第5話 息子の存在 4月28日改稿

 ファイは自宅に戻ると、キャビーを仰向けにして絨毯の上で寝かせた。



「キャビーちゃん……」


 

 トッドや、アイネに対して。

 そして、実の母親に対して。



 笑いもしなければ、泣くこともない。

 顔を背けてしまうのが殆どだ。



 キャビーを知る村民や、兵士たちはこの子を「普通」では無いという。



 普通。何が普通なのだろう。何が普通では無いのだろう。さっぱり分からない。普通では無いのなら、この子は一体何だと言うのだろう。



『悪魔を生んだ女』



 そのようなタイトルの小説を、ファイはつい思い出してしまった。



 エミラスの聖女と呼ばれた女性から生まれた子供に、角と鱗、それから尾を持った子供が生まれた──そんな実話。



 聖女はその子供を愛し、その子供に命を奪われる悲しくも切ないお話。



 首を振る。



 キャビーは、決して悪魔では無い。



 ファイは、箱に入った玩具を幾つか取り出した。一度も遊ばれた形跡のないそれらを、今一度キャビーに手渡してみる。



 トッドや、その他の村民から譲り受けたものや、王都で流行っていた玩具だってある。「普通」の子であれば、何かしらの反応は示してくれる筈。



 しかし──



「いらない? こっちはどう……? 駄目? じゃあこれは──」



 ボールや縫いぐるみ、ガラガラなど、キャビーは一切興味を示さない。



「ど、どうして!? 貴方は何が好きなの……?」



 凄く困った。



「お母さんに教えてくれない?」



 何かで遊んでいてくれないと、家事や炊事の度に、キャビーが何処かへ行ってしまう。そうでなくても、これでは心配だ。



 生えたばかりの綺麗な白銀の髪。頬は柔らかくて、サラサラしている。くりっとした青い眼はファイにそっくりだった。



 普通かどうかは兎も角として、他の子供と違うのかと云われれば、確かに違うのかも知れない。



 トッドの娘──アイネを抱いたことがあった。当時は1歳だったけれど、今は立派に成長して3歳になる。彼女はトッドの顔をよく理解していた。トッドの顔を眼で追い、ファイが抱いた日には、直ぐに泣き出してしまった。



