第49話 遅れてきた青春

千織さんとは週に何度か待ち合わせをし、

一緒に柳川まで帰る。


彼女は以前よりも楽しそうで、

家事に追われる心配がないせいか、

寄り道をしてもソワソワしない。


これで良かったんだと思う。

お父さんやお兄さん達には悪いが、

彼女がこれまで

どれだけ家に縛られていたか。

それが想像ついてしまうほどだ。


きっと千織さんは今、

青春を取り戻している。


掘割を歩きながら、

彼女が自転車を押す。


買ったばかりの自転車を

よほど気に入っているらしく、

俺が代わりに押すと言っても

手放さないほどだ。


「今日はたぶんカレーやね」


「そうなの?」


「うん。昨日カレー粉、買うたけんね」


「慣れた?あの家。クーラーなくて暑くない?」


「じぇんっじぇん。夜は風が通るけん、気持ちよか」


「俺、暑がりだからさ。そろそろ限界かも」


「そっじゃー扇風機ば出す?物置にあったばい」


「ハハハ。だんだんあの家の住人っぽくなってきたね」


「住人やなかと!下宿人ったい!」


「そっか。下宿人っていい響きだな」


つい最近まで掘割に咲いていた

花菖蒲や杜若かきつばた

もう花の時期を終えていた。


夏本番だ。

柳並木は涼しげになびいているが、

時々ブワっと熱風が吹く。


さすがにクーラーがないと

千織さんだけでなく

爺ちゃん婆ちゃんも厳しいだろうと、

夕飯を食べながら提案した。


「そろそろクーラーつけない?俺も少し出すから」


「あ〜、よかよか!いっときのこつだけん!」


「でもさ、いくらなんでも熱中症になっちゃうよ。ね?1部屋だけでもつけよう?」


「かんじょう(節約)やなかとよ?つけようち思えば、いつでんつけられるけん。ばってん2人やち我慢できんこつもなかばい。だけん千織ちゃんもおるし、考えてみっか」


「うん。そうしよ」


千織さんは申し訳なく思ったのか、

自分も費用を出すと言ったが、

2人は「よかよか」と笑いながら断っていた。


居間で飼っているデカい金魚も

暑さでまいっているのか動きが鈍い。


千織さんが世話をしているらしく、

彼女が「きんちゃん」と呼ぶと

心なしか元気を取り戻す。


「名前あったんだ、コイツ」


「ううん。うちがつけたと。名前あった方がよかでしょ?」


彼女はここでも色々動いてしまうのか、

食器や食材の配置も覚え、

食後も自然と片付けを手伝っている。


手持無沙汰てもちぶさたの俺は、

テーブルに置かれた郵便物を

なんとなく手に取った。

その中に母さん宛の封筒もあった。


「これって……」


「同窓会の招待状じゃろ?敦子んこつや。たぶんんけん。ほかしてよかたい」


実家に電話をする気にはならず、

爺ちゃんに言われた通り

そのまま捨てようとした。

だが千織さんが


「連絡ばせんでよかと?」


「う〜ん……」


見なけりゃ良かったと後悔した。

だが見てしまった以上、

勝手に捨てるのも気が引けて、

ショートメールで知らせた。

するとすぐに電話がかかってきた。


めんどくせーと思いながら、

廊下でそれをとる。


「もしもし……」


「あんた、また柳川行ってんの?」


開口一番がこれだ。

「久しぶり」とか「元気でやっているか」

など、普通の親が言うような事は言わない。


「あぁ、うん。近いし」


「ところで正社員になれたの?あれから連絡もよこさないで」


「うん、まぁ」


そう答えると「おめでとう」も「頑張れ」もない。

深いため息が聞こえ、

招待状は捨てていいとだけ言った。


もちろん父さんとかわることなく

通話を終えた。


「敦子、どげん言うとった?」


「捨てていいって」


「やっぱしな。こげんもんば、いっちょん出たこつなかとよ」


「敦子、他になんか言うとったと?」


婆ちゃんにそう聞かれ、

咄嗟に嘘をついた。


「爺ちゃんと婆ちゃんは元気かって。元気だって言っといた」


すると2人は顔を見合わせ、

俺の嘘を見抜いたように笑った。


「珍しか〜!」


「雨でん降るんやなかと?」


母さんとこの2人の間にも

俺にはわからない溝がある。

だがどうしても納得がいかない。

こんな愛情深い人達に育てられ、

なぜあんな冷たい人間になったのか。


相変わらずこの家は就寝が早く、

あっという間に布団が敷かれ解散になった。


夜は雨が降った。

母さんが爺ちゃん婆ちゃんを

心配したわけでもないのに。


ここに来るとどうにも寝付けない。

千織さんはもう寝ただろうか。

無性に話したくなり、

2階にいる彼女にメッセージを送る。


『もう寝た?』


『ううん。起きとーよ』


こっそり2階に上がる。

千織さんはクスクス笑って

俺を部屋に入れてくれた。


「どげんしたと?寝れんの?」


「ちょっと早すぎでしょ、寝るの」


「うちゃあもう慣れたばい。おかげで毎日早起きばしとう」


「だからか。夜LINEしても返事は朝返ってくるもんな」


「ごめんごめん!熟睡して気づかんとね」


ベッドに腰掛けて話していた。

キスをして、そのまま2人で寝転んだ。


「あ〜、ここなら寝れそう」


