11 : 手
晴見くんの家はオーソドックスな形をしたベージュの壁の一軒家だった。
家の人がいたら何と言えばいいのか……と家に着くまでずっと考えていたけれど、良いのか悪いのか、家の中には晴見くんと私以外には誰もいないようだった。
晴見くんが持って来てくれたタオルを使って玄関先で軽く身体と髪を拭く。その間、晴見くんはお風呂のお湯を沸かしてくれているようだった。
なんだか気を遣わせてしまったようで申し訳なく思うと同時に、こんな事態を招いてしまった自分が情けなく、恥ずかしかった。
私は昔からこうなのだ。真面目だから周りの人には『しかっりしている』と言われるけれど、実際は抜けているところが多くて鈍臭い。晴見くんにも呆れられていないか不安だ。
「氷見谷さん、取り合えず上がって!」
浴室から出てきた晴見くんに声を掛けられ、私は「おじゃまします」と言っておずおずと靴を脱ぎ、片隅に揃えた。
玄関を入ってすぐの所に二階へと続く階段があり、一階の奥にリビングやキッチンがあるようだ。リビングにはテレビや革のソファ、テーブル、本棚などが置いてある。お風呂のお湯が溜まるまでソファに座るよう、晴見くんに勧められたが、濡れたままの服装で腰を掛けるのが忍びなく、どうしていいかわからずに立ったままうろたえることしか出来ずにいた。
そうこうしているうちにお湯が溜まったようで、私は脱衣所に案内された。
「脱いだ服はそこに置いといてくれたら洗濯するから。着替えは……ごめん、この家男しかいないから俺のものを使ってもらうことになるけど、なるべく新品に近いものを探してくるから我慢してほしい」
晴見くんは脱衣所の奥に私を通し、自身は入口付近の壁に腕をつきながら捲し立てるように言った。いつもはのんびりとした調子で話す彼が、こんなにも早口で話す姿はこれまで想像もできなかった。まるで、一刻も早くこの場から立ち去りたいとでも思っているかのようだ。それに、目も一切合わせてくれない。
迷惑をかけてしまった自分が悪いのだけど、今の晴見くんは私を拒絶しているように見えて、胸が締めつけられるように痛んだ。
私に背を向け、脱衣所のドアを閉めようとする晴見くんの手を気付いた時には掴んでいた。青白い血管が浮き出た手は思いの外大きくてゴツゴツとしていた。
振り返った晴見くんの目は少し見開かれ、その顔には驚きや動揺といった感情が滲んでいる。
自分でもなぜここで彼を引き留めたのかわからなかった。こんな意味不明なことばかりしていては、本当に彼に嫌われてしまいそうだ。
「あっ、あの……っ!これは、違う、くて……!」
恥ずかしさと気まずさでしどろもどろになりながら晴見くんの手を離そうとしたが、今度は晴見くんの手が私の手を強く掴んでいて解けなかった。
「なにが?」
切れ長の黒い目は真っ直ぐに私を射抜き、視線を逸らしたくても逸らせない。それさえも許してもらえないような威圧感を感じた。
自分の唇が震えているのがわかる。だけどそれが恐怖からなのか、それとも別の感情から引き起こされているのかはわからない。
私が何も言えずにいると、晴見くんは小さく息を吐きながら優しい笑みを浮かべた。その瞬間、私の目には晴見くんに気付かれない程度の涙が少し滲んだ。
「あ、あの……ごめんなさい……」
「いや、こっちこそごめん……」
晴見くんの手は変わらず私の手を強く握りしめたままだ。
「あ、あの……手……」
私がそう言うと、晴見くんは今気付いたとでも言うように慌てた様子で手を解いた。
「ご、ごめん!それじゃあ、なにかあったらリビングにいるから言って!」
脱衣所のドアが後ろ手に勢いよく閉められる。
晴見くんの姿が見えなくなった後も心臓は壊れそうなほどに煩く鳴り続け、片手には彼の手の感触がまだ残っていた。
脱衣所で制服を脱ぐ。わかっていたが、ブラウスやスカートはもちろん、その中に身に着けていたキャミソールやブラ、パンツまで何もかもびしょ濡れだった。
さすがに替えの下着は無いので、晴見くんに貸してもらう着替えは買い取らせてもらおうか……などと考えながら浴室に入り、冷えた身体にシャワーを当てる。
晴見くんの家族は男性だけだと言っていたが、たしかに浴室には男性用のシャンプーや洗顔類しか置かれていなかった。
湯船に浸かりながら晴見くんについてあれこれ考えを巡らせるも、一向に思考はまとまらない。晴見くんに触れられた手をぼんやりと眺め、私をじっと見ていた彼の顔を思い出しては身体の奥が熱くなって何も考えられなくなった。
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