40:動揺させたい

 およそ一カ月後に迫る文化祭に向けて、多くの生徒が放課後まで残り、各クラスの出し物の準備を着々と進めている。校内には色鮮やかな看板やポスターが立ち並び、文化祭が近付くにつれて生徒たちは活気づいていくようだった。

 文化祭の準備期間中は意外にも校則違反者が少ない。きっと、自分が校則違反をした所為でクラス全体に影響が及ぶことを恐れるからだろう。

 私としては校則違反を注意する労力が減って有難いが、文化祭当日は抑圧されていた鬱憤を晴らすかのように違反者が爆発的に増加する。昨年に経験したが、年に一度のお祭り騒ぎに風紀委員がいくら注意を行っても、聞く耳を持つ生徒などいない。

「文化祭の日くらい思いっ切り楽しめばいいのに」と思われるかもしれないけれど、正直に言うと私は「羽目の外し方」というものがわからないのだ。まあ、敢えて外すつもりもないのだけれど。

 

「じゃーんっ!見て見て!衣装、完成したよ!」

 その声に、教室内にいたクラスメイトたちが一斉に振り返る。

 衣装係の池田さんの手には、黒地にフリルがたっぷり付いた白いエプロンドレスが抱かれている。池田さんたち衣装係の面々は、皆やり切ったような笑顔を浮かべていた。

「わーっ!すごい!メイド服だ!」

 私と一緒に席数や当日の役割分担を考えていた小春ちゃんが、飛ぶような足取りで衣装係たちの席へと向かっていく。

「とりあえず二着出来たよ。よかったら名取さん、今着てみる?」

「えーっ、着たい着たい!二着あるんだよね?だったら梓ちゃんも!」

 話を振られないようにと敢えて忙しそうにペンを走らせていたのだが、小春ちゃんは私の胸中など全く意に介さずといった様子で、私に向かって手招きしながら無邪気に笑っている。

「小春ちゃんだけ着ればいいじゃない。私、今ちょっと立て込んでるから」

「え?席の配置ならさっき決め終わったよね?今日中に決めること、まだ何かあったっけ?」

「……完成したメイド服って二着でしょ?サイズとか合わないんじゃない?」

「大丈夫!名取さんと氷見谷さんの分だから、二人のサイズに合わせて作ってるよ!」

 池田さんが満面の笑みを浮かべながらそう言って立ち上がり、衣装を持って私の方へやって来る。

「だってさ。ほら、どのみち試着は必要なんだしさ」

 小春ちゃんの言葉に、私は渋々頷いた。

 これが文化祭当日なら、周囲のお祭りムードに呑まれて私のコスプレ姿など誰も気に留めないだろうけど、今の教室内は平常時の放課後とほとんど変わらない。「メイド喫茶」と大きな文字で書かれた看板や作りかけのメニューボードなどがあるくらいで、当然のことながらクラスメイト達は制服かジャージ姿で作業している。そんな中でメイド服を着るなんて……


「さっ、更衣室に着替えに行くよ!」

 小春ちゃんはどうしてかとても楽しそうで、片手にメイド服を抱き、もう片方の手で半ば強引に私の腕を引っ張っていく。

 幸いなことに、更衣室の中には誰も居なかった。メイド服に着替える所を見られるのは誰であれ恥ずかしい。そう思う私の感覚が正常なはずなのに、喜々としてメイド服を身に着ける小春ちゃんを見ていると、私の方が異常なのかと少し自信がなくなってくる。

 ……いや、どちらにせよ私もこれを着ることになるのだ。夏休み中、小春ちゃんと二人でプールへ行った時のことを思い出す。白ビキニが着れたなら、メイド服だって余裕なはずだ。


 池田さんたち衣装係の面々が私用に作ってくれた衣装は正しくジャストサイズで、苦しくもなければ緩くもない。ただ、スカートは膝丈よりもやや短いので校則違反……なのか……?

「わあ!梓ちゃんやっぱりめちゃくちゃ似合う!私の目に狂いはなかった!」

 そう言う小春ちゃんこそ、シンプル且つ上品なデザインのメイド服がよく似合う。小春ちゃんにはピンクとかリボンとか、アイドルのように派手な衣装が似合いそうだと思っていたけれど、素材が良いから何でも着こなしてしまうのだろう。


「ねえ、写真撮ろ!」

 そう言うなり腕を絡め、右手を伸ばしてスマホの内カメラを起動する小春ちゃん。

「ええ……まあ、一枚だけよ」

「梓ちゃん、ほんとに似合い過ぎ!こんなに完成された黒髪メイド、他に居ないって!早くみんなにも見てもらいたい!」

 この格好で教室まで行き、クラスメイトにメイド服姿を見られるのだと思うとゾッとする。ああ、何故メイド役なんて引き受けてしまったんだろう……


「ねえ、サイズが合ってることは確認できたんだから、もう脱いでもよくない?別にこの格好で教室に戻らくなても……」

「ダメだよ!何のために着替えたの?みんなに見てもらう為でしょ!」

「え……そうだったの?」

 暴走機関車のような小春ちゃんを止める術を知っている人がいるなら、誰か私を助けてほしい。私はまた腕を引っ張られ、強引に教室まで連れ戻された。メイド服を着たままで。


 教室に戻るなり、中に居たクラスメイト達の視線が一斉に私たち二人へと向けられた。それと同時に歓声が沸き起こる。

「わあ、可愛い!!」

「二人とも、めっちゃ似合うじゃん!!」

「氷見谷さん、めちゃくちゃ似合い過ぎでしょ!」

「これ、うちのクラスが売上トップ狙えるんじゃない!?」

 小春ちゃんと併せてではあるけれど、ここまで褒められたのは初めてで、正直言って悪い気はしなかった。

 これまでの文化祭は自分に与えられた最低限の仕事だけを熟して、脇役どころか空気のように過ごしてきたけれど、今年の文化祭は全力で楽しんでみるのもいいかもしれない。


 そんなことを思っていた時、突然背後で声が聞こえた。

「うわ、なになに」

 振り返るとそこには、クラスメイトの山口くんと晴見くんがいた。晴見くんの、眼鏡の奥の黒い瞳が真っ直ぐに私を射抜く。 

「なにってメイドだよ!どう!?」

 小春ちゃんはまた私の腕に自身の腕を絡め、ぴったりと身体を寄せてきた。

「え、めちゃくちゃ似合ってんじゃん!なあ、晴見?」

 山口くんに話を振られ、それまで執拗なほどに私を見ていた晴見くんの視線が逸らされた。

「ああ……二人とも、よく似合ってるよ」

 そう言った時の晴見くんの目は、私のことも小春ちゃんのことも見ていなかった。


 ……なんだろう。この、どこか釈然としない気持ちは。

 似合ってると言ってくれた。晴見くんは褒めてくれた。

 だけど、足りない。もっと顔を赤くしたり、動揺したり、そういう反応を期待していた。冷静な表情が崩れるところを、私だけに見せてほしい。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る