第14話 モブ兵士、追いかける

「急に〝魔術〟を使うなよ……心臓に悪い」


 騎士団本部を出た俺たちは、夕暮れの中を歩いていた。

 日が完全に沈んだら、捜査を開始する。それまでに、俺たちは捜査エリアにいなければならない。


「だってあの男、アナタに手を出そうとしたのよ? 妻として、アナタを守るのは当然でしょ?」


「確かに助かったけど、やりすぎだって……」


「あら、私が力加減を誤ると思ってるのかしら」


「……愚問だったな」


 特級の名を冠する勇者に、力の使い方を問うなんて、とんだ身の程知らずだ。


〝魔術〟というのは、魔力の扱いを極めた者に発現する固有の異能である。

 勇者として成り上がりたいなら、魔術の習得が必須条件。少なくとも一級以上の勇者は、ほとんど魔術の習得に至っている。

 ちなみにゲーム内の主人公アレンは、複数の魔術を習得できる特異な存在という設定なのだが、この世界では果たしてどうなるのだろうか……。

 

「アナタは疑っているかもしれないけど、私がアナタを愛しているのは本当よ? からかったらいい反応してくれるところも、世話焼きなところも……内に秘めた、底知れない強さも、全部大好き」


「……」


 カグヤの妖しい笑みを見ていると、すべてを見透かされているような気分になる。

 前世の俺は、二次元に恋をするような男だった。彼女なんていたためしがないし、告白されるどころか、自分からする勇気もない、そんなやつだった。

 はっきり言って、舞い上がっている。

 しかし、俺の立ち位置が、心の底から喜ぶことを妨げていた。


「シルヴァ、いつかあなたの本気が見たいわ」


「……そんな機会は、一生ないよ」


「ふふっ、それはどうかしらね。覚えておいたほうがいいわよ。〝強さ〟には、それなりの責任が伴うってことをね」

 

 そんな意味深な言葉を残し、カグヤはご機嫌な様子で俺の前を歩く。

 

 ――――責任、ね。


 まったく、嫌な言葉である。


「……そろそろいい頃合いだな」


 日が沈んだのを確認して、俺はつぶやく。


「でも、まだまだ街は賑やかよ? こんな時間に人を襲うかしら。もう少しのんびりしてもいいんじゃない?」


「俺もそうしたいのは山々だけど、先に人目につかないところを調べておいたほうがいいと思う。何かあったときに、すぐに駆けつけられるだろ?」


 人目につく場所に姿を現すような馬鹿なら、こんな大規模な捜査は必要ない。

 人を襲うときは、必ず暗闇や物陰を狙うはず。そういう場所を把握しておくことは、きっと無駄にならない。


「ふーん……? まあ、アナタと街を歩けるなら、なんでもいいわ」


「……一応仕事だから、真面目にやってくれよ?」


「もちろんよ。アナタを困らせたくないもの」


 こんなに分かりやすい嘘ってあるんだな。逆に感心するよ。


「ま、王都自体めちゃくちゃ広いし、俺たちの管轄に現れるって決まったわけじゃないさ。気張り過ぎずにいこう」


 そうして俺は、カグヤを連れて街の探索を始めた。

 


 周囲を見回しながら歩いていると、この世界がブレイブ・オブ・アスタリスクの世界であることを実感する。建物や、オブジェクト、そのどれもが見覚えあるものだった。

 

