第55話 モブ兵士、説得を試みる
魔族が繰り出してきた拳を、剣の腹で受け止める。魔力で強化された強烈な拳は、俺の体を大きく後方へ吹き飛ばした。
――――重たい……。
腕にジーンと痺れが広がっていく。魔力総量で言えば、グレーテルと同等。粗削りだが、その膨大な魔力を纏わせるだけで、やつの拳は脅威的な殺傷能力を手にしている。
「……一応訊いとくけど、あんたの名前〝ヘンゼル〟だったりしない?」
「っ! 何故僕の名前を……!」
「おっと……」
ヘンゼルはこちらをキッと睨みつけ、飛び蹴りを仕掛けてきた。俺は横に転がるようにしてかわし、ヘンゼルの足に向けて剣を振った。こいつには、聞きたいことが山ほどある。ここで討伐するわけにはいかない。まずは機動力を奪って、拘束する。
「チッ……!」
舌打ちをしたヘンゼルは、すぐさま翼を広げて空中に離脱した。俺の剣は空振りし、思わずため息が漏れる。飛べる連中は、これだから厄介だ。こうして空中に逃げられてしまうと、俺のように遠距離攻撃手段を持たない者は、手が出せなくなってしまう。
〝魔力領域〟を展開すれば、ヘンゼルの自由を奪うことができるだろう。しかし、ここは騎士団本部の敷地内。周辺には大勢の人がいるし、どんな危害を加えてしまうか分かったもんじゃない。故に、〝魔力領域〟を使うには、ここから離れる必要がある。
「それにしても……まさか本当にグレーテルに兄がいるとはな。って、その感じだと、姉か?」
「ふざけるな。僕は男だ」
「……マジ?」
グレーテルと同じ外見なのに、男? おいおい、プレイヤーの性癖をぶっ壊すつもりかよ。
「こっちの質問に答えろ……! どうして僕の名前を知っている!」
「知りたいなら、力ずくで聞いてみろ」
そう言って、俺は屋根から飛び降りた。一瞬驚いた様子のヘンゼルだったが、すぐに俺を追いかけてくる。追いかけて来てくれるのであれば、俺としてはありがたい。
俺は人気のない場所に移動すべく、ヘンゼルを連れて駆け出した。
「どこまで行く気だ……!」
空中から俺を追いかけるヘンゼルが、痺れを切らしたように問いかけてきた。
周囲は騎士団本部から少し離れた森の中。ここでなら〝魔力領域〟を展開しても余計な被害は出ないだろう。
「悪いな、付き合ってもらっちゃって」
俺は立ち止まり、剣を構え直す。チッと舌打ちをしたヘンゼルは、翼を畳んで地面に足をつけた。
「……待ち伏せはなしか。ずいぶん舐められたものだな」
辺りの様子を窺いながら、ヘンゼルが言う。待ち伏せを予想しながらもついてきたということは、それでも返り討ちにする自信があったからだろう。
「安心しろよ。あんたの存在に気づいてるのは、俺だけだ」
「……そうか。ならば、お前を生かしておくわけにはいかないな」
「俺を殺したら、多分グレーテルは助からないぞ?」
「っ……」
ヘンゼルの肩がピクッと動く。この反応を見る限り、やはりグレーテルを助けに来たということで間違いなさそうだ。これで色々とはっきりした。
「廃人化事件の犯人は、グレーテルじゃなくあんただ。グレーテルはあんたを守るために、罪を被ったんだな」
ヘンゼルは、口を噤んでいる。しかし、否定してこないということは、俺の推理は的外れというわけではなさそうだ。
「あんたら兄妹は、なんらかの原因で離ればなれになっていた。騎士団に協力する道を選んだグレーテルは、廃人化事件のことを知り、あんたが犯人だと推測した」
「……」
「最初にグレーテルが俺たちに協力的だったのは、あんたの居場所を知るためだ。そして再会したのが、キャバクラで働き始めた十日前のこと。それ以来、グレーテルはあんたを守るために、捜査を妨害し始めた。そして、最後は自分が犯人になって事件を終わらせるために、わざと捕まるように仕向けたってわけだ。……合ってる?」
「何を得意げになっているのかは知らんが、僕はお前の推理なんてどうでもいい。お前を殺すとグレーテルが助からないというのは、どういう意味だ」
得意げに語った推理に関心を持たれなかったことで、俺は少し肩を落とした。俺なりに頑張って考えたんだけどなあ……。
「……あんたが犯人だってことを知ってるのは、今のところ俺だけだ。俺が死ねば、グレーテルは廃人化事件の犯人として、数日以内に処刑される」
逆に俺がヘンゼルを捕まえて差し出せば、無実とまではいかないが、さすがに処刑は免れるはずだ。そしてエルダさんの手柄ってことにしてしまえば、解任の話もなくなるかもしれない。
「……お前は何も分かっていないようだな」
ヘンゼルは、そう言いながら鬱陶しそうに俺を睨んだ。
「ここでお前を殺し、僕がこの手でグレーテルを助け出せばいいだけのことだ」
「……無理だよ、あんたには」
「無理、だと?」
俺には、もうひとつの仮説があった。これを立証するには、もう少しこいつを追い詰めなければならない。
「仕方ねぇな……ほら、さっさと来いよ」
俺はわざとらしくヘンゼルを挑発する。それによってさらに苛立ったヘンゼルは、再び俺に向かって跳びかかってきた。
「死ね……ッ!」
俺の心臓目掛け、ヘンゼルは魔力を纏わせた突きを放つ。しかし、その手が俺の胸を貫くことはなかった。
「――――何故、抵抗しない」
俺はヘンゼルの攻撃に対し、なんの行動も起こさなかった。まさに俺を仕留められる絶好のチャンス。それなのに、ヘンゼルは俺の胸に触れる寸前のところで手を止めていた。
「……あんたとグレーテルを信じたからだよ」
廃人化事件は、不可解なことが多すぎた。
魔族の仕業であることは間違いないのに、死者がいまだにひとりも出ていない。被害者たちは日常生活もままならないほど無気力になってしまったが、命に別状はなく、やがては回復するだろうと言われている。犯人がただの魔族であれば、そんなことはあり得ない。魔族は、人を当たり前のように殺す。生かすなら生かすなりに目的があり、慈悲や優しさで見逃すなんてことは考えられない。
故に俺は、ヘンゼルに人を殺す意思はないと考えた。そして、人を殺さないのであれば、そもそも人を襲うことに意味はない。ならば、そこには何か
「あんた、誰かに
「っ⁉」
ヘンゼルの表情が、分かりやすく引き攣る。当てずっぽうだったが、どうやら見事に当たったらしい。この事件には、ヘンゼルとグレーテルを操っている黒幕がいる。
「グレーテルを助けたいのは、俺も同じだ。……教えてくれ。誰があんたらを脅してるんだ」
「っ、黙れ……!」
ヘンゼルは、様々な感情が入り混じった顔をしていた。怒り、焦り、悲しみ。
すでに彼は、それらをコントロールできなくなっているようだった。そうなってしまうほどに、黒幕によって追い詰められているということなのだろう。
「人間など信用できるかッ! さっさとグレーテルを返せ……!」
「……」
ヘンゼルの放った鋭い蹴りを、俺は体を反らしてかわす。このままでは話にならない。まずは戦闘不能にして、ゆっくりと距離を詰めるしかなさそうだ。
「――――〝
俺がそうつぶやいた瞬間、周囲に魔力が解き放たれた。
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