第二五話 芽生えた希望


 離れた場所で近接戦を行いながらの、呟き声。


 それを耳にすると同時に、俺は後方へと跳び退った。


 ほとんど無意識の行動だ。


 敵の下半身から伸びる、尾に似た器官。

 それが地面に突き刺さっているのを確認したことで、俺は相手の狙いを脊髄反射で感じ取っていた。


 地面から来る。


 予感は次の瞬間、現実へと変わった。


 ブレード状の先端が土を掻き分けながら勢いよく突出。

 その速度は想定を遙かに超えたものであり……

 だから俺は、完全に回避することが出来なかった。


「くッ」


 尾の先端がこちらの頬を一直線に斬り裂いてくる。


 かなり深い。


 鮮血が派手に飛び散った。


「オズッ!?」

「チッ、惜しかったっスねぇ」


 この一幕は確かにひやりとするようなものではあったが、しかし、特別な内容ではなかった。


 こちらが受けた傷は回復魔法で瞬時に癒える程度でしかなく、戦況に影響を与えるようなものではない。


 ゆえに思うところがあるとしたなら、鬼になりきれなかった自分への叱責、それだけのはず……だったのだが。


「はぁ。さっきので死んで、くれ、れ、ば…………」


 敵の様子がおかしい。


 そう感じた瞬間、すぐ近くから異音が飛んでくる。


 シュウウウウウウウ……


 それは、奴の尾から生じた音だった。


「融解、している、のか?」


 金属製の尾がドロドロと溶けて、崩れゆこうとしている。


 よく観察してみると、融解の中心部には俺の血液が付着しており……


 まさか、と、そう思い至った直後。


「う、あ…………あれ? アタ、シ……どう、して……」


 敵方に変化が見られた。


 その瞳からは、先刻まで漲っていた戦闘意思が微塵も感じられない。

 強い当惑だけが、そこにはある。


「っ……! リゼっ!?」

「シャ、ロン……?」


 呼びかけに応えてから、すぐ。


「う、ぁ、あ……!」


 頭を押さえ込み、そして。


「くぁッ!」


 ブレード状の腕部で、自らの尾を切断。


「はぁ、はぁ……よくわかんねぇっスけど……とりあえず…………死ねぇッ!」


 戻った。


 一人の《戦乙女ヴァルキリー》から冷酷な《眷属》へと。


 だが、しかし。


「ほんの数秒間、彼女は確実に……!」


 リゼになっていた。

 そこは間違いない。


 なにゆえか。


 状況証拠からして……

 俺の血液が、なんらかの形で作用したと思われる。


「まさか、戻せるのか……? 《眷属》になってしまった相手を、元通りに……?」


 少なくとも可能性はゼロじゃない。

 であれば、賭けを打つに値する。


「血液だ……! それを彼女へ……!」


 策を組み立てていく。

 シャロンとリゼ、二人をハッピーエンドに導くための、策を。


「……手が足りない、か」


 何をすべきかは、すぐに導くことが出来た。

 だが問題なのは、それを成すための手段。


 俺とソフィア、二人だけではダメだ。

 もう一人戦力が欲しい。


 つまりは……シャロンの参戦。

 これが必須条件だ。


 俺は少し離れた場所に立つ彼女へと目をやり、言葉を送る。


「シャロン! 君の力が必要だ!」

「えっ……?」

「彼女を元に戻したい! そのためには、君に戦ってもらう必要がある!」


 親友を取り戻せるのなら、なんだって。

 単純な思考回路の持ち主だったなら、そんなふうに奮起出来たのだろう。

 だがシャロンは実に繊細で、複雑な心根の持ち主だった。


「わ、私じゃ……足を、引っ張るだけ、では……?」


 戦うソフィアの姿をめにしながら、不安と恐怖を美貌に宿す。


 仇討ちの際には見せなかったそれの原因は間違いなく、リゼへの強い想いと……彼女を救えなかったという過去に対する、トラウマであろう。


「わ、私なんか……」


 俯いてしまった彼女へ、俺は声を張り上げた。


「そのままでいいのか!? 大切な人を守れなかった、許せない自分のままで、居続けたいのか!?」


 それはシャロンへの叱咤激励であると同時に。

 俺自身に対する叱責でもあった。


「いいか、シャロン。君と俺には一つ、共通点がある」

「大賢者様と、私に……?」

「あぁ。俺達は互いに……守りたい相手を、見殺しにしてるんだよ」


 目を見開くシャロン。


 彼女がリゼを守れなかったように、俺もまた、ソフィアを守ることが出来なかった。


 そのときのことを思い出しながら、俺はシャロンへ呼びかける。


「これは俺達にとってのチャンスだ。過去の自分を越えて、許せない自分を打ち砕く。そのためにも……シャロン、俺と共に、一歩を踏み出してくれ」

「っ……!」


 唇を噛んで、彼女は逡巡する。


 その脳裏にどのような思考が巡っているのか。

 その心にどのような感情が迸っているのか。


 俺には十全に理解出来た。


「大賢者、様……私、は……!」


 不安がある。

 畏怖がある。


 しかし。


 それ以上に強い、願望がある。


「リゼを、助けたいっ!」

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