第10話2024年9月

 千弦はそっと倉庫の扉を開けた。まず目についたのは、麻袋に入った大量の葉だった。

「アヤワスカだ。儀式に使うんだよ」

 颯真が千弦の視線を追って答えた。

「しかし本当に証拠部屋なんだな。麻矢さんはこのVHSの山の中から見つけたわけか」

「その映像なら俺宛ての手紙に、入ってました。けど、それ以外のこれ何ですか。靴とか、ヘッドフォンとか事務机とか。ゴミにしか見えないけど」

「さあ。鍵を持っているのは幹部のうちでも、教祖二人と、リアムさんぐらいだろうし、アヤワスカ以外はその三人の誰かの持ち物だろ」

 颯真がそう呟いたとき、外から高速のモーター音が聞こえた。「うわ、まずい」と颯真が扉を閉めるより少し早く、男が入ってきた。

「宮下、お前何やってるんだ。そいつは誰だ」

 この男は敵だ、と頭より体が反応し、颯真が、「違うんです、古田さん」とまごついている間に、千弦は回転した後ろ足で、古田の横面を蹴り倒した。派手な音をたててくずおれた古田はそのまま気絶したようだった。

「本部の場所を知っているか?」

 千弦は呆然としている颯真に言った。

「ああ。場所なら」

「連れていってくれないか」

 颯真は断りにくそうに、「ああ」と了承した。外はもう明るく、客の声もし始めていた。二人はボートに乗り込み、ホーンテッドエリアとシーエリアをつなぐ橋の下までくると、颯真がたもとの扉を開けた。ボートでそのまま扉の奥に続くレーンを進む。今度は千弦が呆然としてしばらく進むと、薄暗い船着き場のような場所へ出た。すると、向こうからもボートがやってきた。千弦と颯真が警戒していると、向こうからやってくる二つの影が手を振っているのがわかった。それはよく見ると、レイラと明凛朱だった。

「望月こんな所で何してるんだ?」

 千弦は船着き場へ降り立った明凛朱に素っ頓狂な声で聞く。

「こっちのセリフだよ」

「君が陽乃さんの……」

「はるの? 私の母はひのですけど」

 明凛朱は千弦と颯真の顔を交互に見比べ言った。

「いや、君は双子の妹の子だ」

「ねえ、そんなデリケートな話をあなたがすることじゃないわ」

 レイラは少し濡れてしまった靴を忌々しそうに一瞥してから颯真の腕を引っ張った。

「え、レイラさん、どうやって抜け出したんです?」

「明凛朱さんに助けてもらったの」

「違いますよ。助けたのは僕のほうで……」

「わかったから、行きましょう。あなた達もそのつもりでしょう」

 不思議なめぐり合わせだと思いながら、千弦は先を行く明凛朱を見た。洞窟のような造りの道で、前方が見通せない。水滴の滴る音以外聞こえない。レイラが異母妹なら、明凛朱は何なのか。ふと、彼女の手元を見ると、ライトが握られていた。ここにいるということは、明凛朱も手紙を貰ったのか。そうだ、彼女は少し西洋の血を感じさせる顔立ちだ。なら、彼女の父親は、教祖の――。

「分かれ道だ」

 颯真が唐突に言った。千弦は考えるのをやめて、立ち止まる。

「私達は右手に。明凛朱さんは、千弦さんと左手に、知り合いのようだしね、いい?」

 年下のはずのレイラは、てきぱきと決めて振り向いた。

「わかった」

 千弦は明凛朱が頷くのを見て、言った。


 崩壊は近い、そんな気がする。京一は本部の一室で、過去のパーク内の防犯カメラを見ながら、ここ最近増えた私服警官を眺めてそう思う。今頃になって、あの埋めた子供の骨が見つかったのだ。数週間前の記事を思い出す。アレックスは知っているのだろうか。いや、知っているのだろう。だから同じようにこうして隠れているんだ。意味もなく。

「誰だ」

 微かな足音に、扉を凝視する。ついに、か。だが、恐るおそるといった調子で開いた扉から覗く顔に、京一は動けなくなる。

「千弦?」

 一瞬目を丸くした千弦は、後ろの少女に小声で何か言った。少女は京一をちらと見て、小さく頷くと奥へ歩いていった。

「おい、そっちはアレック……」

「あんたが、俺を捨てた父親か?」

 京一ははっとした。そうか、自分では信者に写真を撮らせたり、様子を見に行かせて千弦の成長は知っていたつもりだが、彼からしたら捨てられた以外のなにものでもないのだ。

「そうだな。だが、ずっと見守っていたんだ。でなきゃ、成長したお前が一目で誰かわかるはずないだろ」

「なんだ、それ」

 その通りだ。京一は思い出す。躁鬱病の妻が、この団体に入れ込んだ時のことを。

「母さんの具合はどうだ?」

「どうだと思う」

「質問に質問で返されるのは好きじゃないな」

「何かに答えたことあるのかよ」

 そうだな。京一は思い出した。面と向かって答えたことはなかったこと。妻に離婚を拒否されたときも、あの震災にかこつけて、アレックスのもとへ来たときも。

「どうして? 千弦を捨てるっていうの? 私も捨てるっていうのね。なぜ? 何か言って。わからないでしょ、あの団体のこと? あれはあなた達のためにやってることなのよ。あなたは何も言わなかったじゃない」

 確か妻はそんなことを言っていた。その後は弁護士をいれてしか、話していない。それも、京一が行方をくらまして生死不明となるまでの話だ。

「どうして俺を捨てたのかぐらい答えろよ」

 千弦はそう言った。小さいときに一度、会いにいったが、覚えていないらしい。「だあれ」と幼い千弦は言った。道端で一人で遊んでいて、危なっかしかった。誰も見ている人はいなかった。「パパだよ」そう言うと、宇宙人だと言われたような顔で見上げたものだった。

「レイラが産まれて、あの子の母親が全ての記憶を失ってしまったからだ」

 千弦は何かを言い返そうとしているようだったが、何も言えずに口をつぐんだ。そこへ、慌ただしい足音がして、息を切らせた陽乃が駆け込んできた。千弦は身を引いて、陽乃と京一を見比べる。

「思い出した……」

 陽乃はか細く、息を整えもせず言った。

「思い出したわ。あの子は、明凛朱が来たんでしょ、どこ」

 今度ははっきりと、京一と、それから千弦に問いかけた。千弦は反射的にか、きつく見つめられて、少女が歩いていったほうを指差した。陽乃はまた、無言で駆けていった。陽乃の記憶が戻った。さっきのあの子が、明凛朱――。京一は「終わりがくる」と独り言を言うと、千弦に「すまなかった」と呟いた。そして小さな鍵を取りだすと、千弦に歩み寄り、硬直している彼の両腕を掴んで、

「いいか、その鍵をもっているなら、倉庫を知っているな。そこの事務机の鍵だ。中の物はお前のものだ。これを持って、ボートに戻れ」

 と、それだけ言うと、陽乃を追いかけていった。


 レイラは颯真とともに奥へ歩いて、ある部屋へたどり着いた。台所のようで、火にかけた鍋から湯気が立っている。

「アヤワスカ茶だ」

 颯真が言うと、シンクに置いてある紙コップに少しすくいだした。

「なにしてるの」

「前から飲んでみたくて。ちょっとだけ」

 しかし、濁った焦げ茶色の液体を口に含むと同時に、吐き出した。

「おえ。土、いや泥の味だ。うえ」

 レイラはそんな颯真を横目に、扉の奥の部屋をそっと覗いた。円になった数人が、各々独り言を言っていたり、笑っていたり、泣いている。

「儀式の間ですね。幻覚をみているんですよ。あ、あの人」

「どうしたの」

 颯真が一人の男を指差した。

「知事ですよ。古田さんが連れてきたんだな」

 悦に入った表情の男は、虚空へ向けてニヤニヤすると、そのまま突っ伏した。

「レイラ、来てしまったの……」

 突然背後で声がして、振り返る。イザベラがぼんやりと立っていた。

「ママ……」

 レイラの呟きに、くしゃっと、悲し気に笑うと、イザベラは、

「麻矢に聞いた?」

 と尋ねた。

「何を」

「私はあなたの本当のママじゃないの。あなたの両親は、陽乃と京一よ」

 レイラとイザベラは黙って見つめあった。

「奥さん、どこですかあ、イザベラさん」

 知事の男が近づいてきた。イザベラがレイラと颯真を台所へ引っ張ると、

「はあい、今行くわ」

 と儀式の間に向かって言った。

「もと来た道を帰りなさい。見逃してあげるから」

 イザベラは二人に囁くように話した。颯真はレイラの袖を引っ張り踵を返す。

「レイラ、それでも愛してるわ」

 イザベラの声が背中に囁いた。


 明凛朱は初めて父と向き合っていた。ポケットにしのばせたスマホの録音機能をオンにする。

「あなたがアレックス?」

「そうだ」

「私が誰か知ってる?」

 アレックスはニッコリ笑った。

「リアムから聞いたさ。何もかも全部。君が明凛朱だね。うーーん、陽乃似だね」

 明凛朱はそこから先、どう続けていいかわからなかった。今まで父親はいないと言われていて、母だと思っていた人も本当は叔母だという。そんなことがわかって、反抗する気持ちもあって、会いにきた。麻矢の手紙を見る限り、関わらないほうがいいとわかっていても、一度見てみたいという好奇心に負けた。それに、ひの、もう一人の母のこともある。もし、うまくいけば、治療費を助けてもらえるかもしれないという打算もあった。だが、実際に麻矢が送ってきた映像通りの場所を目にして、そんな気も失せた。そして、目の前の父はそんなことが言える雰囲気ではなかった。

「わかるよ。僕の子なら君は説教しにきたんじゃない。ずいぶん生活が大変だと聞いているよ。心配しなくていい。僕の父の遺産、もちろん僕にも分けてもらうつもりだ。そしたら君にもあげよう。それから君の本当の母親だが、実は彼女の記憶を消してしまってね。黙って君を姉に預けたりするものだから。でも悪いことをしたと思っている。これからは家族仲良く暮らそうじゃないか」

 アレックスは明凛朱のポケットを注視して言うと、突然声音を変えて、

「なんて、言うと思ったか」

 と唸るように呟いた、その瞬間、明凛朱に襲いかかってきた。すんででかわし、手近にあるものを投げつける。

「余計なことをしてくれたな、麻矢も。だが僕はこの王国を諦めない。そのためなら自分の血が流れてようが、関係ない」

 アレックスに強打され、明凛朱は倒れ込む。首が締め付けられる。まずい、もうダメかも

 ――。そう思ったとき、ふっと重圧が軽くなった。見上げると陽乃が、花瓶でアレックスを殴ったようだった。花瓶を放った陽乃が、明凛朱を抱き起した。母と瓜二つの、本当の母を見つめた。そこへ、京一が入ってきた。状況を確認すると、「二人ともボートへ」と言った。

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