 しかしキャビーは、誰に抱かれようとも何をされようとも、泣くことはなく、表情すら殆ど変えない。



 無感情なのかと云われれば、決してそうではない。時折一人でにブツブツと口を動かしたり、頬を緩めているのを見たことがある。



「お、お母さんよ。キャビーちゃんは、勿論……! 私が分かるわよねー?」



 表情が変わらないのであれば、口元や眼の動きを注意深く観察してみる。



 睨まれている気がした。



「わ、分かるよねー……あ、鼻水出てる」



 タオルで鼻を拭き、キャビーを抱きかかえた。



「お夕飯までまだ少しあるから、やっぱりお散歩にしよっか。お人形さん持ってく? あ、いらない? じゃあ、置いてきましょうね」



 寒くないようキャビーを毛布で包み、ファイはもう一度、家を出た。



 カタリナ村を覆い尽くさんと、空が赤く焼け始めている。風の音は低い唸り声を上げ、不気味な便りを村に運んでいた。



 キャビーは小一時間、ファイとの散歩に付き合わされている。



「キャビーちゃん、馬がいるよ。わぁ、おっきいわねぇ」



 兵士訓練施設の傍に、厩舎があった。



 ファイに抱きかかえられたキャビーは、大きな馬の顔に触れる。



 人間が長距離を移動する際に乗っている生き物だ。魔族だった時に見たそれは、酷く小さく見えたが、今はとても力強く大地を踏み締めている。



「うっ」



 すると、臭い息がキャビーの顔に吹き掛かった。



「ふふっ、ブサイクになってるよ」



 臭い。あまりにも臭い。キャビーはファイの胸に顔を埋めて、馬の匂いを断った。



「あーごめんごめん。お馬さん大きいもんね、怖かったよね?」



 やはり全然伝わっていない。

 彼女は少し、察しが悪いのかも知れない。



「私、乗馬ってしたことがないのよねぇ。今度言って、乗せて貰おうかしら。乗せてくれるかなぁ。ね、乗せてくれると思う?」



 ファイはキャビーを覗き込むと、裏声混じりに陽気な一人芝居を始める。



「うん、乗せてくれるよ。お母さんなら」



「ホント? じゃあ、キャビーちゃんも一緒に乗ろうねー。あはは」



 そうやって、ご機嫌な様子で歩き去るのだった。



 厩舎の裏手に回り込むと──



 3人の獣人と遭遇した。彼らはファイに気付くと、直ぐにその場から散開する。



 何かを話し込んでいたらしい。



 彼らの耳には大きな穴が空いており、そこに札がぶら下がっている。



 <札付き>と呼ばれる、奴隷の証だ。



 アルトラル王国の奴隷は、その殆どが獣人で占められる。人族にとって、彼らは魔族と同列に語られているのだ。



 魔族と一言で云っても、かなり大雑把に分けられる。どの種族を主観とするかでも変わってくる。



 キャビーにとっては獣人は、人族に変わりない。だが、人族はというと、肌の色が違うだけで魔族と断定する場合もあった。



「姿形が違う魔族と、同じ姿しか認めない人族。2000年以上前は、互いに手を取り合っていたって信じられます? ギィ兄様」



 ネィヴィティは、以前そのように話していた。



 当時も今も、そしてこれからも、人族とは分かり合える気がしない。分かりたくもない。



 馬の世話を任せられた3人の獣人は、ファイとキャビーを歓迎していない様子だった。



 タイミングが良くなかったらしい。



「あのぉ、貴方達」



 だが、ファイは警戒心の欠片もなく、奴隷達に近寄ると、声を掛けた。一方で警戒心を露わにしている獣人は、いざとなれば殺してしまおう、かと言わんばかりに牙を剥く。



 密談していたことを咎められれば、不都合が生じる。その内容を聞かれていれば、もっと不味い。



 彼女らの心配を他所に、ファイは続ける。



「こちらのお馬って、乗せて貰ったり出来るのかしら」



「……はい?」



 突拍子もない発言に唖然とし、獣人たちは、互いに顔を見合わせる。



「あ、あはは。やっぱり駄目……かな?」



「い、いえ──」



 中でも、リーダー格の獣人が答える。



「駄目ではありませんが……此方は私達のご主人様が所有している馬になりますので──」


「な、なるほど……」



「ご主人様のご許可を頂く必要が御座います。ですが、私達からそれを申すのは……」



「あ、今じゃなくていいの! 今度、この子がもう少し大きくなったらで……その、ご主人様という方に聞いておいて貰えると。えへへ」



「は、はぁ……」



 言いたいことを言ったファイは、満足して散歩の続きを再開する。獣人からすれば、主人への交渉は自分でやるようにと伝えたつもりだったが……。



 ファイが去ったのを見て、再度獣人は集まった。



「<四神闘気>が来て下さるのは、隣国との戦争が終わってからだ。助けはまだ先になるな」



「その情報はどこから?」



「先日入荷した奴隷の内、本国からの密偵が紛れてた」



「わざわざこの程度の情報を届けに奴隷落ちしたのか……?」



「いや、向こうにもそれなりのメリットがあるらしい。トッドの『研究資料』とかな」



「それを奪ったところで、どうやって外に流すつもりだ?」



「詳しくは教えられないそうだ。村の外に出た時に、こっそり痕跡を残すとは言っていたが」



「つまり、同胞はその痕跡を見る為に、近くまで来るのか……もうそんなに傍に……」



「とはいえ、お咎め様の森だ。未知の原生生物が多過ぎて、数日も滞在出来ないらしいがな」



「そ、そうか──」



「俺たちに大事なのは希望を絶やさぬこと。恐らく殆どの奴隷が死ぬだろうが、残ったものが必ず成し遂げてくれる」



「その為にも、慎重に意思を繋いで行くんだ。<農園育ち>から情報が漏れるケースは多い。ゆっくり引き入れろ──」



「分かった」


 

 変わって──



 散歩を続けている最中、キャビーはついウトウトしてしまっていた。



 眠るのは赤ん坊の宿命なのだが、ふとした瞬間、奇妙な感覚に陥ることがあった。



 それは特に、今のような眠たい時──感覚が鈍っている時だ。



 母の腕の中はとても暖かく、そして心地良い。



 これも悪くない、そんな魔族としての決心が揺らぎかねない感覚。もしくは感情だろうか。



「あら、眠たくなったの? おねんねする?」



 ファイに頭を撫でられ、ついにキャビーは眼を閉じてしまう。彼女の呼吸が子守唄のように聴こえ、キャビーは丸くなって眠ってしまうのだった。




『作者メモ』


 悪魔を生んだ女についてですが、


 悪魔という概念があるにはあるのですが、ここでいう悪魔は魔族を指してます。


 因みに、人間にも魔族の血が流れているとか、いないとか……

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