第15話
カップラーメンを啜りつつ、僕は仁美とメッセージアプリを使ってやり取りをしていた。
それで何かが分かるかと思えば――特に何も分からない。ただ、「王論宗」という名前の中国人が気になって仕方ないということは伝えた。偶然だとは思うのだが。
結局、仁美とのやり取りが終わったのは正午ぐらいだっただろうか。――スマホを見ていると、時間の感覚がバグってしまう。
バグった時間感覚を修正すべく、僕は再びダイナブックで原稿を書いていた。――しかし、浮かんでいたはずのアイデアが泡のように消えてしまった。なんというか、「逃がした魚は大きい」とか、そんな感じだった。
どうやったら消えたアイデアは戻ってくるのだろうか? 色々考えても仕方はないのだけれど、矢張り考えざるを得ない。
考えた末に、何を血迷ったのか――僕は芦屋川駅へと向かっていた。多分、心のどこかで「善太郎に会うべきだ」と思ったのだろう。
西宮北口で特急に乗り換えて、更に十三で京都河原町行きの特急に乗り換える。この乗り換えも、なんだかクセになってきた。
今日は日曜日なので、京都河原町行きの電車は混雑している。正直言って、座る場所なんてなかったのだ。
電車で揺られているうちに、高槻市駅で下車する人が多かった。そこで僕はようやく席に座ることができた。――とりあえず、持ってきた文庫本でも読むか。
セレクトした文庫本は――横溝正史の『八つ墓村』だった。特に意識した訳じゃないが、なんとなく追っている事件の様相が『八つ墓村』と被って見えたのだ。――流石に『八つ墓村』のように無差別に殺人を犯している訳ではないと思うのだが。
*
『八つ墓村』を半分まで読み終わったところで、電車は終点――京都河原町駅に着いた。そこから明智ビルへと向かって歩いていく。それにしても、日曜日の京都は観光客で溢れ返っている。――疫病が明けてから、ずっとこんな感じだな。
僕としては未知の疫病に怯えていた頃の方が静かで好きだったのだが、矢張り京都は観光立国。正直言って、外国人が外貨を落としていくのを頼るしかない。それだけ、京都市――いや、京都府という場所は財政難にあえいでいるのだ。
外国語しか聞こえない四条通を通っているうちに、明智ビルが見えてきた。僕は、エレベーターで最上階まで登っていく。――階段を使うなんて、面倒くさい。
そして、明智エージェンシーの中へと入っていった。
事務所の中では、善太郎が――書類のようなものを広げていた。一体、何がしたいんだ?
「おう、エラリー。今日は日曜日だぜ?」
「いや、なんとなく善太郎に会いたいなって思って」
「そうか。――お前らしいな。それはともかく、オレは今資料を整理している。もちろん、一連の殺人事件にまつわる資料だ」
「もしかして、僕に『資料の整理を手伝え』っていうのか?」
「別に、そういう訳じゃないぜ。――ただ、エラリーが送ってくれた『アレ』が気になる」
「ああ、『アレ』か」
善太郎が言う「アレ」とは、某縦縞模様のプロ野球チームの隠語ではなく――僕がスマホで送信した「血塗られたスペードのK」の画像である。
「綾瀬刑事から聞いたが、DNA鑑定の結果――血液は被害者のモノだったらしいぜ?」
「なるほど。つまり、大槻美優は死に際に何らかの事情で『スペードのK』に自分の血を付けたのか。――そうだ、これを見てくれ」
僕は、件のサイト――爆龍の事件を蒐集しているサイトを善太郎に見せた。
「これは――爆龍の犯罪をまとめたサイトか。ふむふむ。――王論宗? 確かに、名前に『王』が入っているな」
「そうだ。一見関係ないように見えて――もしかしたら関係あるんじゃないかって思って」
しかし、善太郎は僕の考えを――否定した。
「まあ、中国人で『王』という名前は日本でいうところの『田中』くらいありふれている。考えすぎだ」
矢っ張り、考えすぎだろうか。――ここは、一旦「王論宗」のことは忘れることにしよう。
*
結局、それから善太郎が独自で蒐集した資料を見せてもらったが、事件の解決に繋がるようなモノはなかった。それどころか――事件は混迷を極めようとしていた。
僕が恐れているのは「模倣犯」の出現である。一度模倣犯が現れたら、事件の解決は一気に困難になってしまう。それを防ぐためにも、僕にできることはあるのだろうか? いや、ないのか。
これ以上善太郎に迷惑をかける訳にはいかないので、僕はさっさと善太郎の事務所から踵を返すことにした。
「また、何か分かったら連絡してくれよな?」
「分かっている。――でも、分かることってあるのか?」
「うーん、それはエラリーの心構え次第だと思うぜ?」
善太郎にそう言われてしまうと、僕は――どうしようもない。そんなことを思いつつ、僕はエレベーターに乗って――1階まで降りていった。
せっかく京都まで来たのなら、どこかに寄るべきだろうか? そう思ったが、矢張り外国人まみれだと碌に「行こう」と思わない。仕方がないので、僕は京都河原町駅から特急に乗り込み、十三まで『八つ墓村』の続きを読んでいた。
やがて、特急は十三へと着いた。ここから神戸線に乗り換えて、西宮北口でまた乗り換える。――『八つ墓村』は一番いいところで栞を挟まざるを得なくなった。どうせ西宮北口から芦屋川までは2駅しかないのだから。
アパートへと戻ったところで、なんとなく――仁美のスマホにメッセージを送信した。
――さっき、善太郎に会ってきた。
――アイツもアイツなりに色々と悩んでいた。
――あれから、仁美は善太郎と連絡を取っているのか?
メッセージに対する送信は、すぐに来た。
――もちろん、明智先輩とは連絡取ってるわよ?
――ただ、最近元気がなさそうなのは確かだったかも。私からできることなんて、限られてるからね。
――でも、私は……明智先輩の力になりたい。それは後輩として当然のことだと思うのよね。
――そうだ、久々に『絡繰屋敷の殺人』でも読もうかしら?
そこで僕の黒歴史――もとい、処女作を読んで何かが分かるのか? いや、分かるわけがないだろう。とはいえ、仁美の言い分も分かる。多分、心のどこかで「この事件から逃げ出したい」と思っているのだろう。
でも、事件から逃げ出したところで――事件はストーカーのようにまとわり付いてくる。なんというか、容赦がないのだ。
――ストーカー? ああ、そういうことか!
そのことに気付いた僕は、綾瀬刑事に連絡した。どうせ脈ナシだろうと思ったが、あっさりと連絡を取ることができた。
「綾瀬刑事、僕だ。――江成球院だ」
「ああ、江成くん。急にどうしたの?」
「この半年間に発生したストーカーの事案を調べてくれ。そこで何かが分かるはずだ」
「ストーカー? ――なるほど、そういうことね。とにかく、すぐにストーカー事案について調べるから、ちょっと待っててくれる?」
そう言って、綾瀬刑事は電話を切った。多分、今からストーカーに関する調書を閲覧するのだろう。
綾瀬刑事の調査を待っているのも暇なので、僕は――とりあえずダイナブックで小説の続きを書くことにした。
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