37:ガールズインザプール
「梓ちゃん、プールに行こう!」
小春ちゃんから電話がかかってきたのが、3日前のこと。
「え……プール?」
「そう!高二の夏休みは人生で一回しか巡ってこないんだよ!それならプールに行くしかないでしょ?」
どういう理屈なのかしら……と、声には出さずにツッコミを入れる。
「まあ、いいけど。あ、でも私、水着って学校で着るようなものしか持ってないのよね。プールって殆ど行ったことがないからよくわからないのだけど、学校で着ている水着を着ても変じゃないわよね?」
「いや、変に決まってるじゃん」
◇◆◇
スクール水着を体育の授業以外で身に着ける人は少ないらしい。小学生くらいの子供なら誰も気にしないかもしれないが、高校生以上にもなって公共のプールでスクール水着を着ていたら、奇異な視線を向けられるとの事。
小春ちゃんの指摘を受けて、私は昨日、慌てて水着を買いに行った。水着を買う為だけに電車に乗って街まで出るのは正直面倒だったので、近所のイ〇ンに行ったのだが、特設コーナーとして設けられていた水着売り場には、子供向けのものや婦人向けのものが多く、若い女性が着るような水着は露出の多い派手なものばかりで困ってしまった。
他のお店を見に行くことも考えたけれど、とりあえず明日だけ乗り切れたらいいかと思い、女性の店員さんに今流行りの水着を聞いて、お勧めされたものを買うことにした。……が、後々になって考えてみれば、少し派手過ぎたかもしれないと後悔した。
当日は見事な快晴で、正にプール日和と呼ぶに相応しい酷暑日だった。
駅前で小春ちゃんと集合し、一緒に目的地へと向かう。
「梓ちゃん、ちゃんと水着買った?」
「ええ、買ったわよ」
「よかったぁ。スクール水着だったらどうしようかと思ってたんだよ」
小春ちゃんはそう言って、悪戯な笑みを浮かべた。
小春ちゃんに連れられてやって来た場所は「プール」と言うよりも、「娯楽施設」と言った方が相応しい、温泉やプールやショッピングセンターなどが一体になった複合施設だ。夏休みだからか、家族連れや学生と思しき人々でとても賑わっている。
更衣室で水着に着替えるわけだが、今になって先日買った水着を着るのが少し躊躇われた。
「梓ちゃん、どうしたの?着替えないの?」
隣を見ると、小春ちゃんは既に水着に着替え終わっていた。私の勝手なイメージでは、小春ちゃんはビキニなどの派手な水着を着るのだろうと思っていたが、実際に彼女が着ていたのは所々にフリルが付いた黒いワンピース型の水着だった。一見すると、水着かどうかもわからないような可愛らしいデザインだ。栗色の髪は耳の下でツインテールに結われていて、言うまでもなくよく似合っている。
「か、可愛い水着ね……」
「そう?ありがと。梓ちゃんも早く着替えなよ?」
「え、ええ……着替えるわ……」
おずおずと、バッグから水着を取り出す。
「わー……凄い。梓ちゃん、意外と大胆なやつ選ぶんだねっ」
「もうっ、着替えるからあっち向いてて!」
「えー、わかったよー」
小春ちゃんは私に背を向け、ロッカーから取り出したピンク色の浮き輪と思しきものを膨らませ始めた。
試着した際は無難なように思えた真っ白なビキニは、冷静になって考えてみれば露出は多いし裸でいるのと殆ど変わらないような感じがする。
けれどもう着替えてしまったし、これ以上小春ちゃんを待たせるのも申し訳ないので、今回はこの水着を着て泳ぐことにした。
温水シャワーのトンネルを通ってプールに出てみると、想像していた以上に広く、様々な種類のウォータースライダーや流れるプールなどがある。快晴の空から降り注ぐ陽射しを受けて、水はキラキラと宝石のように光り輝き、その中で泳ぐ人々の笑顔を照らしている。
「よしっ、それじゃあ私たちも泳ぐか……と言いたい所だけど、その前に梓ちゃん、忘れちゃいけないことがあるよね!」
「忘れちゃいけないこと?」
何のことかわからず、私が首を傾げると、小春ちゃんは呆れた様子で溜息を吐いた。
「日焼け止めだよ。梓ちゃんも背中とか、自分じゃ塗りにくいでしょ?私も背中の見えてる部分、塗ってくれる?」
小春ちゃんから日焼け止めを受け取り、液状の中身を掌に絞り出して彼女の白い背中に塗り広げていく。
「ありがと。次、梓ちゃんの番」
背中に小春ちゃんの華奢な手が重ねられると同時に、日焼け止めの生温いような、冷たいような感覚がして思わず身が竦んだ。
背中の上を掌が動く感触はマッサージみたいでちょっと気持ち良いかも……この手がもし晴見くんの手だったら──などという不純な考えが自然と頭に浮かび上がり、身体を熱くさせる。
そんなことを考えていたら、晴見くんの──ではなく小春ちゃんの両手が後ろから抱き着くような形で腹部に回されたので、驚いて反射的に振り返った。
「もうっ!そこは自分で塗れるからっ!」
「あ、バレた?」
小春ちゃんはそう言って無邪気に笑った。その顔が、晴見くんの悪い笑顔と重なって見えた。