「いけんよ。下で寝んと」


「もう少しこのまま……」


横になってキスをすると

理性がきかなくなる。


寮でそうした時は、

彼女が眠ってしまったから、

我慢せざるを得なかったが、

今はもう止められそうにない。


服の下から手を忍ばせ、

初めて触れる柔らかい感触に夢中になった。


「アレ……持ってきたと?」


「ん?何を……」


彼女の手が待ったをかけている。

そこで俺は気づく。

そうだ……大事なもんを持ってこなかった。


「ちくしょう……」


「アハハ!やっぱし、ツメがあまか〜(笑)」


「なしじゃダメか……」


「うん。ダメ!」


「厳しいな〜……」


最後まではできなかったが、

抑えきれない感情が鎮まるまで、

キスをしながら触れ合った。


そんな甘い時間の中で、

俺は決意を伝える。


「俺、寮でるから」


「え……いつ?」


「来月には出ようと思ってる」


「なんでそげん急ぐと?」


「色々あってさ。あそこにいたら人間不信になりそうで」


「そうなん。そっじゃーここに住んだら?うちが出るけん」


「そういう事じゃないんだよ。いいから千織さんはここにいて?」


「だけん、ここは門田さんの方が……」


「てか、一緒に暮らす?」


あまり深く考えずにそう言ってしまうと、

千織さんは黙ってしまった。


「ごめん。先走った。でも割と本気」


「ううん。うちもいつか、そげんしたいち思うとったと」


「え……そうなの?」


「ばってん、門田さんの重荷になりたくなか」


「重荷なんて思わないよ」


「ばってん門田さんも、いっぺんくらい1人暮らしばしたかろう?うちもそうやもん。誰にも気ぃ使わんで、のびのび暮らしてみたかち思うでしょ?」


「それはね。けど千織さんは違うよ。変に気を使うことないし。1人より2人の方が強いっていうか。あっ、経済的な事とかじゃなくて、気持ちの問題ね!」


「うん。わかっとーよ」


「じゃあ、とりあえず俺が先に部屋見つけるから、千織さんも考えといて?でもまだここにいてよ?どっか行かないでよ?」


「わかったばい。ちゃんと相談するけん」


この夜から俄然、やる気が出た。

仕事の合間に物件を検索して、

気になったところは内見を申し込んだ。


いつでも出ていけるように荷物を整理して、

家具を見に行ったり、

初めての1人暮らしに必要な諸々を、

岡部さんや大雅に聞いたりした。


多少蓄えもできたし、

あとは部屋が決まるだけ。


という段階まできて

仕事終わりに不動産屋に寄ろうと

駅の繁華街に立ち寄った時、

紗智子さんを見かけた。


「あっ……」


明らかにチャラそうな男を連れている。

俺は見て見ぬフリをして

通り過ぎようとした。

するとその時……


「さっちゃん!なんばしょっとね!」


聞き覚えのある声がし再び振り返ると、

生島さんが紗智子さんに声をかけている。


「え……」


なぜかこの時、

まずい現場に遭遇した気分になり、

でも気になって物陰に隠れながら様子を見た。


会話までは聞こえないが、

どうやら揉めているようだ。


「大三さんには関係なかと!」


「いやいや、何言うとっと?さっちゃん、そげん安売りばしたらいけん!」


「はぁ?うちゃあ安売りなんちしとりゃあせん!」


なぜか口論になっている。

そのうち紗智子さんと一緒にいた男が

逃げるように去って行った。


どういう事だ……


厄介な事に巻き込まれるのは御免だが、

千織さんの親友だしお兄さんだしで、

そのまま放置できず、

しぶしぶそこへ行った。


「あのぉ……どうかしましたか?」


「え、なんで門田さんがおっと?」


「門田さんまでなんね!まさか、2人でうちをつけとったと?」


「ち、違いますよ!俺はむしろ巻き込まれたっていうか……」


すると生島さんが衝撃の発言をする。


「俺はつけとったばい」


「え……生島さん?」


「なんでそげんこつすっと?」


「こん前もそん前も、見るたびに違う男とおって……そりゃあ心配になるばい?何しとっと?さっちゃん、そげん女やったと?」


少し前に千織さんから、

紗智子さんが

マッチングアプリに登録したと聞いていたから、

俺は徐々に何が起こっているのか見えてきた。


生島さんは当然そんな事は知らないから、

紗智子さんが取っ替え引っ替え

男遊びをしているように見えたのだろう。


だからと言って

なぜ生島さんがここまでするのか、

俺には理解できなかった。


「えっと……ここではアレなんで、どっか入りましょうか?」


以前もこのメンツで店に入ったことがある。

今日は東京にもあるチェーンの喫茶店に入った。


だがあの時とは違う緊迫感が漂っている。

対面に座る紗智子さんと

俺の隣に座った生島さんが睨み合っている。


「とりあえず、なんか注文しましょうか!」


飲み物を注文しそれが出されると、

大三さんが最初に口を開いた。


「俺はさっちゃんを好いとう!」


その瞬間、俺はまたしてもコーヒーを吹いた。

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