第4話 母の存在  3月18日若干改稿

「──キャビーちゃんっ!!??」



 自宅の屋根の上──カタリナ村を見渡していたキャビーは、悲鳴のような叫び声を耳にする。



 下を覗いてみると、ファイが両手を口に添えて、あたふたしていた。



「えっ、登った? 登ったの!? いや、そもそもどうやって!?」



 彼女は彼に、「少しの間そこで待つよう」に告げ、納屋から梯子を取り出してくる──


 

 それを屋根に引っ掛けた。



 梯子を前に、決意表明とばかりに腕を捲る。ガタガタと揺れてしまう梯子を、彼女は慎重に登っていく。



「待ってて。待っててね。い、今……助けてあげるからね」



 息をするのも忘れ、ようやく屋根の上を覗けるようになったと思えば──



 そこにキャビーの姿は無かった。



「えっ、キャビーちゃんっ!? ど、どこに!? ──きゃあっ!?」



 動揺のあまり、梯子から脚を滑らしてしまう。幸い、高さは無かった為、地面に尻餅を付いただけで済んだ。



「はぁ、はぁ──っ」



 落ち着いたのも束の間、主人を失った梯子が、彼女目掛けて倒れ込んで来る。



「う、嘘……」



 咄嗟に右に転がって、梯子を避けた。



「あ、危なかった……うぅ、キャビーちゃん、一体何処に」



 立ち上がり、土を払う。そして、顔を上げると──



 縦に伸びる排水用のパイプに、キャビーが芋虫のように捕まっていた。



 ファイは、思わず絶句する。



「え、何……? それ……」


 

 状況を呑み込み、一先ず彼をパイプから引き剥がした。腕の中に戻って来た息子は、何食わぬ顔をしている。



 ファイは訝しんで、口にする。



「……えぇ? 赤ちゃんってそんなことも出来るの?」



「めっ、でしょ。落ちたらどうするの!?」



 言葉が通じない──と思っているファイはキャビーに対し、出来るだけ分かり易いよう顔を顰めてみる。頬を膨らませたりと、怒っていることを伝えてみる。



「むぅ、怒ってるよ! 怒ってるんだからね! ご飯抜きだからね……あ嘘、それは嘘。そんなことしないし」



「ふふっ、あはは」



 やっている間に、段々可笑しくなってファイは自ら笑ってしまうのだった。



 そんな彼女の姿を、キャビーは対照的に表情を作らず「何がそんなに面白いのか」、彼は彼で訝しんていた。



 彼女から逃げようと身体を捻ってみるも、しかし大人の力には未だ及ばない。



「こらこら、落ちたら大変でしょ。全く、元気な子ね」



 彼は、無愛想に顔を背けた。ファイはそんな彼の顔を追いかけるように覗き込み、聞いてみる。



「どうして逃げるの? お母さんのこと嫌い?」



 当然、キャビーの答えは「イエス」だった。



 人間が好きな魔族は居ない。あのネィヴィティでさえも、決して人間が好きな訳ではない。



 だが、今ここで頷く訳にはいかなかった。



 人間の子供というものは、どうやら1人で生きて行くことが出来ないらしい。母親か、もしくはそれに準ずる存在から、献身的な奉仕を受けなければ、簡単に死んでしまう。



 それを踏まえれば、ファイという女性は、とても都合の良い人間だった。



 今は未だ、彼女との関係にヒビを入れる訳にはいかない。



 但し、それはそれとして──「嫌い」かと問われれば、頷きこそしないが、首を振ることもしない。



 これは単に彼のプライドの問題である。



「お母さんは貴方のこと好きよ」



 すると、1人の男が近付いてくる。彼は、ファイが梯子を倒した時の音を聞き付けてきたらしい。



「ファイさん、凄く大きな音がしたけど大丈夫……!?」



 彼はトッドという名の、眼鏡をしたいかにも勤勉そうな男だった。



「あ、トッドさん。別に何も無いのよ。ちょっと転んだだけで」



 惨状を見て彼は、ちょっとでは無さそうだと思い──



「何とも無い……? 本当に?」



「本当に、本当よ! もしかして、心配してくれてるの?」



「え? あっ、そ、そりゃまぁ……あはは──」



「わぁ、優しいのねっ」



 無邪気な笑顔を向けられ、トッドは言葉を詰まらせる。キャビーからの強い敵意にも気付かない。



「ファイさん。あの、こ、今夜──」



「あら、アイネちゃんじゃない。こんにちは」



 ファイは彼の脚元を見て、そのように言う。



「えっ? ──あ、コラッ」



 トッドは娘のアイネが、自身の脚を掴んだことに気付く。更に、アイネを追って来た──獣人の女奴隷も現れる。



「なっ……!? お、お前たち」



 今年で3歳になるアイネは、父の声に気付かず、ファイの腕に抱かれた赤ん坊を見ていた。



 興味深々に、じっと彼を見つめる。



「コラッ、部屋に居なさいと言っただろ!! おい、奴隷!! お前は一体何をしているんだ!?」



「ご、ご主人様。も、申し訳御座いません。アイネお嬢様……戻りますよ」



 使えない、とトッドが吐き捨てる。まるで人が変わったようだ。



 獣人の女──奴隷は、何度も何度も謝罪を繰り返す。片耳に大きな穴が開けられ、そこに通された奴隷の証である<札>が揺れ動く。



「<一般奴隷>なら、しっかり見ていないか!! アイネ、お前もだ。家に戻りなさい!!」



「ちょ、ちょっとトッドさん……あ、あんまり怒鳴っては可哀想よ」



「……すいません、ファイさん。お見苦しいところを。しかし、これも躾なのです」



「でも……」



 アイネがすっかり萎縮してしまったのを見て、ファイはしゃがみ込んで、彼女を見つめる。



「アイネちゃん。ちょっとこっちおいで」


 

 アイネはファイを前に、少し恥ずかしそうにしている。何度も眼を地面に逃がして、ようやく口を開く。



「……な、何?」



「この子とは、殆ど初めてよね。キャビネットって言うの。キャビーって呼んであげてね」



「キャビー?」



「そう。今度──もう少しこの子が大きくなったら。是非、遊んであげて欲しいの」

 



「──ふーん。き、気が向いたら……ね」



「ふふ、ありがとう。キャビーちゃん、良かったね。遊んでくれるって」



 ファイはキャビーの小さな手を取って、横に振る。すると、アイネも手を振りかえしてくれた。



「じゃあ、私は夕飯の支度がまだ途中だから、戻るね。トッドさんも、今日のところは……」



「え? あ、うん……そうだね」



 名残惜しそうにファイを見送る。トッドの拳は、硬く握り締められていた。



『作者メモ』


 獣人に限らず奴隷は、耳に大きな穴を開けられて、札がぶら下げられます。当作品では、<札付き>と呼んでます。


 一部秀でた能力があれば、奴隷では無くなりますが、耳の穴は一生残るので、そういった人を<穴持ち>と呼んだりします。


 因みに以上の名称は、分かり易いように「奴隷」と呼ぶことが殆どです。つまり、覚える必要はありません。


 

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