第3話 わがままを言わない日

 琴守こともり楓花ふうかの恐ろしさはすぐに判明した。

 無理やりおれと友達になって以降、毎日かかさず病室に呼び出してきたのだ。


 しかもめんどうなことに、琴守は断ることを許さない。おれがお見舞いから逃げないよう、なにかしら要件を言い渡してくるのだ。


 たとえばこんなメッセージが来る。


『お見舞いにメロンをもらったからいっしょに食べようよ。ちょっとお高いやつだからおいしいよ』

『別にいい』

『もうしっかり熟してるから早く食べないといけないの。でもわたしじゃ食べきれないんだ。こんなに上等なメロンなんだから、腐ったりしたら雨谷くんのせいにするからね』


 この日、結局おれは病室でメロンを食べることになった。


 別日にはおつかいを頼まれたことがある。


『近くのケーキ屋さんで限定スイーツを売ってるみたいなの。買ってきてほしいな』

『退院してからでいいだろ』

『「期間限定」なんだよ? 退院したあとに売ってなかったら怒るよ?』


 この日もおつかいを達成した。買っていったスイーツは、琴守が半分わけてくれた。


 どうしてこう、絶妙に断りづらい用事ばかりなんだ。おかげで皆勤賞じゃないか。 


 でもきょうは呼び出されることはないだろう。

 琴守は明日が退院日になっていて、きょうは病室を片付けるとかなんとか。だからおれの出る幕はない。


 なんてことを思い返しながら、おれは校門前で自転車にまたがった。


 きょうは一学期の終業式で、午前中だけで授業が終わった。だからぞんぶんに時間がある。

 おこづかいが入ったことだからゲーセンに寄ろう。一度に使い切らないよう、これからは計画的に使うつもりだ。ゲーセンは一日三百円まで。いや、五百円……。


 久しぶりのゲーセンに浮き足立っていると、おれの携帯が震えた。

 嫌な予感がしながら画面を見ると、やはり琴守からのメッセージが来ていた。


『きょうも来てくれるよね』


 すぐに返信を送る。


『なんで行くことが前提なんだよ。きょうは病室を片付けるんだろ?』

『それは午前中に終わったよ。だから来て』

『いや、用事がないなら行かないけど』


 どうせきょうも断りづらい用事を言い渡されるはず。

 いつものごとく言葉を巧みに操って、強引におれを病室に召喚するのだ。だから半ば諦めていたのだけれど。


『用事はないよ』


 あの琴守が、おれを呼び出すための口実も用意していないだと……?


 まるで意図が読めない。このままだとおれが病院に来ないんだぞ。

 それでいいのか。おれはいいんだけど。なんならゲーセンに行けてうれしいんだけど。


 よしじゃあ本当にゲーセンに行くぞ。それでいいんだな?


 自転車のペダルに足をかけると、琴守がメッセージを連投してきた。


『用事がないなら雨谷あまがいくんは来てくれないの? わたしは雨谷くんに会いたい』


 まっすぐすぎる言葉に、おれはその場で固まった。

 あまりにも飾り気がないものだから、こちらまで小っ恥ずかしくなってくる。


 しかし相手は策士の琴守だ。一見して掛け値のない言葉のように感じるが、健気な女の子を演出しているだけかもしれない。


 騙されてはいけない。慎重に見極めるべく返信のメッセージを打ち込む。


『無理して行く理由もないだろ。夏休みが開けたらどうせ顔を合わせるんだから』


 ほとんど間を置くことなく返事が来た。


『ごめんね。ちょっと雨谷くんを試したの』


 ほらみろ、何かを試すつもりだったらしい。やはり策士だ。


『わたしね、ここ数日で雨谷くんとけっこう仲良くなれたつもりだったんだ。だから、もう用事なんてなくても雨谷くんは来てくれるんじゃないかな……って期待して試しちゃったんだ。でもそうだよね。雨谷くんは予定がないとわたしとは会ってくれないよね。きょうもたくさん話したいことがあったんだけど、仕方ないよね。ごめんね』


