50:晴見くんの家族
私はそれまで、意中の相手と両想いになって交際をスタートさせることが、恋のゴールだと思っていた。
片想いは苦しいものだ。大好きな人に拒絶される未来を想像すれば、とてもじゃないが想いを伝えることなど出来ないし、かと言って拒絶されないように自分磨きを頑張ったところで、相手が自分のことを好きになってくれる保証はどこにもない。
好きな人と両想いになれる確率とは一体どれくらいだろう。この国では、この世界では、一日に何人くらいの人が誰かと両想いになっているのだろう。
両想いになること自体が奇跡のようだと思っていたから、その後の困難なんて大したことないと思っていた。両想いになった二人なら乗り越えられるはずだと。
新しい年を迎えてから五日目の朝は、浅い眠りを引き剥がすかのような横暴なアラームの音と共に始まった。
寝不足の身体を起こして毛布の下から爪先を出しただけで、冷え切った部屋の空気に全身が竦み上がる。
昨夜の晴見くんとのやり取りが、悪い夢かなにかだったらいいのに。そう思って晴見くんから送られてきたメッセージを確認したが、やっぱり現実は変わらなかった。
身支度を済ませて部屋を出る。どうやら家に残っているのは私と母だけのようで、父は仕事に、葵は朝早くから友達と遊びに行ったそうだ。
母は私を見ると、昨晩の出来事が何事もなかったかのように小さく微笑んだ。
「おはよう。朝ごはん、せめてトーストだけでも食べていきなさいね」
「おはよ……」
言われた通り、私はバターを塗ったトースト一枚とカフェオレを口に入れた。食べ終わるとすぐに席を立ち、「行ってきます」と言って玄関へ向かう。
母は晴見くんのことについては一言も触れず、普段通りの様子で私を送り出した。
快晴の空から降り注ぐ眩い朝の光に、冬の空気がきらきらと反射する。街全体がよく磨かれた鏡みたいに透き通って見えた。
それなのに私の心は不安でたまらなくて、電車に乗って晴見くんの元へ向かう途中にも何度か涙が出そうになった。
「おかあさん!みてみて!」
声の聞こえた方に視線を向けると、鮮やかな晴れ着を身に着けた小さな女の子が、嬉しそうに母親と思しき女性に話しかけている。破魔矢を持った家族連れやスポーツバッグを持ったジャージ姿の女子高生たち、カップルなど、同じ車両に乗っている人はみんな幸せそうに見えて、なんだかいたたまれない気持ちになった。
本当なら今日、晴見くんと初詣に行く予定だったのに。
けれど、今回のことだって晴見くんは何も悪くない。私が彼を支えなくちゃいけないのだから、こんなことで不安になっているようでは駄目だ。
◇◆◇
普段、大きな病院に掛かることはないので、威圧的な建物の外観と慌ただしく動く医療従事者たちの姿に思わず圧倒されてしまう。
入口を入ってすぐの所にある待合室では、新年を迎えたばかりだというのに多くの人が診察を待っていた。
受付で晴見くんの名前を告げて、案内された部屋へと向かう。
ここへ来る途中に果物屋さんでカットフルーツの詰め合わせを買ってきた。晴見くん曰くそんなに重症ではないとの事だから、彼は大袈裟だよと言って笑うかもしれない。
案内された部屋の前で、中から出てきたスーツ姿の紳士とぶつかりそうになった。
「おっと、失礼」
「す、すみません」
紺色のスーツをビシッと着こなしていて、なんだか品格のある人だ。窪んだ優しげな目元に、どうしてか見覚えがあるような気がした。
紳士と連れ立って、パーカーを着た二十代くらいの若い男性が私の前を通り過ぎた。その人の顔を見た時、妙な感覚を覚えた。
もしかして……!と思って振り返ると、二人も立ち止まってこちらを見ていた。
紳士が言う。
「もしかして……氷見谷さん?」
その二人を見た時、妙な既視感を覚えた理由はすぐにわかった。二人ともすごく似ているから──晴見くんに。
スーツ姿の紳士は晴見くんのお父さん。そして、パーカーを着た若い男性は晴見くんのお兄さんだ。お兄さんは晴見くんよりもやや背が低くて、眼鏡はかけておらず、髪を茶色に染めている。だからぱっと見ではわかりづらいが、顔立ちは晴見くんにそっくりだった。
私たちは部屋の前で少し話をした。
「いやぁ、まさかこんな所で会うなんてね。蒼士から聞いていたんだ、美人な彼女が出来たって」
「び……っ、あのっ、改めまして氷見谷梓と申します!晴見くんにはいつもお世話になってます!」
晴見くんが私のことをそんな風に家族に紹介してくれていたなんて。嬉しいような恥ずかしいような、なんとも言い難い気持ちだ。
晴見くんのお父さんは嬉しそうに笑いながら話す。そのくしゃっとした笑顔が晴見くんによく似ている。
「子供の頃は近所の女の子に揶揄われて泣いてたくらいだから、彼女が出来たと聞いて『ほんとか?』ってちょっと疑ってたんだけど、本当だったんだね!いやぁ、びっくりした。こちらこそ、蒼士のお見舞いに来てくれてありがとうね」
そう言われて、ちょっと泣きそうになった。私の涙腺はいつからこんなにも緩くなったのだろう。
「それじゃ、私たちはもう行くから。あんなヤツだけど、これからも蒼士をよろしくね」
「は、はいっ!こちらこそです……っ!」
歩き去っていく二人の背中を見ながら思う。晴見くんのお父さん、すごく優しそうな人だったな。お兄さんは一言も言葉を発さなかったけれど、私のことをじっと見ていた目はどことなく好意的に感じられた。
『あんなヤツだけど、これからも蒼士をよろしくね』
晴見くんのお父さんから受け取った、その言葉がすごく嬉しかった。
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