36:ありふれたデート
迷宮のように入り組んだ駅構内を、人々が縦横無尽に行き交っている。これだけ多くの人がいて、よくもまあぶつからずに歩けるものだと感心しながら歩いていたら、前から来た人に危うくぶつかりそうになった。
自宅からそれほど離れていないとは言え、特別な用事でもない限りターミナル駅を通ることがなかった私は、駅の中をただ歩くだけで疲弊してしまう。
待ち合わせ場所は26番出口を上がってすぐらしい。出口の番号と矢印が書かれた親切な案内看板を頼りに、なんとか26番出口を見つけ、ダンジョンから地上へと戻ってくることができた。
余裕を持って出発してよかった。腕時計を確認すると、待ち合わせ時刻よりも10分ほど早い。周囲を見回すと、誰かを待っていると思しき人が大勢いた。
バッグから手鏡を取り出して軽く前髪を整える。緊張で顔の筋肉が強張っていて、上手く笑える気がしない。
早く会いたいけど、なんだか少し会うのが怖い気もする。
何故なら私は、父や弟を除けば男の人と二人で出掛けたことなど一度もないから。
本当にこの格好でよかっただろうか。
今自分が身に着けている服を改めて確認する。
昨晩、散々悩み抜き、ウエストにリボンの付いた白のワンピースにウエッジソールのサンダルという無難なデート服をチョイスした。髪はハーフアップに纏めている。
……どうしよう!心臓が爆発しそう!いっそのこと帰りたい!いや、帰りたくないけど!
その時、後ろから名前を呼ばれて、私の心臓は大きく跳ね上がった。
「氷見谷さん?」
「はっ、はいっ!」
振り返ると、私服だからかいつもより少し大人っぽく見える晴見くんがいた。
「ごめん、お待たせ。……あれ、今日なんか、いつもより大人っぽい気がする」
私も同じことを思った。率直にそう言えたらいいのに、どうしてかその一言が言葉にならない。
「……そ、そうかしら」
「うん。そういう服もすごく似合うね。……よし、それじゃあ、行こうか」
「え、ええ」
晴見くんの歩く速度は決して速くはないけれど、私よりも少し先を行く。晴見くんの耳は真っ赤になっていて、それが暑さの所為なのかそれとも私の所為なのかはわからないけれど、後者だったらすごく嬉しい。
待ち合わせの後、駅からほど近い場所にある可愛らしい店構えの洋食レストランで昼食を取ることになった。
私に何が食べたいか聞いて即座にお店を調べてくれたり、さりげなく奥の席を譲ってくれたり、晴見くんの所作の一つ一つが紳士的で落ち着いて見える。同時に、なんだか慣れているような感じもした。
もしかしたら晴見くんには、これまでに付き合っていた人がいたのだろうか……?
「氷見谷さん?」
晴見くんの声で我に返る。
いけない。余計なことを考えてせっかくの晴見くんとのデートを台無しにしてしまっては。
「ご、ごめんなさい。どれにしようか迷ってしまって……」
「わかる。どれも美味しそうだもんね」
メニューを見ようと視線を落としても、晴見くんが気になってつい彼の様子を伺ってしまう。ふいに視線が重なりそうになり、慌てて目を逸らそうとしても結局は間に合わず、無邪気な微笑に私の胸中を見透かされてしまうのだ。……そんな風に思うのは、考え過ぎだろうか。
料理を注文し終えた直後、賑わう店内で私たちの席だけが妙な静けさに包まれているような気がして、救いを求めるように水を飲んだ。
だけど、晴見くんはそんなことは全く気にしていない様子だ。
「氷見谷さんは、夏休み中は何をして過ごしてるの?」
「え?そうね……配信をしたり動画で使う絵を描いたり、あとは普通に課題をしたりとか……」
「絵!?もしかして、すふれのイラストも氷見谷さんが描いてたりするの?」
「ええ、そうよ」
「えぇ……っ、すっご……」
晴見くんは口元に両手を当てて目を見開き、後ろに仰け反った。大袈裟なまでの驚き様だ。
「そんなに凄いことでもないわよ。私の親、絵画教室の講師をしているの。だから昔から絵を描く機会は多かったの」
「はぁあ……凄いなぁ……
俺、絵は本当に下手くそでさ。イラストとか描ける人ってほんとに尊敬する」
楽しそうに話す晴見くんの目はどこか爛々としていて、まるで少年のようだ。見ているこちらまで自然と笑顔になる。
「あ、もしかして今、俺の絵を想像して笑った?」
「えっ?違うわよ……ふふっ」
言わなければ考えなどしなかったのに、晴見くんの描く絵を想像したら思わず笑みがこぼれた。
その後、昼食を終えた私たちは映画館へと向かった。鑑賞する作品は事前に相談し合って決めていて、更に晴見くんはWebで二人分のチケットまで取ってくれていた。
初めてのデートに映画館なんてベタ過ぎるかもしれないけれど、ありふれたデートプランだからこそ、「デートをしている」という感覚を余すことなく味わえて、一番楽しいのかもしれない。
二人で他愛もない話をしながら私服で街を歩いていたら、自分たちがカップルであると危うく錯覚してしまいそうになる。交際前に男女が二人で出掛けることも「デート」に含めていいのだろうか。
……いや、だけどよく考えてみれば、終業式の日に私は晴見くんに好きだと言われたけれど、交際したいとは言われていない。もしも晴見くんにその気が無かったらどうしよう。長い夏休みを過ごしているうちに、私に対する感情も薄れていってしまわないだろうか。
そんなことを悶々と考えていたら、飲み物を買いに行っていた晴見くんが戻ってきた。
「お待たせ。ミルクティーで良かったよね?」
「ええ、ありがとう」
飲み物を受け取った時に、指先がほんの少し触れただけでドキッとする。晴見くんは、やっぱりそんな些細なことは全く気にしていない様子なのに。
スクリーンから一番遠い後方の席に並んで座り、映画が始まるまでの間に少し話をする。因みに、今回私たちが見る映画は有名監督が手掛けるアニメーション映画で、小さな子どもから大人まで楽しめるファンタジー作品らしい。
「晴見くんは、夏休み中はどんなことをして過ごしているの?」
「うーん……基本、バイトかな。夏休み中だけ掛け持ちしてるんだ」
聞けば、普段から週に三日ほど出勤している居酒屋のアルバイトに加え、夏休み中の短期間のみスーパー銭湯でも仕事をしているらしい。
「すごい……私はバイトってしたことがないから、なんだか尊敬する」
私がそう言うと、晴見くんは笑いながら首を横に振った。
「いやいや、バイトなんてみんなしてるし尊敬されるようなことでもないよ。氷見谷さんはバイトしてみたいとか思わないの?」
「考えたことはあるけれど、レジとか接客とか、自分に熟せるような気がしなくて……それに、今は配信をするのが一番楽しいから。まあ、もうそろそろ受験勉強をしないといけないんだけど。でも、社会経験を積むためにも大学生になったらバイトはしてみたいと思っているわよ」
「そっか……受験かぁ……その間、すふれの配信が見られなくなるの寂しいなぁ」
晴見くんが本気で残念そうな顔をするので、思わず笑ってしまった。
「頻度はかなり少なくなると思うけど、少しくらいなら出来ると思うわ。息抜きも兼ねて」
「ほんとに!?よかった!それなら、俺も受験勉強がんばれそうだ」
無邪気な笑顔を隠すように、照明が徐々に暗くなっていく。これから始まる映画の内容は正直なところどうでもいいので、晴見くんだけを見ていたいと思った。
映画は想像以上に面白かった。映像が美しく、ストーリーも緻密で引き込まれた。
上映中に何度か晴見くんの方を見てみると、スクリーンに釘付けになっていて隣にいる私のことなど一切気にしていない様子だった。もちろん、肘掛けに置いた手を重ね合わせたり……なんてこともない。
「いやー、面白かったね!最後、ちょっと泣きそうになっちゃった!」
「わかる!続編がありそうな終わり方をしてたわよね!」
映画館の近くのカフェで夢中になって感想を言い合っていたら、あっという間に一時間ほどが過ぎていた。相手が晴見くんなら、突飛な意見や感想だって臆さずに言葉にすることが出来る。上手く纏まらないままの状態で声に出してしまった思考さえ、晴見くんは受け入れて、決して否定することなくわかりやすい言葉に変換してくれる。
私は長時間、誰かと一緒に過ごすことが得意ではないけれど、晴見くんとならずっと一緒に居たいと思うし、話したいことが次々と湧き出てくる。
気が付けば窓の外に見える空は茜色に染まり、楽しい一日の終わりが近付こうとしていた。
「……よし。そろそろ帰ろうか」
その言葉を、私は決して自分から言わないようにしていた。
今日という日をもう一度繰り返せたらいいのに。だけど、今日は今日しか経験できないから特別な日になるのかもしれない。
「……ええ。そうね」
晴見くんも私と同じように、今日が終わるのを寂しいと思ってくれていたら嬉しい。
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