「……今夜は月が綺麗ね」


 傍を歩いていたカグヤが、突然そんなことを言い出した。

 元日本人として、その詩的な言葉に心臓が跳ねる。しかしここは異世界。〝月が綺麗〟という言葉に、他意はない。


「ほら、アナタも思わない?」


「……確かに、そうだな」


 夜空を見上げれば、そこには丸い月が浮かんでいる。

 実はこの世界の月は、膨大な魔力によって形成されている。月の光とは、月自体から漏れ出た魔力なのだ。

 それなのに、現実世界の地球から見る月となんら変わりないのは、なんだか不思議だ。



「で、急にどうしたんだよ」


「ふふっ……ねぇ、アナタ。私がもし、月から生まれたって言ったら、アナタは信じてくれる?」


「ああ、信じるよ」


「……え?」


 俺が即答するものだから、カグヤは目を丸くしてしまった。

 してやったりと思いつつ、わずかな罪悪感を覚える。

 公式設定を知っている俺は、カグヤの正体を知っている。

 国が秘密裏に行った月の魔力を集める実験の際、器という名の実験体として選ばれたのが、当時幼かったカグヤである。

 月の魔力に適応したことで、彼女は〝最強〟に成った。

 だから、彼女が月から生まれたというのも、あながち間違いではないのだ。

 ゲームのカグヤルートでは、アレンが実際に「月から舞い降りた姫」と例えている。幻想的な美しさを持つ彼女には、相応しい表現だと思った。


「……疑わないのね、私のこと」


「まあな。だって、お前が月から来たって思ったほうが、なんかロマンチックだろ?」


「ロマンチック……ふーん、そういう風に思ってくれるのね」


 カグヤは珍しく頬を赤らめると、顔を逸らしてしまった。

 初めて優位に立てたことで、俺は大いに喜んだ。


「あらら、珍しく照れてるじゃないですか」


「そうやって妻をいじめるのね……これがモラハラ?」


「妻じゃねぇし、意味も間違ってるし」


 そうして俺がツッコミを入れた直後、カグヤは真剣な顔つきを浮かべた。


「――――シルヴァ、少し止まって」


 突然、カグヤが俺に向かってそう指示した。

 大人しく足を止めると、かすかな生臭さを感じた。


「……なんだ、この臭い」


「私、知ってるわ。薄汚い、魔族の臭い・・・・・よ」 


 カグヤがそうつぶやいた瞬間、どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。

 まだ日が落ちてからそんなに時間が経っていないのに、もう動き出すなんて……。しかも、よりにもよって俺たちの管轄とは――――。


 不意を突かれた俺は、悲鳴の方向へ走る。

 薄暗い路地を抜けると、そこには倒れ伏した女性がいた。


「大丈夫ですか⁉」


 近寄ってみると、その首には二つの穴が開いていた。 

 おそらく魔族に噛みつかれた痕だろう。女性の顔はまるで死人のように蒼白だが、かろうじて息をしていた。俺たちの気配に気づき、途中で〝食事〟をやめたのかもしれない。


「……カグヤ、この人を診療所へ運んでくれ。お前のほうが速いだろ?」


「それはいいけど、ひとりで大丈夫?」


「ああ、まあなんとかなるさ」


 俺は魔力強化を使い、身体能力を上げる。

 そして地面が割れるほどの勢いで天高く跳び上がり、周囲を見回した。


「――――見つけた」


 魔力強化によって、視力も大幅に上がっている。そのおかげで、街のはずれに逃げようとしている怪しい影を見つけることができた。

 俺は建物の屋根に着地すると、再び全力で跳ぶ。

 

「逃がすかよ……!」


 建物の上を駆け抜け、俺は魔族を追いかける。

 そしてついに、やつの姿を完全に捉えることに成功した。

 黒いローブを身に纏っているため、容姿は分からない。しかし、あのとき感じた妙な生臭さが、やつを魔族だと示している。

 魔族は俺が追ってきていることに気づいたようで、急激に走る速度を上げた。

 

 ――――見失ったらまずい……!


 俺も同じく速度を上げる。

 すると魔族は、俺に向かって何かを飛ばしてきた。


「っ⁉」


 それは無数の〝ブラッドバット〟だった。

 おそらく魔族の能力によって、眷属化されているのだろう。

 統率された動きで、俺の視界を妨害するように動いている。


「くそっ、しゃらくさいな……!」


 俺は魔力を込めながら、剣を抜き放つ。

 そして踏み込むと同時に、剣先をブラッドバットの群れに突き込んだ。


「ゼレンシア流剣術……! 〝野突やとつ〟!」


 俺の突きによって生まれた衝撃が、ブラッドバットを吹き飛ばす。

 視界が開けた。まだ魔族との距離はそう離れていない。

 

 ――――追いつける。


 そう確信した、次の瞬間。

 俺は、魔族が人を抱えていることに気づいた。


「た、助けてくれぇぇぇ!」


「なっ……⁉」


 俺の視界が塞がった一瞬を利用して、通行人を捕らえたのだ。

 魔族はこちらの様子を窺いながら、人質の首に手を添える。追ってきたら殺すとでも言いたげに。

 とっさのことで、思わず足を止めてしまった。ローブの奥で、魔族がにやりと笑った気がした。

 このままでは、魔族を完全に見失ってしまう。


 ――――やむを得ない。


「一か八かだな」


 俺再び剣に魔力を込める。

 そして大きく振りかぶり、魔族の背中に向けて、全力で投擲した。


「……っ⁉」


 この距離では、俺に攻撃手段がないと思っていたのだろう。反応が遅れた魔族は、人質を盾にすらできず、俺の剣によって脇腹を深く抉られた。


「ひっ……!」


 魔族が人質を落とした。

 チャンス……そう言いたいところだが、吹き飛ばしたブラッドバットが、再び俺の視界を塞ぐ。

 これ以上は追跡できない――――そう判断した俺は、横に跳んでブラッドバットの群れから逃れる。

 ブラッドバットは俺を追撃することもなく、夜空に溶けるように消えていった。


 魔族の姿は、もうどこにもない。

 人質の安否も確認しなければならないし、深追いも危険。

 ここは諦めるほかなさそうだ。


「はぁ……まあ、最低限か」


 しかし、手がかりがゼロというわけではない。

 俺は投擲した剣を拾いに行く。その側には、数滴の血液と、魔族が着ていたローブの切れ端が落ちていた。

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