56:すふれでいられない
「梓ちゃん!久しぶり!」
雑踏の中でもはっきりと聞こえる、明るい声に振り返る。半年近く会わなかったが、久しぶりに見る小春ちゃんは前よりも更に大人っぽく、そして綺麗になっていたので驚いた。
陽に当たると透き通って見える栗色の髪は綺麗に巻かれていて、高校生の頃と比べて、メイクの腕も更に上がったように見える。小春ちゃんがその場に居るだけで、周囲がぱっと華やぐような存在感を放っていた。
「小春ちゃん!久しぶり!」
私たちは手を振りながら互いの元へ駆け寄って、笑顔で再会を喜び合う。
「ほんとに久しぶりだよね!半年くらい会ってなかったんじゃない?」
「ええ、それくらいになるわね」
「久々に会えて嬉しいよ。立ち話もなんだし、とりあえずご飯食べに行く?」
「そうね。行きましょうか」
私と小春ちゃんは高校生の頃と変わりなく、他愛も無いことを話しながら肩を並べて街中を歩く。それぞれの大学内での出来事や、最近出来たという小春ちゃんの恋人の話など、夢中になって話していたら、危うく目当てのお店を通り過ぎそうになった。
「あっ、ここみたいよ」
「えっ、ほんとだ!全然気が付かなかった!」
そう言って笑い合いながらドアを開け、店内に入る。
小春ちゃんと一緒に居ると嫌なことは何も考えないで済む。互いに思い付いたことを口にして、それに対して言葉を返して、他の人からすれば何でもないようなことでいつまでも笑い合っていられる。
こんなに楽しいのは随分と久しぶりだ。ここ最近はVTuberの活動も学業もままならないことばかりで、精神的にかなり弱っていたから。
目を輝かせながら楽しそうに大学での出来事を話す小春ちゃんが、眩しくて仕方がない。
小春ちゃんお勧めのカフェは日曜日ということもあり、かなり混み合っていた。外に並ぶことなく、カウンター席に着くことが出来てラッキーだったかもしれない。
「そういや梓ちゃん、前の動画も見たよ。コラボのヤツ。ほんっとに面白かった!」
料理を注文し終えた後、小春ちゃんは顔を私に近付けて、周囲に聞こえないよう小声で言った。私がVTuber、真白すふれの『中の人』であることが周囲に漏れないように配慮してくれているのだろう。
小春ちゃんと親しくなったばかりの頃は、彼女を含む晴見くん以外の人にVtuberとして活動していることを隠していたが、高校三年生の時に思い切って打ち明けた。
小春ちゃんは私の秘密を知ったとしても、それをうっかり誰かの前で漏らしたり、増してや言いふらすような人ではないことがよくわかったから、彼女ともっと仲良くなる為に隠し事は極力したくないと思ったのだ。
それでも、私が「真白すふれ」の中の人であると自分から打ち明けるにはかなり勇気が必要だった。
だけど、やっぱり打ち明けてよかったと思う。あの日勇気を振り絞ったおかげで、小春ちゃんが私の配信を見てくれるようになり、それまで以上に何でも話し合える仲になれたのだから。
「ありがとう。楽しんでもらえたみたいで良かった」
「もう本当に最高だった!配信中はSNSで『すふれお』がトレンド入りしてたみたいだよ!」
昨日の配信は私の動画の中で過去最高の視聴者数を更新したが、まさかSNSでトレンド入りまで果たしていたなんて。小春ちゃんが身を乗り出して興奮気味で話すので、嬉しいような、少し恥ずかしいような気持ちになり、私はごまかすように笑った。
「知らなかったわ。けど、れおなが大人気だからよ」
「もう、そんな謙遜して!」
それから間も無く、注文していた料理が運ばれてきた。私はパスタ、小春ちゃんはオムライスを頼んだ。「美味しそう!」と言ってスマホでオムライスの写真を撮る小春ちゃんを見ていると、「これが本来の女子大生の在るべき姿なのかもしれないな」と少し思った。
私も自分のスマホでパスタの写真を撮る。『真白すふれ』のSNSに載せる為に。
そうしていると、これからこのパスタを食べるのが私なのか、それとも真白すふれなのか、そもそも今この世界に存在している私は本当に私だと言えるのか、急にわからなくなってくる。
自分の輪郭が歪み始めるような、奇妙な感覚。これまでにも似たようなことを感じた経験が何度かある。だけど、今回が一番酷い。
「梓ちゃん?どうしたの?食べないの?」
小春ちゃんの声で我に返った。それと同時に鼓膜あたりで堰き止められていた店内のあらゆる音が、一斉に脳に流れ込んでくる。
「ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたみたい。いただきます……」
「大丈夫?ちゃんと睡眠は取れてる?目の下のクマ、結構ひどいよ」
小春ちゃんが心配そうな目で私の顔を覗き込む。これでもコンシーラーで隠しているつもりなのだが、やっぱりクマの色があまりに濃くて隠し切れていないみたいだ。
「大丈夫。昨日は結構寝たから」
「結構って、何時間くらい?」
「そうね……四時間くらいかしら」
「四時間!?ダメだよ~、最低でも六時間は寝なきゃダメ!」
六時間、か……
それくらい寝ようと思って早めにベッドに入ったとしても、色々なことが頭を過ってなかなか寝付けず、結局のところ睡眠時間は五時間くらいになってしまうのだ。
「そうね、今日は早く寝ることにする」
小春ちゃんに心配をかけたくないが為にそう言ったが、明日は英語の授業で小テストがある為、今日もほとんど睡眠時間は取れないだろう。これ以上成績が下がると単位を落としかねない。それほどまでに追い込まれた状況に私はいた。
「よし!約束だよ!」
小春ちゃんはそう言って無邪気に笑う。
「うん、わかったわ」
その笑顔に嘘を吐かなければならない自分が哀しい。
◇◆◇
『カフェでランチ!パスタ美味しかった~!』
小春ちゃんと別れた後、帰路の電車内で今日食べたパスタの写真を添えて投稿すると、瞬く間に『いいね』の数が上昇していく。数字がどんどん大きくなるのを、私はどこか冷めた目で眺めていた。
ふと昨日の配信の感想が気になり、私はSNSで『すふれお』と検索した。
『すふれお面白い!』
『すふれおコンビよき』
『すふれお可愛かった~!』
好意的な感想がほとんどだが、全てがそうであるほどこの世界は優しくない。綺麗な花々に触れていた手に突然痛みを感じ、気付くと指先から血が滴り落ちているかのように、鋭利な言葉は優しい言葉のすぐ側で私が訪れるのを待ち構えている。
『すふれのチャンネル登録外した』
『前はすふれ好きだったけど、今はそうでもないな』
『すふれは話し方がちょっと苦手』
電車が止まり、目の前の扉が開く。何人かが降りていき、何人かが乗車した。
誰だったかは忘れたけど、以前、ある芸能人がテレビで言っていた。
「アンチコメントが来るのはその人も私を見てくれている証拠。だから私はアンチコメントが来ると、心の中でその人に感謝するんです。『いつも見てくれてありがとうございます』って!」
強がりではなく本当にそう思っているんだとしたら、その芸能人のメンタルは鋼か何かで出来ているのだろう。悪意に対して「ありがとうございます」なんて感謝の言葉を心から述べられる人間が、この世界に何人くらいいるだろう。
私はSNSを閉じ、ブラウザを開いた。検索バーに「真白す」まで入力すると、検索候補に「真白すふれ 中の人」や「真白すふれ 年齢」などが表示された。
「真白すふれ」で検索すると、一番上に私の動画、その次にSNSが出てくる。更に画面を下へスクロールすると、「VTuber・真白すふれの中の人は?大学や彼氏は?」などと書かれたWebページが現れる。
こういったサイトは見ないようにしてきたのだが、何を思ったか、次の瞬間には私はそのWebサイトを開いていた。
本文を隠すように表示された卑猥な広告を、すかさずバツボタンで消し去る。
『真白すふれさんの『中の人』の正体は明かされていませんが、20××年に配信内で高校生であると話していた為、現在18歳~20歳くらいであると推測できます。
また、彼氏がいるのかどうかに関してですが、これについても現状は不明です。ですが、真白すふれさんは20××年の配信内で恋愛関係の話を何度かしていた為、リスナーから彼氏の存在を疑われていたようです』
私はそのWebサイトをキャッシュごと画面上から消した。
くだらない。
あなたたちと話をしているのは「氷見谷梓」ではなく「真白すふれ」なのに、どうしてそんなに私のことを知りたがるの。私を暴いてどうしたいの。
真白すふれの正体が公になるだけならまだいいが、晴見くんや家族のことまで知られたらどうしよう。今の時代にインターネットを舞台に活動するということは、それだけのリスクを背負うということだ。そんなことは初めから承知の上で配信を始めたはずなのに、なんで今更──
今更、真白すふれでいることが怖いだなんて思うんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます