第25話 久佐賀という男

龍泉寺町のお店はたたまなければならなかったし、仕入れた商品の処分や新しい転居先のための費用等々事情が切迫もしていた。威勢のいい広告の文面に頭の中を痴らけさせたかのごとく、また「ええい、イチかバチか、訪うのもよかろう」とみずからを叱咤した挙句の訪問だったが、しかし案の定というか、危惧した通りに足元を見透かされ、のみならずとんでもない提案をも受けることになってしまったのだった。始めて対面した久佐賀という男は至って得体の知れないところがあった。前に妹の邦子といっしょにやはり菊坂旧居近くで蓮門教(れんもんきょう)という看板を掲げていた二十二宮人丸なる人物、行者を訪(おとな)うたことがある。邦子は怪しがって「ここで待ってる」と云って中に入らなかったがその時はその邦子の直感が当たっていて、まことに取るに足らない、俗に云う「町の拝み屋」に尽きる人物だったのだ。神水だの法華経だの、果ては難解至極な言葉を羅列しては信者(=金の貢者?)を欲しがるだけのつまらない男だった。あらぬ欲望さえもが感じられもした。経験は生かして使えで、かすかにその時のことを慮っての邦子を連れぬただ1人での訪問でもあったのだ。ところがこの久佐賀という男はその一葉の魂胆を見透かした、いや瞬間で見抜いたかのごとくに一葉と対応したのである。実際その眼差には尋常ならざるものがあって、どこか嘘のつけない洞察力というか、相手の心の在り処いかんを捉え得る能力があるとも見えた。12才年上ということもあるだろうがとてもそれだけではない、その方面でのもともとの才能と、経て来た何某(なにがし)かの鍛錬、または習得した学問の力とでもいうものが感じられた。

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