第16話

 数時間後。綾瀬刑事から電話がかかってきた。――ストーカーに関する調書の閲覧が終了したのか。

「それで、何か分かったのか?」

 しかし、綾瀬刑事は暗そうな声で話す。

「うーん、これといった情報はなかったわね。ただ、気になる事はあったわ」

「気になること? 一体なんだ?」

 綾瀬刑事は、僕の質問に対して――率直に答えた。

「えっと、今から1ヶ月前――3月かな? 十三でストーカー被害があったらしいのよ。相談者は大槻美優――例のキャバ嬢ね。彼女は、生活安全課で『刃物を持った男性が付きまとっている』と相談していたらしいのよ。生活安全課の相談員から調書の情報と照合してもらったけど、確かに彼女がストーカー被害に遭っていたのは事実よ」

「なるほど。――つまり、大槻美優が殺害されたのは必然的なのか」

「そうね。我々大阪府警としては、殺害を阻止したかったんだけど」

「まあ、起きてしまったものは仕方ない。これからのことを考えよう」

「これからのこと?」

 綾瀬刑事がそう言うので、僕は――思っていることを口にした。

「多分、一連の事件の犯人は――案外近くにいるかもしれない。ただ、捕まえどころがない。それは事実だ。僕は探偵じゃなければ、刑事でもない。――ただの小説家だ。だから、小説家としてできることをしていこうと思う」

「それって、つまり……」

 分かっていた。心の奥底では分かっていた。でも――実際、口にするのは勇気が必要だった。それは僕が所謂「コミュ障」だからかもしれない。僕にできること。それは――「今までの事件を小説として書き出すこと」だった。多分、それは事件の手掛かりになるかもしれないし、ならないかもしれない。

 ただ、僕は――「私小説」としてこの事件をまとめたいと思った。それだけの話である。

 少し間を置いた上で、僕は綾瀬刑事に話しかけた。

「――今まで発生した事件を、小説として書き出す。そして、それを善太郎や綾瀬刑事に読んでもらう。それで事件解決のヒントにつながるかどうかは分からないけど、多分、綾瀬刑事なら分かってもらえるはずだ」

 僕がそう言うと、綾瀬刑事は――笑った。

「アハハ、面白いわね。――江成くん、良いわよ? あなたの小説、楽しみにしているから」

「そうか。――それはどうも」

 僕は謙遜けんそんする。綾瀬刑事は――低い温度の声で話す。

「こう見えて、私も――色んなミステリ小説を読んで刑事になったクチだから、よく分かるのよ。だからさ、茨木市駅の事件で江成くんに会った時に『シンパシー』を感じたのよ」

「シンパシー?」

「なんて言うんだろ? キミ、立志館大学のミステリ研究会だったりしない?」

「そ、そうだが……」

「実は、私も立志館大学のミステリ研究会に在籍してたのよね。――だから、善ちゃんとは同期なの。善ちゃんは『探偵になる!』って意気込んでたけど、ホントに探偵になるなんて思ってなかったわ。――それはともかく、江成くんが書いた小説は読ませてもらうから」

 そう言って、綾瀬刑事は電話を切った。――ツーツー音だけが鳴り響いている。

 それにしても、善太郎と綾瀬刑事が同学年だったのは初耳だ。――だから、妙に2人が馴れ馴れしいと思ったのか。意外な発見があるもんだ。

 綾瀬刑事に言われた以上、僕は――一連の事件にまつわる小説を書かなければならない。

 当然だが、今書いている小説の原稿は「保留扱い」にした。

 そして、新たな原稿を用意した。もちろん、書くべきモノは「阪急京都線連続殺人事件」である。そのままだと華がないので――『阪急京都線コネクション』とした。

 *

 小説は順調に書き進んでいた。順を追って書いていくしかないので、淡路駅→長岡天神駅→高槻市駅→茨木市駅→烏丸駅→十三駅という順番で事件を整理していった。そして、考えられるだけの事件の様子を書いていった。

 当然だが、この事件を解決するのは明智善太郎――もとい、僕の創作物上では「浅賀善太郎」という名前の探偵である。

 現状では憶測でしか物事を書けないので、僕は爆龍の事件も絡めつつ原稿を書くことにした。まあ、掌編しょうへんなので――そこまで長い小説ではないのだけれど。

 高槻市駅の事件をまとめたフェーズで、休憩を取る。このまま根を詰めても良かったが、この状況だとまともな小説は書けないと判断したのだ。

 ベランダに出て、アメリカンスピリットを吸う。一応、アパートは禁煙なので煙草を吸うには外に出るしかない。

 それにしても、暗くなるのが遅くなったな。現在時刻は午後6時ぐらいだけど、空はまだ明るい。――仁美や善太郎も、この空を見ているのだろうか? 急に詩的なことを考えてみたが、矢張り僕にはそういうセンスがない。センスがないから、売れないのか。ならば、もう少しセンスに磨きをかけるべきなのか。

 そう思いつつ、僕は煙草を吸い終わった。――当然、吸い殻は吸い殻入れに入れた。

 煙草休憩を取ったところで、僕は再び『阪急京都線コネクション』の原稿を書き進めた。煙草で心拍数が上がっているからなのか、僕はゾーンに入っていた。――こうなると、書き進めるのは一気である。

 執筆開始から3時間ぐらい経っただろうか。僕は『阪急京都線コネクション』を書き終わった。当然だが、原稿の最後には「了」の文字が付いている。

 これで良いかと思いつつ、矢張り満足していない部分もある。――でも、どうせ世に出る小説ではない。これは仁美と善太郎、そして綾瀬刑事だけの間で読む小説なのだから。もしかしたら、善太郎の父親――明智警部も読むかもしれない。

 最初に『阪急京都線コネクション』を読ませるべき人間は――矢張り、善太郎だろうか? そう思って、僕は圧縮ファイルに入れたPDFを、善太郎のパソコンへと送信した。本来ならスマホに送信すべきだろうけど、多分――パソコンの方が読みやすいと判断した。

 彼がどう思うかはさておき、「明智善太郎になりきった僕の推理」は――それなりに的確にしたはずだ。


 ――そして、相当疲れていた僕は、そのまま意識を失った。

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