し指で琴守のネグリジェを差すと、怪しく微笑んだ。


「どこにも行っていないわ。それがあなたの制服よ」


 困惑した琴守が言葉を失う。おれも会長の発言の意図を計りかねていた。

 琴守が着ているのはパジャマだ。デザインは異なれど、パジャマにしか見えない。


「ごめんなさい。順番に説明しないといけないわね」


 聖会長はキャスターつきの黒板を引っ張ってくると、チョークを手に取った。


「さて、まずは雨谷圭くんに問題です。高校に学年はいくつあるでしょう」

「学年? 三つですけど」

「そうね。ふつうの高校ならそれで正解よ。でも、ここ西織高校においては不正解なの」

「はあ……?」


 聖会長はチョークを黒板に突き立てると、上のほうから整った字を並べていく。

 三年生、二年生、一年生、と。


「これが答えてくれた三つの学年になるわね。でも、この高校にはもうひとつ学年があるの。一年生よりも下に、もうひとつね」


 会長の言葉は頭のなかで上滑りしていた。

 一年生の下に学年? ファンタジーの設定を聞かされているみたいだ。


「さて、今度は琴守楓花さんに質問させてもらおうかしら」

「は、はい!」

「一年生に後輩がいるとしたら、それは何年生になるかしら」

「え、え、え……?」


 おれと同じように琴守も脳の処理が追いついていないらしく、ただただ混乱していた。


 一年生に後輩がいるとしたら、何年生か。これが算数の問題なら答えは簡単で、一から一を引くだけでいい。

 でもその回答はあり得ない。そんな学年、存在するはずがない。


「雨谷圭くんはわかったかしら」

「わかるんですけど、わかりません」

「意外だわ。一から一を引くだけの簡単な問題なのにわからないのね。私がつきっきりで補修してあげるから、放課後は生徒会室に来てくれるかしら」

「行かないですよ! それくらいできます!」


 なんだよ、ただの算数でいいのかよ!


「いちひくいち……?」


 まだピンと来ていないらしく、琴守はうんうんと唸っていた。

「いちひくいち」までわかるなら答えは出てるようなものだろ。


 聖会長は白いチョークを差し出し、おれを黒板の前に招く。


「それじゃあ雨谷圭くん、答えを書いてくれるかしら」


 チョークを受け取ると、おれは黒板の前に立った。


 まったく馴染みのない不思議な響きの言葉。それを「一年生」の真下に書き殴る。


 おれが書き切ると、琴守が確かめるように読み上げた。


「ゼロ年生……」

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