42:ご褒美

 私たちのクラスのメイド喫茶には、開店して間も無く多くのお客様がやって来て、教室内──改め店内は、想定以上の賑わいを見せていた。同時に、調理カウンター(と言っても、簡単なパフェやドリンクくらいしか提供しないのだけれど)では、調理担当やメイド役が慌てた様子で行き交っている。正しくカオスとでも言うべき状態だ。

「おかえりなさいませ!ご主人様っ。ご主人様たちは二名様ですねー。お席にご案内しまーすっ」

 開店してから一時間ほどしか経っていないにも関わらず、小春ちゃんは既にメイド役が板についている。小春ちゃんなら文化祭ではなく、本物のメイド喫茶でもすぐに人気者になれるだろう。

「3番テーブル、ラブリーチョコパフェと萌え萌えあんみつ一つずつでーす!」

「はーい……」

 小春ちゃんの声に、調理スペースから既に疲弊した様子の声が返ってきた。

「さっきの子、めちゃくちゃ可愛かったな」

「な、アイドルかなんかじゃね?」

 小春ちゃんの接客を受けたお客様──ご主人様たちは既に彼女の虜になってしまった様子で、緩んだ表情でその可憐な姿を追っている。

 私も負けていられない。そう思うのだけれど、頑張ろうとすればするほど努力が裏目に出て、空回りしてしまう。

「すいませーん!注文お願いしまーす」

「氷見谷さん、いける?」

「あっ、はい!」

 慌てて注文を聞きに行く。その際に擦れ違ったメイド役の女子と危うくぶつかりそうになり、互いに軽く会釈を交わす。

「お待たせしました!ご、ご注文をお伺いします!」

「えっと、この……ラブリーチョコパフェ?と恋色メロンソーダ一つずつで」

 別のクラスの文化祭Tシャツを身に着けた、同学年と思しき男子二名が気恥ずかしさを誤魔化すように、互いの顔を見合わせて笑った。

「ら、らぶりーちょこぱふぇ……と、恋色……メロンソーダ、一つずつですね。かしこまりました……」

 注文を取ると、私は調理スペースへと向かった。

「5番テーブル、チョコパフェとメロンソーダ一つずつ」

「はーい」

 ただでさえ恥ずかしいメニュー名を他のメイドたちのように大声で叫ぶことなど私にはできない。一体、誰がこんなアホみたいなメニュー名にしたんだか。

 それにしても、気が付けば教室の前には行列が出来ていて、文化祭を見て回る時間などあるのだろうかと不安になる。いや、だけど時間は無いと困るのだ。高校二年生の文化祭を好きな人と一緒に過ごせるチャンスなのだから。

 だけど、忙しくてすごく大変なはずなのにどうしてか胸が躍る。晴見くんと一緒に過ごせることを抜きにしても、こんなに楽しい文化祭は初めてだ。

「あ、梓ちゃん!ねえ、コレ付けてよ!」

 無邪気に駆け寄ってきた小春ちゃんに手渡されたものは、黒の猫耳だった。

「絶対付けない」

「えーっ、絶対似合うのに!」



◇◆◇



 本来であれば十三時には職務から解放されて自由時間を与えられるはずだったが、昼時は教室の前に長蛇の列が出来てしまい、教室内からなかなか抜け出せずにいた。売り場で接客を行うメイドはもちろん、スイーツやドリンクを作る調理担当者たちも目の前の仕事を捌くことに必死で、誰一人として余裕のある者などいなかった。

 廊下や屋外でポスターを配るなどして宣伝を行っていたクラスメイトに、一旦宣伝はストップするよう連絡し、十三時頃にようやく客足が落ち着き始めた。


「はあ……」

 思わず深い溜息が漏れる。私はメイド喫茶には行ったことはないけれど、メイド喫茶で働くメイドさんたちを心から尊敬する。高校の文化祭とは比べ物にならないほど忙しい時もあれば大変なことだってあるだろうに、彼女たちは疲れた表情など微塵も見せることなく、完璧なまでにメイドらしく振舞っている。

 私はダメだ。忙しくなると頭の中がパニックになり、注文を聞いて商品を出すことに必死で、メイドらしい笑顔や仕草を心掛ける余裕など全くなかった。

 目の前の廊下を行き交う楽しそうな人々を眺めながら、屋上へと続く階段に腰掛けて一人反省会をしていると、突然声を掛けられた。

「氷見谷さん」

「ひっ!?」

 驚いて声の聞こえた方を振り返ると、苦笑する晴見くんがいた。

「お疲れ様。にしても『ひっ』って酷いな。オバケかなんかだと思った?」

 晴見くんはそう言って私の隣に腰を下ろすと、持っていたペットボトルの水を私に差し出した。

「あ、ありがとう。ごめんなさい、ちょっとあまりにも忙しくて……魂が抜けてたみたい」

「あはは、氷見谷さんでもそんなことあるんだね。ほんとに忙しかったよね。俺のバイト先の居酒屋もあそこまで忙しい日は少ないよ」

 晴見くんは元々は廊下でポスターを配る宣伝係だったが、メイド喫茶があまりにも盛況だった為に途中から調理スペースへと駆り出されていた。

「そうなんだ……って、あの……なに?」

 晴見くんの強い視線が真っ直ぐに私へと向けられている。

「いや……着替えないんだなと思って」

 更衣室へ向かう気力さえ無く、階段に座って休んでいたので気付かなかったが、改めて自分の格好を見るとたまらなく恥ずかしくなった。

「だ、だってあまりにも忙しかったから着替える暇がなくて……!」

 晴見くんは笑った。

「すごく似合ってるよ」

 ただでさえ接客で動き回っていたから暑いのに、晴見くんの一言で体温が一気に上昇する。晴見くんの顔も次第に赤くなり始め、どことなく気まずいような、それでいて甘く幸せな空気に浸される。

「そ、そうだ!氷見谷さん、お昼まだ食べてないでしょ?外の屋台に美味しそうなものいっぱいあったよ!見に行かない?」

「え、ええ!見に行きたい!」

 晴見くんは私よりも先に立ち上がり、右手を私に向かって差し出した。その骨張った大きな手を取った後に、私は晴見くんと手を繋いでいるのだと気が付いた。

 

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