幽霊な君と、幽霊みたいな俺
@nekonotete
第1話 如月春夏①
転校は唐突だった。両親は昔から仲がとても悪く、俺が高校に入って少ししたあと、離婚をすることになったのだ。
その原因の一つに俺という存在もある。たまたまできてしまった子。望んで生まれて来なかった子。そういう話を何度か聞かされたことがあったから。
それ自体には何も思わない。ただ無責任な人だなと思っただけで、それだけだ。
問題があるとすれば、親権のこと。それを押し付け合って、結局母親になって、その母親も俺には愛情なんてものはなくて。
だから遠い親戚の元に預けられることになった。見兼ねたその人が俺を引き取ってくれたから俺は施設に送られることはなく、暮らすことができている。
ただまぁ、そのおかげで高校も転校することになったんだけども。高校で途中から加われば待っているのはぼっちというものなのだけど。
「……」
一人、帰路に着く。それらはあくまでも過去のことでこれからのことではない。だから気にしても気に病んでも仕方のないことなのだ。先のことを考えなければならない。
人並みに勉強して、人並みに努力を重ねて、人並みに働いて、人並みに死ぬ。それができれば充分幸せだと言えるだろう。そんな人間に俺はなりたい。
「……」
いつもの帰り道。十字路の角には駄菓子屋があり、ここを曲がることなく真っ直ぐ行けばやがて家が見えてくる。漁師をやっている親戚の叔父は俺が帰って少しすればもう寝てしまうだろう。
だが、その日はなんとなくその十字路を左に曲がってみることにした。ただの気まぐれだ。そこを曲がったとしても、結局家に着けることは道の形から知っていること。ほんの少しの気まぐれでほんの少しの遠回り。
いつもと違う風景は新鮮味を与えてくる。見えてくるのは木造の古びた家ばかりだけど、知らない道は非日常を感じさせてくれる。
もしも。
もしも、俺が生まれたのがこの木造の家たちのどこかだったら。
そうすれば、もう少し違った人生を歩めていたのかもしれない。そんなことを考えながら。
「……」
曲がったところからしばらく進み、今度は右に曲がる。このまま真っ直ぐ歩き、どこかで右の道に戻れば家も見えてくるだろうなんてことを考えながら。
「……」
だが、右に曲がったところで人の姿を見つけた。
白いワンピースを身に纏った女性。顔立ちから俺とそう変わらない年齢の少女。だが見かけたことはない顔。
怪訝に思いつつ、その横を通り抜ける。何故か少女はじっと俺のことを見つめていて、俺も目を逸らす義理はないから横目で見ながら横を抜ける。まさにギリギリの勝負。
「……」
「……」
「……」
「……」
もはや、どちらが先に目を逸らすのかという勝負。しかし、この勝負は俺の負けが確定している。何故ならば俺は顔ごと少女に向けることはしていなかったのだが、少女は顔ごと俺の方へ向けていたから。人間の構造的に首を動かさなければいずれ視界から消えてしまうのは分かりきっていた。
横を抜ける。少女は最初、無表情だった。しかし俺がずっと見ていることに驚いているのか、横を抜けるときには口を大きく開けて唖然としている様子だった。
……いや、どっちかっていうと唖然としたいのは俺の方なんだけど。見ず知らずの相手にそこまでガンつけられたことは今までないし。
まぁ、文句を言うつもりもない。俺は黙って横を通り抜け、歩いた。
「あのっ!!!!!」
「へ!え、あ、うわっー!」
体がびくっと反応して、急いで振り返る。随分情けない声を出してしまった気がするけど、いきなり後ろから耳をつんざく勢いで叫ばれたらそうなるだろう。
「あ、ご、ごめんなさいっ!大きな声を出して……声……やっぱりっ!!!!!」
「ひっ……!」
やけに声がでかい少女は次の瞬間、俺の眼前まで迫っていた。そしてそのまま俺の手を握り締め、顔を近付ける。視界いっぱいに少女の顔が広がっていた。大きな瞳はちょっと間抜けな俺の姿を映していて、その口元には少しの笑みが浮かんでいる少女の姿が。
「見えてるんですよね?」
「見えてるって……何が?」
「やっぱり……私の声、聞こえてるんですねっ!良かった、やっと見える人に会えて……本当に良かった……」
一体なんなんだと思いつつ、俺は随分奇妙なものを見るように少女のことを見ていたと思う。
「……幽霊?」
「そう、幽霊なんです。私の姿、他の人には見えないようで」