 水面に墨が落とされたように、黒々とした罪悪感が胸に広がっていく。


 どこまでが打算で、どこからが本心なのか。携帯の画面だけでは区別がつかない。


『入院最後の日だけ雨谷くんに会えないのは、ちょっとさみしいね』


 きっとわざとだ。琴守はわざとおれの罪悪感を刺激している。

 わざとおれの胸が苦しくなるように言葉を選んでいる。ひとの良心をもてあそぶ悪魔。それが琴守楓花。


 しかし……。


「『さみしい』ってのは、琴守の本心なんだろうな」


 小さく呟くと、遠くにアブラゼミの鳴く声が聞こえた。


 きょうの授業は午前中で終わった。見上げれば日は高く、時間は有り余っている。

 おれは悩みに悩んだ末、携帯の画面を叩いた。


『ちょっとだけ顔を出しに行く。待ってろ』


 少しだけ病院で琴守と喋って、夕方からゲーセンに行こう。昼から行っても財布が空っぽになるだけだ。

 だから仕方なく琴守に会いに行く。そう、仕方なくだ。


 琴守の病室で時間を調整して、ゲーセンで遊んで、それから家に帰る。

 そういうタイムスケジュールだと都合がいいだけなのだ。


 あれこれ頭のなかで言葉を並べていると、琴守から短い返事が来た。


『うれしい』


 画面に映るメッセージだけでは表情はわからないけれど、なんとなく琴守がはにかんでいるような気がした。





 六階の病室をノックすると、琴守はわざわざ扉を開けて出迎えてくれた。


「さ、入って入って!」

「ああ……」


 琴守の病室はずいぶんとすっきりしていた。

 私物が片付けられ、無機質で殺風景な空間になっている。明日には、この部屋は琴守のものではなくなるのだ。


 おれはいつものように丸椅子に腰掛けると、琴守もベッドの端に座った。


「きょうは早いね。学校は?」

「修了日だからな。午前中にテストを返却して、それでおしまい」

「へえ、そうなんだ」


 他愛もない会話なのに、琴守はずっとにこにこしていた。

 気味が悪いくらいに、おれの顔をうれしそうに見ている。


「来てくれたね、雨谷くん」

「琴守が来るように仕向けたんだろ」

「あれ? そうだっけ?」


 とぼけて見せる琴守に、おれは唇を噛む。


 琴守はぜんぶ自分の思惑通りに行ったと思っている。

 そのことがどうしようもなく癪だ。


「あのな、きょうは午前授業だから来ただけだからな。琴守に会うために来たわけじゃなくて、ほかに行く場所がないだけだ。用事がないならすぐに帰るからな」


 うんうん、と琴守は笑顔のまま相づちを打つ。

 こちらの思考を見透かしているかのような態度が鼻につく。


「その用事なんだけどね」琴守がニタリと笑う。「雨谷くんのご希望通り、ちゃんと用意しておいたよ」

「は……?」

「用事がないならお見舞いに来たくない。それなら用事を作ればいいかなって」


 待て、琴守。おれはこのあとゲーセンに行くんだ。

 用事なんてやっている暇はないんだ。


「入院しているあいだにやってみたいことがあったの!」


 琴守はベッドから勢いよく立ち上がり、腕を広げてみせる。


「いっしょに病院を抜けだそう!」


 琴守の目はきらきらとしていて、新天地を目指す冒険少年のようだった。

 一方で、たぶんおれの目は死んでいる。


「……いやだ」

「なんで!? お決まりのやつやろうよ! ふたりでこっそり病院を抜け出すの! 青春の一ページを刻むの!」

「明日には退院なんだろ! いま抜け出さなくても明日には出入り自由だろうが!」


 それから「青春の一ページ」とか言うの、なんか恥ずかしいからやめろ。


「入院中にやるからいいの! ちょっと悪いことをしてみたいお年頃なの!」

「悪いことって自覚があるならやめとけよ! それにおれを巻き込むな! おれまで医者に怒られるやつだろ!」

「いっしょに怒られるのも青春でしょ!」

「そんな青春いらん!」


 そこからおれと琴守は五分くらい言い争ったのだが、ヒートアップした琴守がとんでもないことを言い出した。


「じゃあもう遺書かいてからひとりで行く!」

「はあ? 遺書?」

「本当に書くからね! 『雨谷くんが外出の付き添いに来てくれないから、何かあっても救急車を呼べるひとがいません。もしわたしが死んだら雨谷くんのせいです』って書いとくから! 病院のそとで症状が再発して死んじゃったら雨谷くんのせいだから!」

「ああ!? それは卑怯だろ!」


 琴守は裏紙を取り出すと、文字を書き殴り始めた。本当に遺書だった。

 おれはぐしゃぐしゃに頭をかきむしってから、敗北を宣言する。


「わかったよ! ついて行くから遺書はやめてくれ!」

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