爪先から上半身にかけて、徐々に水の中へ滑り込ませていくと、照り付ける陽射しに火照った身体が解れていくような心地がした。
正直なところ、今日ここへ来るまでは、海やプールではしゃいでいる大人をテレビなどで見ると、大人の癖に子供みたいに浮かれて、一体なにがそんなに楽しいんだろうと心の何処かで私は彼らを嘲っていた。
けれど、ただ水の流れに身体を任せて、快晴の空の下を漂っているだけで気持ちが安らいでいくような気がする。
流れるプールやウォータースライダーなど一通り楽しみ、昼食はプールの側で販売されていた焼きそばを食べた。ほんの少し塩素の味が混じったそれは、どうしてか普段家で食べる焼きそばよりも美味しく感じられる。因みに、小春ちゃんはタコライスとかき氷も食べていた。
「よしっ、お昼ご飯も済ませたことだし、もう一泳ぎしよっか!」
小春ちゃんがそう言って椅子から立ち上がる。
「『泳ぐ』と言うよりも、ただ『浮かんでいる』って感じだけどね」
「それじゃあもう一回ウォータースライダー行く?あの一番激しいやつ!」
「まあ、いいけど……」
実を言うと私もそのウォータースライダーにもう一度乗りたいと思っていたのだが、自分から言うのは子供っぽいような気がして言い出せなかった。小春ちゃんが言い出さなかったら自分から言おうと思っていたけれど、隣を歩く小春ちゃんの笑みは、そんな私の考えさえも見透かしているように見えた。
「さっき一緒にアレに乗った時、梓ちゃんめっちゃ叫んでたよね」
「だ、だって前に乗る方が怖いのよ。次は小春ちゃんが前に乗ってよね」
「はいはい。別にいいですよー?」
そんなことを言い合いながらプールサイドを歩いていたら、キャップを深く被った監視員と思しき男性と擦れ違った。
「……氷見谷さん?」
多くの人のはしゃぎ声や笑い声の中で、その低い声だけが妙にはっきりと聞こえた。振り返ると、その監視員の男性も私を見ている。
まさか、こんなことって起こり得るのだろうか。いや、でも現に今、私の目の前には彼がいる。間違えるはずなどない。
「は……晴見くん……?」
「えっ、晴見!?なんでこんな所にいるの!?」
小春ちゃんの驚き方は大袈裟なように思えたが、私自身はそれ以上に動揺していた。思いも寄らず晴見くんに会えたことは嬉しいけれど、大胆な白のビキニ姿を見られたことが恥ずかしくて、今すぐにでも彼の視界から逃げ去りたかった。
「なんでって……俺、夏休み中だけここでバイトしてるんだよ」
「へー、そうだったんだ!びっくりしたぁ!」
「いや、こっちの方がびっくりだよ……」
それを言うならこの中で一番びっくりしているのは絶対に私だ。この前、一緒に映画を観に行った時はスーパー銭湯で短期バイトをしていると言っていたけど、まさかそれが此処で、プールの監視員をしているなんて思わないじゃない。確かにこの施設の中には温泉もあるみたいだけど。
小春ちゃんに向けられている視線が時折ちらちらと私へ向けられる。私を見ては、決まり悪そうにすぐに逸らされる。なによ。いっそのこと見たいんだったらちゃんと見ればいいのに。
突然、小春ちゃんに素肌の背中を軽く叩かれた。
驚いて小春ちゃんを見ると、アリスの絵本に出てくる猫のようなニヤニヤ笑いを隠し切れていない。全く、何が言いたいんだか……恐らく、晴見くんと話せって言いたいんだと思うけれど。
「は、晴見くん、ここで働いてたのね」
「えっ、あ、うん。氷見谷さんたちは二人で遊びに来たの?」
「ええ、そうよ。小春ちゃんと二人で……あ、それじゃあ、私たちそろそろ行きましょうか。お仕事の邪魔しちゃ悪いし……」
さっきから会話をしているにも関わらず、晴見くんが一向に私の目を見てくれない。普段、学校ではピアス外せだのスカート丈だのと煩く注意している私が、プライベートではこんなにも弾けた水着でプールを楽しんでいるだなんて、もしかしたら晴見くんに幻滅されたかもしれない。
私は半ば強引に小春ちゃんの手を引いて、その場から立ち去ろうとした。
「晴見、梓ちゃんの水着姿どう?」
「ちょっと!!」
そんなことを聞かれたら、晴見くんだって困るに決まっているじゃない!
ほら、現に今困ったように視線を泳がせている。
「そんなの言うまでもないでしょ……」
晴見くんは口元を覆うように手を当て、もう片方の手でキャップを更に深く被り直した。
「……っていうか名取さん、なに言わせてくれてるんだよ。それじゃ、もう行くから。楽しんで」
「はーいっ。ばいばーい!」
黄色のTシャツに膝丈の海パンという、レアな装いの晴見くんをもう少し見ていたかった気はするけれど、これ以上今の私の格好を見られたくはなかったので少しほっとした。
「小春ちゃん……?あなたは晴見くんに何てことを聞いてくれてるの……?」
「あははっ、ごめん!」
「『あはは』じゃない!!」
だけど、そのお陰で晴見くんの照れた顔を見られたことには感謝したいと思うのだった。
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