吉川大育

第20話・フリーWi-Fi

「承認をタッチしてください」


 振り込み金額の確認を促し、日付印を押してミシン目に沿って切り取り控えを客に返す。

 その客が店を出ると、店内には客が一人もいなくなった。

 振り返って、背後の煙草の棚を見上げる。

 父親が吸っていたキャメルは、もう廃盤になっている。


 父親は刑事だった。


 漫画やドラマと同じように、忙しくて帰宅はいつも遅く、帰ってこない日も多かった。家族らしい行事は数えるくらいしか覚えていない。


 そんな多忙であまり家に帰ってこない父親が、最期の場所にと選んだのが自宅――父親は自殺した。


「いらっしゃいませ」


 ガラが悪い客が入店したので、意識を切り替える。……この客、たぶん刑事だ。

 刑事とヤクザはどっちが、どっちか分からないなんて言われることがあるけど、あれは本当だ。

 俺の父親もそうだった。


 入店してきたおそらく刑事だと思われる人物は、コーヒーと煙草という、いかにもな組み合わせを購入して店を出ていった。


「ありがとうございました」


 ……刑事だった父は、自宅のリビングで死んでいた。

 第一発見者は母親だったが、なんの証言もできなかった。自殺した父の姿を見て、錯乱発狂してしまい、いまも正気は戻っていない。


「…………」


 父親の首には、首に掛かった縄を緩めようと必死にもがいた傷痕が残っていた。正直に言えば、目を剥いてだらりと伸びた舌よりも、掻きむしられた首のほうが衝撃だった。


 父親の首の前面は、掻きむしられて真っ赤になっていた。掻きむしった爪は途中で剥がれてしまい、爪は両手で四枚しか残っていなかった。

 手首には縛られた跡が残ってもいた。父親の手首を縛っていたロープは見つからなかった。

 俺は父親を吊っているロープをはずそうとしたが、外せなかった。切ろうと思ったが、太いロープは思ったように切れなくて……随分時間を無駄にしてから、消防署に通報して、救急車がやってきた。


 救急救命士たちは、父親の姿を見て「無理だろうな」と思ったようだが、手際よく父親を降ろして、心臓マッサージをして病院へと搬送してくれた。

 母親と俺も同乗した。

 救急病院に到着し、父親は少し施術を受けたが、すぐに死亡が宣告された。


 そして事件性のない、ただの自殺だとされた。


 首をあんなにも掻きむしったのに! と、訴えたが、聞いて貰えなかった。


 母親の正気は戻らず、病院に入った。見舞ったことはない。


「お疲れさまでした」


 バイトが終わり、帰宅途中にあるチェーンのファミレスに入る。

 ファミレスの隣のベトナム料理店に近い席に腰をおろして、メニューを開く。


――昨日はハンバーグセットだから、今日はドリアにするか


 毎日同じ料理を注文すると、裏で変な渾名を付けられるからな。アルバイト先のコンビニでも、同じ品ばかりを買っていく客には渾名をつけている。

 そんな渾名はつけられたくはないから、注文する品も最安値は避けてローテーションしている。

 ”コスパ野郎”なんて渾名は付けられたくない……コンビニには「値引き女」っていう渾名がいるが。


 商品を注文し終えてから、スマホを取り出す。


「Wi-Fiつながてってるな」


 このチェーン店はフリーWi-Fiはないが、隣の個人経営のベトナム料理店のフリーWi-Fiが使えた。

 隣のベトナム料理店のフリーWi-Fiにただ乗りし、ネット記事を読み、ソシャゲをしながら食事を済ませて、一人暮らししているアパートに帰り、シャワーを浴びて布団に潜り込んでスマホを眺めて、


「簡単に稼げる仕事とか、ねえかな」


 愚痴をこぼして、起床時間をセットして動画を観て、充電を確認して眠る。

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