【5】目を付けられてしまいました

「……なんだって?」


 あたしの呼びかけに、アンが眉を寄せる。

 それもそのはず、ついて行くなと言ったのだから当然だ。


「おいおい、急にどうしたんだよ? やっぱり頭を強く打ち過ぎたのか?」

「いや、そうじゃなくて! えっと、その……」

「……なあ、レミーゼ様の話はしただろ? 心配する必要はないって……な?」


 様子がおかしいと感じたのだろう。アンは再びあたしの傍に近寄り、顔を合わせて優しく告げる。ドゥは不安そうな顔であたしを見ていた。


 ローテルハルクの領内において、聖女として慕われる存在のレミーゼが、自分たちに救いの手を差し伸べてくれたのだ。これを断る理由など、万に一つもあり得ない。


 誰に聞いたって、ついて行くに決まっている。

 このあたしを除いて……。


 言いたいことを言えないもどかしさに、あたしは顔をしかめる。どうすればいいのかと困ってしまう。


 もし、ここが【ラビリンス】の設定と同じ場合、レミーゼは奴隷拷問が趣味の拷問令嬢だから……なんてことを伝えたら、それこそ大ひんしゅくを買うだろう。


 でも、言わなければアンが連れて行かれてしまう。それだけは阻止しなければ……。


 時間だけが過ぎる中、あたしと同じように思考を巡らせる人物がいることに気付いた。その人物は目を細め、あたしを値踏みするような視線を向けていた。

 それはもちろん、レミーゼ・ローテルハルクだ。


 目が合うと、レミーゼはすぐに笑顔を浮かべる。そして「貴女、お名前は……?」と訊ねてきた。


「……トロアです」


 さすがに本名を言うわけにもいかず、あたしは一先ずこの体の持ち主であるトロアの名を借りることにした。


「そう、トロアさんと言うのね……?」


 じっくりと、それこそ頭の天辺から足の爪先まで、レミーゼはあたしを観察する。

 あんなことを言ってしまったのだから、怪しまれても仕方あるまい。すると、


「トロアさん。わたくしのことを信用していただけないのは、不徳の致すところとしか言いようがありませんわ」


 信用してもらえないことを怒るのではなく、逆に残念そうな表情を作ってみせる。


「……貴女方の罪状については、監守から教えていただきました。路上生活に苦しみ、スリをせざるを得なかった……そうなのでしょう?」


 問われるが、あたしは頷くことができない。

 その代わりに、アンとドゥが首を縦に振って応える。


「我がローテルハルク領は、居心地が良く、住みやすいところだと思われています。ですが、皆が同じとは限りません……。現に今、わたくしと言葉を交わす貴女方が居るのですから」


 レミーゼが、あたしの手を掴む。

 決して離さないぞと、その手には力が込められている。


「本来、犯す必要のなかった罪……それを重ね続けなければならない環境が、領内にはあります。それを知りつつも、未だに変えることのできない自分が情けなくて……それはもう、我が公爵家の恥としか言いようがありませんわ」


 レミーゼが涙ながらに吐露する。

 だが、その瞳は今もあたしの様子を窺っているように見える。


「――ですが、良い案があります」


 そしてすぐ、レミーゼは顔を明るくさせた。


「トロアさん。貴女が抱く不安はごもっともだと思います。ですので、そんな貴女に信用していただくには、まずは貴女をここから連れ出すべきだと、わたくしは結論付けました」

「あ、あたしを……ですか?」

「ええ、貴女を」


 ニコリと微笑み、レミーゼが肯定する。

 断ることは許さないぞと、言葉とは異なる圧力を感じる。


「でも、本当にあたしでいいんですか?」


 どうやらあたしは、レミーゼの興味を引いてしまったらしい。

 最初の標的はアンだったが、あたしに目を付け、獲物を変えることにしたのだろう。


「良かったな!」

「っ、……アン。ごめんなさい」


 あたしの頭をアンが撫でる。

 レミーゼの裏の顔を、アンは何一つ知らない。だから、外に出るのを横取りされたと思われてもおかしくはない。

 でも、アンは自分のことのように喜び、頬を緩ませている。そしてそれはドゥも同じだ。


 この二人の姿を見て、あたしはアン・ドゥ・トロアの三姉妹が、本当に仲が良かったのだと改めて思った。


 すると、あたしたちのやり取りを見ていたレミーゼが「大丈夫よ、心配しなくてもいいの」と口を挟む。


「貴女方は三人で一つ……そうでしょう? だから先ほども言ったように、一人ずつ順番にここから連れ出せるように動きますから、少しだけ辛抱してちょうだいね?」


 一度は疑ったあたしを、決して見放すようなことはせずに、手を差し伸べ続けてくれた。そしてアンとドゥを救うと約束する。

 レミーゼの言葉は聖女の言葉に等しいと思ってしまうことだろう。


 もちろん、それが嘘だと分かっているのは、あたしだけだ。

 アンとドゥは、まんまとレミーゼの嘘に騙されてしまい、安心し切っている。


 その結果、あたしはアンの代わりに牢の外に出ることが決まった……。


「トロアさん。外に出る前に一度、【隷属】を発動するわね。……心の準備はいいかしら?」

「……はい。いつでもどうぞ」


 二十センチほどの杖を出し、レミーゼが優しく笑いかけてくる。

 でも、あたしから見たその顔は……その目は、全く笑っているようには見えなかった。

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