「そりゃあ……大変なことで」
「その眼は人を信用していない眼ですよ。人、いや……幽霊を信用していない眼ですよ」
それから少女は自身の境遇を話し始めた。気がついたらここにいて、自分がどうしてこんな姿になったのかは分からないということ。どうして幽霊になったのか分からないということ。この道で長い間、見える人を探していたこと。
たまたま通りがかった俺が見えているようだったので、大きな声を出してしまったこと。
それらを話し、今はようやく少し落ち着いたところだ。
「幽霊なんていきなり言われても、大体の人は同じ感想になると思うけど」
「そう、そうなんですよ。それはもう私も分かりきっていることなんですけど。でも証明することは簡単ですよ?その辺りを歩いている人に、私が話しかけてみれば良いだけなので」
確かにその通り。証明自体はそれですぐにできるだろう。
だが、第一俺は少女の話を半分くらいは信じていた。もう半分の信じていない部分は、幽霊なんていないというなんの根拠もないものだけで。
だって、今は冬だ。雪なんて降っていないが、それでも着込まなければすぐに風邪でも引いてしまいそうなくらい寒い冬。だというのに、少女の服装はワンピースという夏にこそ着るものだったから。真冬に道のど真ん中で立ち尽くすには難しい格好だろう。
「いや、いいよ。信じるから」
それよりも何よりも。この際、信じる信じないはそれほど重要なことではない。俺の心臓を脅かすのは幽霊なんてものではなく、息がかかるほどに顔を近づけて力説する少女の方だ。
……あれ、でも少女は幽霊なのだから結局は幽霊に心臓を脅かされていることになるのか。
「本当ですかっ!それなら良かったです、安心です」
「……それじゃあ」
俺は言いながらその場を後にしようとする。だが、軽く手を上げて背中を向けた俺の襟首を少女はすぐに掴んだ。俺は猫か何かか。
「ここからが本題なんですよ!えっとですね……あ、その前に」
「私は|如月(きさらぎ)|春夏(しゅんか)……季節の春と夏で春夏と言います。あなたは?」
二月……冬に春に夏。秋まで入ればコンプリートといったところだろうか。そんな失礼なことを考えながら俺は返答する。
「じゃあ山田太郎で」
「あの」
頬を膨らませ、如月は抗議の意を示す。
「確かに適当に今考えた偽名っぽいけど、実在するだろ。人に信用していないとか言うわりに自分は信用していないじゃんか。今の結構ショックだったぞ」
「……う、確かにその通りですね。私、早とちりしてしまって……すみませんでした、山田さん」
本当に申し訳無さそうに如月は頭を下げる。それもしっかり90度と言ったところだろうか、育ちの良さが伺える。
「いや、俺の名前山田じゃないけど」
「……むぅ!」
先程よりも更に頬を膨らませて如月は抗議する。こいつはフグの生まれ変わりか何かなのだろうか?
「山田さん、酷いです」
「だから山田じゃないって」
「いいえ、山田さんです。今からあなたは山田さんです」
どうやら予想以上に怒っているらしい。顔を俺から逸らし、腕を組み、誰がどう見ても不機嫌な様子である。
「|相馬(そうま。相馬|幽弥(ゆうや)。幽霊の幽に弥生の弥で幽弥だよ」
「おお!もしかして、その名前だから私が見えるのかもしれませんね!」
すると、如月の機嫌はすぐに治って俺に向けて言う。そんな安直なことがあるのかは疑問だが、ひとまず機嫌が治ったのならよしとしよう。
「たまたまだろ」
「そうですかね?」
人差し指を口に当て、首を傾げる如月。俺と如月の間に奇妙な沈黙が訪れる。
「……で?」
「はい?」
「だから、それで?本題がどうたらって言ってただろ」
「あ、そういえばそうでしたね。名前の話で盛り上がってしまったので忘れていました」
今のは果たして盛り上がったに入るのかどうか疑問だが、ツッコミを入れていたらいつまで経っても話は進まなさそうだ。俺はツッコミたい気持ちをぐっと堪え、如月の話に耳を傾けることにした。
「私、どうして自分が幽霊になってしまったのかを知りたいんです」
「どうしてって、自分が一番良く分かってるんじゃないの?」
「いいえ、記憶がどうしてかツギハギのようになっていて。名前や多少のことは覚えているんですが……幽霊になってしまった理由が分からないんです」
なるほど、つまりそれを知るためにずっとここで人を探していたのか。自分の姿が見える協力者を。
「ここも……この辺りも、覚えています。それだけなんです」
如月は周囲の景色を眺める。思いに耽っているのか、どこか遠い目をしているのが印象的だった。
長い黒髪は風に靡いて揺れる。季節外れの白いワンピースがはためく。少女の幽霊は自分のことを探している。
答えなんて、決まり切っていた。
「悪いけど他を当たってくれ」
もちろんお断りである。だって、普通に暮らして普通に生活して普通に人生を送るという俺の目標からそれは大きく外れてしまうことだから。幽霊と一緒に死んだ理由を探すなんて、普通の人ならば経験することではない。それをしてしまえば、普通ではない奇特な人生を送ったということになってしまう。
「この流れで断るんですかっ!?」
「どんな流れだよ……だって俺にメリットないじゃん」
「もしかして相馬さん、極悪人ですか?」
「頼み一つ断ったくらいで極悪人扱いするなよ……俺以外にもいるかもしれないだろ、如月のことが見える奴が」
「それは……そうかもしれませんが」
何かを言いたそうにして、如月は口を噤んだ。言いたいことは分かっている、俺という見える奴を探すのにも相当な時間がかかったのだろう。そしてそんな奴が次、いつ現れるかなんて分からない。すぐに見つかるかもしれないし、長い間見つからないかもしれない。
だけど黙った。言いたいだろうに、如月は黙ってその言葉を飲み込んだ。
「さっきも言ったけど、俺にメリットがないからな」
俺は再度そう告げる。如月はワンピースの裾を少しだけ強く握り締めていた。
「……」
心の中でため息を吐く。もしかしたら少しだけ声に出ていたかもしれない。
「俺にメリットがないから、俺は手伝わない」
「……だったら、メリットがあれば手伝ってくれるんですか?」
「メリットがあったらな」
俺が言うと、如月はしばし考え込んだ。今度は口元を手で覆い、必死に思考を巡らせている様子が見て取れる。
「あります」
やがて、如月は口を開く。そしてそのまま続けた。
「見たところ、相馬さんは私と同じ学生ですよね」
同じ、と言われると少し語弊があるが。幽霊にも果たして学生という称号があるのかは不明だが、見た目の通りで行けば同い年くらいなのだろう。
「学生が抱える最大の問題を私は解決できます」
「というと?」
如月はゆっくり、ゆっくりと口を開く。自信満々に、これでチェックメイトだと言わんばかりに。
「定期的に行われるテストの答えをこっそり教えることができます。私の姿は相馬さんにしか見えていないようなので」
……別に俺、バカじゃないんだけどな。もしかして俺ってバカそうに見えているのかな。
「赤点回避できればいいし、困ってないんだけど」
「じゃ、じゃあ……じゃあですね、そうですね、ええと」
俺の返しが予想外だったのか、如月は見て取れるほどに慌てふためいていた。そして再度必死に思考を巡らせ、また口を開く。
「今日の晩御飯の内容もこっそり見れますし、学校でされる噂話をこっそり聞くこともできますし、明日の天気もこっそり確認してこっそり教えることができます!」
捲し立てるように如月は言う。果たしてそれらがメリットだと言えるのだろうかは疑問だし、なんなら明日の天気なんて今の時代、携帯を開けばすぐに確認できてしまう。
「ど、どうですか?」
これは多分、気まぐれだ。俺が今日、こうして別の道を進んで如月と出会ってしまったような気まぐれ。
ほんの少しの遠回り。今日という日で見ればその選択は長い遠回りになってしまうかもしれないが……人生という長い道のりで見ればそこまで大きな遠回りではないだろう。
それこそ、今日の気まぐれくらいには。
「分かったよ、手伝う」
「本当ですかっ!!!!!」
「でも、最初に言っておくけど何も分からなかったとしても恨むなよ。幽霊に恨まれるとか一番怖いから」
「もちろんですっ!恨みも妬みも嫉みもしませんっ!」
俺の手を両手で握り、また顔を近づけて如月は言う。眼前には如月の大きな瞳と薄く染まった頬、桜色の唇が広がっていた。
本当にそれだけは止めて欲しいと願いながら、俺は如月の手を振り払って顔を逸らす。
兎にも角にも、こうして俺は幽霊の死因を探すという遠回りをすることになったのだった。
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